山城むつみ氏のドストエフスキー[I]

 文学界の2月号に載った山城むつみ氏のドストエフスキー論(第1回、以降は不定期連載)は面白い。小林秀雄に関する独創的なエッセイでデビューした山城氏ではあったが、その実質は、ドストエフスキーの作品をめぐる小林秀雄の一見奇妙な、しかし普遍的としか言いようがない執筆態度を鮮やかに浮き彫りにしていた。執拗な読解の反復が、ついには対象作品をそのまま再現するまでに至る有様を見事に捕えていたのだった。
 以降、今日までの多産とは言えない氏の歩みは、言葉の謎とコミュニズムの困難に関しての考察に終始してきたと言えようが、こんどのドストエフスキー論もまたその例外ではない。しかし、この作品は、初めて内から発光するような、ある輝きを放っている。
 山城氏の読解は非常に執拗なものであるが、いつもとても素朴な印象をあたえる。おそらくは、はるかに予想を越えた反復過程が秘められているのだろうが、記される述懐は皆受け入れやすいものだ。しかし、単に字面を辿って、あるいは文脈の把握から得られるようなものは一つもないのだ。
 氏の作品に惹かれ始めた頃、新聞の投稿欄で次のような内容のものを読み、はっとしたことがあった。それは〈長野県の八ヶ岳山麓で、双子の息子たちをテレビを置かない環境で育ててきた〉母親の投稿であったのだが、〈3歳になる頃から息子たちを子ども劇場に連れて行った。鳥のさえずりや木々の葉っぱがこすれ合う音など、自然の響き以外知らない息子たちは、児童演劇の効果音になじめなかったようだ。宮崎駿氏のアニメ「天空の城ラピュタ」を見せても怖がるばかりだった。内容よりも、自分に迫ってくる動く絵に慣れないのだ。
   しかし、こんなことがあった。息子たちが気に入ったのは「アンパンマン」の劇だった。ふたりともよほど感激したのか、家に帰ってきて、記憶に残っているものをすべて披露したかったのだろう。その後は毎日のように、登場したキャラクターを画用紙に描き、色を塗り、切り抜きそれを手にして劇を再現した。内容はふたりの創造したものだった。自宅にテレビのある近所の子どもたちもやって来て、みんなで遊びだしたのには驚いた。
子どもたちの行動を目の当たりにして、私はこう感じた。子どもは、自分の感動を自分であたため再燃させる力を潜在的に持っているのではないか。〉
山城氏の書くものには、この子どもたちの持つ生得の力が感じられると思われた。
 3年前、岡潔の生誕百年の折、氏は新聞紙上にこの孤高の大数学者に関するエッセーを発表したことがあった。氏は見たことはないだろうが、奈良には岡潔がライフワークの出発点とした、ベンケ・トウルレン共著の小冊子が遺品として大事に保管されている。それは恐ろしいものである。本が、どの頁も、手ずれて丸く磨り減っているのだ。
 発表されずに終った遺稿の中で、自らのお孫さんの観察から、3歳くらいまでの子どもは、同じ事を飽きることなく30回くらいは反復するようだ、それがどうも認識の基盤になるらしいと岡潔は書いていたが、山城氏の認識を支えるのも、このような反復なのではないか。

