日常と非日常のあいだで  その弐「死を受け入れる準備」

 仕事中に突然倒れ、脳腫瘍と宣告された兄。4年半前、生存率50%という頭部腫瘍摘出という大手術を行い一命を取り留めている。現在も入退院を繰り返しながらではあるが、リハビリや薬物治療によって日々を生きようとしている兄。

 兄は、病気が発症して後、東京での建設業を退職し、郷里に帰り療養を続けてきた。兄が元気な頃、父は、兄を自分の仕事に連れ出していた。休みの日には、旅行に行ったり、釣りをしたり、実家の新居の設計もやりきった。

 その兄の病状が、今年に入ってあまり思わしくない。脳腫瘍の摘出手術は、腫瘍が運動神経などをつかさどっている脳細胞の部分にまで浸食しており、全摘出できなかったのだ。兄にとってのこの4年という歳月は、摘出されていないガン細胞が、徐々にではあるが、脳を浸食し、同時に言語をしゃべることが出来なくなり、右手足の麻痺していく時間だった。

 そんな中での両親の焦燥や懊悩は、「本人以上だ」と言っていいほどのものだ。あらゆる高価な治療薬をも取り寄せたり医学では説明できない気功術なるものをも「信じて」しまう。普段強い振りをし、横柄な父親をも、日中から酒に浸り、物思いに耽っては涙を流しているような状態に追い込まれている。しかし、そういった自分の不安材料を決して兄には見せず、毎日兄の生活から医療まで面倒を見ているのは母親だ。そんな母親は、ホスピス研究会なる会に顔を出し、同じ体験をしている家族との接触をはかり、終末期医療をどのようにすればよいのかも考えているという。

 日々苦しみながら衰える兄の姿に、死と隣り合わせにあるという自分の生命の実感を感じながら、生き続けようとしている姿に私は涙してしまう。しかし、兄は生きているのだ。そんな兄を見て、私が気づかされるのは、自分に死というものが突きつけられない限り、私に死というものがあるという必然さえも忘れてしまっているなぁ、ということだ。その驕りが、人の命を平気で絶つことの出来る感性や凶器に変わるのではないだろうか。

 私は、いくつもの死によって生きているということをもうちょっと考え続けなければならないような気がする。それは、いくつもの死が生の中で繰り返されているという生命の不思議の中に、パレスチナ・イスラエルで起きている悲劇の中に、東南アジアの少数民族の子どもたちが一部の性欲を満たすために奴隷同然で売り買いされ、一部のもの達のために人の臓器が売り買いされる中に。

 兄の生命の淵で、家族がそれぞれの価値観や日常とその歪み、絶望と希望とが錯綜しながらではあるが、それぞれが分かり合える瞬間を私は目の当たりにしている。そんな私は、今希望のただ中にあるのだ。(S)


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