こらむ「日常と非日常のあいだで」の連載にあたって
 反戦、資本の反グローバリゼイション運動という新しい社会運動の機運が訪れている昨今、日常を生きる労働者たちのギャップや事件などについて私なりの感性で、エッセイを連載していきたいと思います。

日常と非日常のあいだで  その壱「全共闘世代の遺産」

 私の職業は、新聞をトラックで配送する運転手をしている。
 私の職場には、かつてゲバ棒とヘルメットで学園や街頭での闘争した、全共闘世代の人たちが大勢いた。いわば、彼らにとってこの職場は、拠点だったのだ。その人たちは、80年代の労働組合活動でも本工労働者が主流となりつつある労働組合ではなく、臨時労働者も権利を勝ち取ろうとアルバイトの人たちを組織化してきた。職場では、経営者がこの臨時労働組合を追い出すために雇った右翼と対峙し、文字通り血を流しながら、本工労働者並の権利を勝ち取ったというような華々しい過去があり今に至っている。
 今回、会社側は、4月より実施する合理化計画(賃金2割ダウン、1.5倍の労働強化)を労組側も飲まなければ、会社が倒産してしまうとごり押ししてきた。この会社側の半ば脅迫に近い要求を、労組幹部が誰に相談することもなく妥結してしまった!私たちに知らされたのは、事後報告のみである。まるで、私たちに意思がないかのように、私たちの中に決議が素通りしていく。
 かつて、闘う労働運動を目指して頑張ってきた人たちの遺産も、残ったのは、弱体化する既成の組織を守るために生まれる保守性と密室性だ。かつて彼ら全共闘世代の人たちが忌み嫌った支配関係では無かろうか?あたらしい感性や若い人たちを信用しないこの労働組合という組織に、未来はあるのだろうか。(S)


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