 第1回目は、言わば概論のような意味合いを持つのだろうが、しかしながら、すべて具体的な考察から成り立っている。型通り、わが国におけるドストエフスキーの最初の紹介者、内田魯庵の有名な述懐の引用から始まっているのだが、しかしそれは、ドストエフスキー論の水準を形成しているとも言える小林秀雄の作品にある引用とはニュアンスが異なっている。もう少し長く引用されているのだ。
 小林は『「罪と罰」についてII』において、巻頭、ヴォギュエの「一八六七年は、何処へ行っても、『罪と罰』事件で話は持ちきりという有様だった。ロシア中が『罪と罰』病にかかってゐた」という一文を引用し、続けて、ヴォギュエの言を裏づける意味合いで、内田魯庵の「恰も廣野に落雷に会って眼眩き耳聾ひたるが如き、今までに嘗て覚えない深甚な感動を与えられた」という感想を記している。そうしてこう書く。読んだ人には皆覚えがあるだろう、しかし「残念な事には、誰も真面目に読み返そうとしないのである。」
 小林がこう書いてからほぼ60年が経過した。およそ2世代が育ったのである。山城氏は、続けてこう書く、「しかし、魯庵がこの感動と同時に二葉亭四迷とステプニャークのことを憶い出していたということは忘れられている。」山城氏は「魯庵の感動は我々のそれとは似て非なるものだった」ことから説き起こす必要を感じているのだ。
 だが、このことは予想外に重要な帰結をもたらしたようだ。小林が「魯庵の感動」と一言で済ましえたところを、山城氏は素朴に説明し始めたのだが、二葉亭の線からは日本近代文学の批判が、そうしてステプニャークの線からは小林が切断した政治=現実への働きかけを模索する(コミュニズムへの)道が出現しつつある。とは言っても、山城氏が並列して記したところからもうかがえるように、この二つの道は同じ運動の異なった貌にすぎないのではあるが。
 日本近代文学の批判は、小林自身その日本近代文学の重要な担い手でありかつまた批判者でもあったのだが、山城氏は遡行して、坪内逍遥と並び称されるその創始者、二葉亭四迷の果たせなかった構想を素朴に反復してみようと企てたところに現れた。
小林秀雄が一言も言及していないのにもかかわらず、日本近代文学における最大のエポックは大逆事件である。以降、二葉亭の構想に接近しつつあった左翼文学は自壊した。小林は、優れたマルクス主義批判の文学者として出現したのだが、その時にはすでに大勢は決していたのである。小林の批評は、危機に於いて強大な暴力装置へと豹変する近代国家の本質に届いていない。ところで、今度の山城氏の文章は大逆事件に一応は触れている。しかし、それはまだ次のようなものだ。〈早くも二葉亭の死の翌年「文学」は膝を屈する。大逆事件に接して、文学は筆を「爆裂弾とは一歩の相違があるばかり」のものとなしえなかった。唯一、膝を折らなかった啄木もやがて没する。(中略)以来、日本の近代文学は、二葉亭の頭ひとつ分、低くなった天地に急速に繁茂していったが、芸術の品位が江戸戯作者のなした程度まで引き下げられているという自覚は大方なかったのである。〉すなわち、「芸術の品位」が問われているのであって、小林の批評の射程を超えるものではなかった。
関東大震災という危機に際しても、甘粕事件や亀戸事件に見られるように、暴力装置としての国家は露見している。このときには、すでに一人の啄木も出現しなかったのである。近畿大学大学院文芸科のWeb上で発表されているが、今田剛士氏の『「敗北」の協同主義』にはこの時期の分析がきっちりとなされている。
自壊した左翼思想=運動の後、小林が批評の対象として見出したのがドストエフスキーであった。山城氏の批評運動は、この反転の動きをも反復している。

小林の一連のドストエフスキー論にはベルクソン読解の成果が著しい。このことはドストエフスキー論のみならず小林の全作品に共通の著しい特色であるが、「『罪と罰』についてU」の基盤をなすのもまた次のような考察である。
(ラスコールニコフのプロトタイプである『地下室の手記』の主人公は)「人間の意識というものを、殆どベルグソンの先駆者の様に考える。意識とは観念と行為の算術的差であって、差が零になった時に本能的行為が現れ、差が極大になった時に、人は、可能的行為の林のなかで道を失ふ」
一方、山城氏の論はある意味でバフチン読解の成果である。この第1回目は、ほとんど膨大な『ドストエフスキー詩学の諸問題』中の、氏が「最もうつくしい箇所」と思う、イワンとアリョーシャの対話の一場面の解釈をめぐるもの、と言って差支えがないのである。
しかしながら、この第5章第4節の一部は、単なる一例として取り上げられたのではない。氏はこう言っている。「引用した読解はバフチンのドストエフスキー論の真骨頂であり、ここから、ドストエフスキーを読むバフチンの読みの深さと広さが遺憾なく示される。こういう読みがもしなければ、ポリフォニー、カーニバル、対話といった、イメージを強く喚起する術語によって構成されたバフチンの理論に私は何の関心も持てない。」
 しかしながら両氏に共通しているのは、このように見やすい、第一級文献の血肉化に止まるのではない。それらを見事に道具として、今なお巨大な謎として生命を保っているドストエフスキーの大小説群に肉薄しようとしている点なのである。
 
 小林秀雄氏の方法が、どこまでもドストエフスキーを模倣すること、ついには空で同じ内容の小説を書くに至るまでそうすることであるのを、かって山城氏は指摘した。今回、山城氏はその方法を、小林秀雄の作品に関して模倣している。すなわち、ドストエフスキーを模倣する小林秀雄を、模倣しているのある。しかし、その結果、自分でもある程度予測はしていたであろうが、独自の認識が生まれた。その一つが最初に記した二葉亭への遡行であった。そしてもう一つがドストエフスキーとキリストの関係についての認識である。

