Tへの手紙/h2>

 お久しぶりです。元気でしたか?私の方は、去年12月4日に兄貴が亡くなり、喪の作業中です。新年会で、久しぶりにTと会えると思っていたのですが、兄の四十九日と重なってしまい、あいにく行けません。
 TとMさんが一緒に暮らしているというのを聞いて、「やっぱりなぁ」という思いでした。好き同士一緒に暮らせるのは幸せだね。そして、赤ちゃん!これにはちょっとビックリ。二人の子どもはどんな風に成長するのだろう。ちょっと考えただけでもわくわくしてきます。
 あれから、どんなことがありましたか?色々な人との出会いは、Tをどんな風にしたのでしょうか?
 あれからの私はというと、何も変わっていませんよ。変わったとしたら、普通の人として生活するようになった事かな。その意味で、色々な価値観の人との出会い生き様と一緒に生き、そして別れ、ということの連続でした。
 その人々との出会いと別れの中で、過去であった人たちの顔や街並みがより鮮明な記憶となって浮かび上がってくることがあります。「歴史とは思い出である」と誰かが言っていたけど、その通りで、より甘美な思い出となって私の肥しとなっていることも間違いないのでしょう。パン粉が人々との出会いだとすると、それらの想い出は酵母のようなものなのかなぁ。そしてプクッと膨らんでふんわりとしたパンになるように。。。。
 Tとは色々な場所で、色々な悩みを話していたように思います。高校生を卒業しても、節目節目ごとに、Tが私にとっての発露だったように思います。そして、Tは、ケニアに行ってしまった。しかも、Tは日本企業が派遣した家族の子どもたちを教える教師をすると言うではないですか。私は、アフリカに進出した企業のお羨望を担ぐ役割をするというあなたを激しく糾弾しましたね。そして、袂を分かったのです。基本的な姿勢は今でも変わりませんが、その時の私は、Tのことを考えてというよりも、自分の持論を突きつけるという、まったくもって無邪気な二文法論者だったようです。当時は人の話を批判し、突きつければ事足りるいうような対話スタイルになってしまっていました。しかし、大切なのは、その後、その人の思いを聞くこと。今まで築き上げてきた人間関係と対話の中に息づいてきたことを精製し、とぎすますことだったのではないかと思うようになりました。一言で喧嘩となってしまうことを、何万語も費やしても対話を続けていこうというねばり強い意思が必要だったのです。しかし、私は未熟でした(これからも未熟なのだろうけれども)。
 「バカ」だの「アホ」だのという言葉やレッテル張りは、一語で人を抽象的に中傷出来るかも知れませんが、その貶める側の主体は、何に基づいてこのような言葉を使うのか?この言葉は適切なのか?という人と対話するときの主体と手法を、常に反芻し、検証しないと堕落するでしょう。ナチスは、ユダヤ人や同性愛者、ロマをスケープゴートにし、「弱者(ドイツ国民)」を組織化し、何千万もの命を抹殺することが可能だったように。「主体」と「手法」を検証せず、他人を貶めるためのレッテル張りを行う人間や集団は、堕落の一途をたどってしまうような気がしました。私も「左翼」ヅラしてずいぶん人を貶めていたのだなぁと思うと他人事ではありません。
 ここ最近は、この様な政治や社会といった大状況に臨むということに、ややくたびれた感があります。ワシャワシャ、ゴロゴロと大鍋をかき混ぜすぎても、中の具が溶けてしまい、スープの風味となるのかも知れませんが、個々の繊細な味が楽しめないのと同様、人間関係にもそれは言えそうです。大きな事ばかり考えすぎると、そこに隠されているそこで生きている人々の生活や過程が見えなくなるだけではなく、声さえも聞こえなくなってしまうということ。ホンネとタテマエではありませんが、群衆の中では自分に政治や学者の仮面を被せ「正論」を言えば事足りるかも知れませんが、仮面を取ったとき自分の生活や生き様と合致しているのかというとこそが大切であるはずです。その意味で、他人の「幸せのため」とかといって「正義」を振りかざしているレベルでは、何も見えてこないのでしょう。大切なのは、私自身が何を必要として生活しているのか?生きていくのか?ということをもっと突き詰める必要性があるように思います。
 登山が好きだった兄は38歳で亡くなりました。私もよく兄に連れられて釣りや登山に出かけたものでした。青々とした木々の間から、小魚たちがキラキラと小川を泳いでいるのが見えました。釣り糸を垂らすと、5尺はあろうヤマメも釣れたときはガッツポーズをしたものでした。そして、おにぎりと釣りあげた魚を塩焼きにしてほおばると何だか幸せでした。そんな感覚を忘れては行けないのでしょう。
 兄はもういませんが、私の中ではこれからも兄の想い出と夢幻の山旅を続けることでしょう。人々との出会いも旅の随伴者としながら。
 お体には気を付けて。Mさんや赤ちゃんを大切に。    お体には気を付けて。Mさんや赤ちゃんを大切に。    兄はもういませんが、私の中ではこれからも兄の想い出と夢幻の山旅を続けることでしょう。人々との出会いも旅の随伴者としながら。
 お体には気を付けて。Mさんや赤ちゃんを大切に。


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