 山城氏が今回小林から別れる地点ははっきりしている。『地下室の手記』第二部の次の数行の描写、雪がまっすぐに降る描写の場面までは小林の読みを反復しているのである。小林は戦前(1935年〜36年、「文藝」誌上)雑誌連載しながら未完に終ったエッセイ(「『地下室の手記』と『永遠の良人』」)の末尾にこう書いている。
〈「静かだった。雪は殆ど垂直に降って、歩道にも、荒涼とした街路にも雪の敷物がしかれていた。通行人の影もなく、何の物音も聞こえなかった。陰気臭く、果無い様に街燈がちらついてゐた。二百歩許かりを四つ辻まで走り、立停った。彼女は何処へ行ったか。何の為に自分は後を追って来たか。」
 ラスコオリニコフは見知らぬ浮浪者に話しかける。「僕は、手風琴に合して歌ってゐるのを聞くのが好きなんだ、水っぽい雪でも降ってゐるような時、それも風が無くて真直ぐに降ってゐるような時、雪を通して向こうの方には、瓦斯燈の灯がちらちらしてゐる。」
 何故雪が真直ぐに降る事を語らねばならなかったのか。人の言葉をすべて語り尽した人間がそれを眺めた事があったからである。〉

 山城氏は、同じ場面の描写を引用した後、次のように続ける。
〈一切の感傷は禁物だ。凝視しよう。内的対話の外部に立つ他者が消失してしまった光景である。これが『地下室の手記』という中篇小説の臨界点なのだ。読者が感傷に耽るのは勝手だが、作者はこの風景を突破していかないかぎり、『罪と罰』以降の長編小説を書き得なかったのである。では、『罪と罰』のソーニャはリーザを超えて何をしたのか。彼女はラスコールニコフの内的対話の外部に立って、そこから言葉を射し入れたのか。いや、急ぐまい。今はバフチンにならって、ドストエフスキーの人間洞察が特異な言葉に沿ってなされていることを確認するにとどめよう。〉
 このくだりは、二葉亭に遡行して、ドストエフスキーの長編小説の独自性を、作者のイデエが作中人物にではなく、人物と人物の関係に宿されている点に求め、この認識がバフチンにも通底していることを確認した上で、具体的な検討に入った後に出てくる。具体的な検討とは、今回の論の大半を占めている、『カラマーゾフの兄弟』中のイワンとアリョーシャの一対話場面の検討である。
 小林秀雄は、「臨界点」から『罪と罰』以降の長編小説への展開を次のように捕えた。 〈ファラディ、マックスウェルの天才以来、実体的な「物」に代わって、機械的な「電磁的場」が物理的世界像の根底をなすに至ったのは周知の事だが、この物理学者等の認識に何等神秘的なものが含まれてはゐない様に、ドストエフスキーが、人間のあらゆる実体的属性を仮構されたものとして扱ひ、主客物心の対立の消えた生活の「場」の中心に、新しい人間像を立てた事に、何ら空想的なものはないのである。〉(「『地下室の手記』と『永遠の良人』」)
 一見、山城氏の辿ってきた二葉亭とバフチンに通底していた、人物から関係へ、という表現の場の移行説と何の違いもないように見える。しかし小林は、その「意味」をこう考えている。
〈「私」は消えた。といふ事は、作者の自己の疑わしさが、そのまま世界の疑わしさとして現れたという事であって、今更、公正な観察者なぞが代理人として、作者のうちに現れる余地はなかったといふ意味である。〉(『罪と罰』についてII)
 小林はドストエフスキーの詩学上の革命を正確に認識していたにもかかわらず、「意味」の追求に拘泥した。関係の解明、認識よりも「自己の疑わしさ」に重きを置き続けた。このことは、ドストエフスキーとキリストの関係についても言える。関係の解明、認識よりも、ドストエフスキーの抱く信や疑いの方に重きを置き続けたのである。
 山城氏はここで小林の読解に別れ、関係の解明、認識に向かう。

 〈ドストエフスキーにあっては、信仰の諸問題も、常に言葉の諸問題として問われる。彼が小説家だからではない。キリストが、美にして善なる形象である以前に、まず何よりも言葉だったからだ。言葉の中の言葉、初めにありきとヨハネの福音書に言われたあの言葉(ロゴス)だったからである。ドストエフスキーは、メシア的な純粋言語(ベンヤミン)が作の渦中に、人物と人物の関係に閃くことを待望しながら小説の言葉を紡ぎつづけたのである。〉

 山城氏の認識を検討する前に、「閾」という概念に触れておく必要があろう。一口に関係の解明といっても、これは数学の問題ではないのだから。山城氏は比喩的にではなく原理的に考えるために一つ具体例を挙げている。自分で、自分のことをバカだと思い、人にもそう言いもする謙虚な人が、人からバカだ、と言われると何故腹がたつのだろうか。
 〈言葉が同じなら他人の口から発せられても全く同じニュアンスで響くという人はいないだろう。自分で私はバカだと言うのと、他人が「お前はバカだ」と言うのと、指している事柄、言わんとしている意味は全く同じなのにニュアンスは反対になってしまうはずだ。では、どうしてそういうことになるのか。言った言葉の内容のためではない。言い方のためでもない。意味(内容)も言い方(形式)も全く同じであってさえ、その言葉を発するのが自分の口からなのか他人の口からなのかによって全く別の価値をもってしまう。〉
 バフチンは、ドストエフスキーの言葉を分析しようとして、自明な言語現象の問い直しを迫られた。〈バフチンの言う対話において重要なのは、二つの言表がいかに異なる形式を取っているかではなく、その言表がどの主体、どの口から発せられているかである。意味内容も形式上も全く同一であっても、それが二つの異なった口から発せられるならば、その二つの言表には対話的関係が生じる。逆に、二つの言表に、意味内容、形式上に差異があって、相互に対立したり補足し合ったりしていても、それを発する「主体」が閾で隔てられていないなら、たとえ対話的体裁ををとっていようと、そこには対話的関係は生じない。〉父親殺しに関して法律的には無罪であるイワンは、孤独の内に何度も「殺したのは俺だ」と自身を弾劾せざるをえなかった。ところが問われてもいないのに、アリョーシャは「殺ったのはあなたじゃない(ne ty)」と言い、イワンの内に激しい抵抗を生み出し、後の場面でスメルジャコフも「殺ったのはあなたじゃない(ne ty)」と言ってイワンを不意打ちする。
〈アリョーシャの言葉とスメルジャコフの言葉は意味も姿も同じだが、にもかかわらず、というよりだからこそ別のものである。その差異こそが人物と人物を隔てる閾となって各人物の個体性(lichnot’)の明暗を浮き彫りにしているのであって、逆ではない。各人物の性格(kharakte/character)が鮮やかに描き分けられているから、彼らの差異が浮き彫りになるのではない。ドストエフスキーの小説においては各人物(キャラクター)にではなく、人物と人物との関係にイデエが宿ると二葉亭が洞察していたのはそのことだ。人物と人物との差異は、両者が全く同じ言葉を語った瞬間にもっとも純粋に露呈する。ドストエフスキーのイデエはその差異に宿るのである。〉
〈言葉が「心に染み透る」かどうかは、心の奥深く秘めていた自分の言葉を他者が発しているかどうかという点にのみかかっているのではない。(中略)心に染み透る言葉は、相手の心の奥底に斜光のように差し込んでいるだけでなく、その言葉自身も、それを言う者の賭けによって貫き通されていなければならないからである。アリョーシャの「あなたじゃない」は、イワンがその声に同意する(その言葉に彼の声を重ね合わせる)ことに賭けて言われた言葉である。イワンがそれに同意することでのみ彼が彼自身の言葉(「俺じゃない」)を支えることが出来るようになる、そういう言葉である。(中略)アリョーシャがイワンの内なる言葉(「俺じゃない」)に彼の声を重ねる。そこには賭けがある。その結果、イワンがさらにそのアリョーシャの言葉に彼の声を重ねるという出来事が、賜物のように生ずれば、それが同意にほかならない。同意の閾はそこにおかれている。ちなみに、閾がドストエフスキーに特徴的な時空間の一つであることを指摘したバフチンの「賭金は危機に似ている。人は金を賭けるとき、あたかも閾の上にいるかのように感じる」という一文はドストエフスキーの心臓を瞬発的にとらえている。ここに限らず、閾を意味するロシア語porogという言葉を、バフチンは危機と等価の言葉として使っている〉

 長い引用になってしまったが、『トランスクリティーク』において、これは事前と事後というくくりで簡潔に表明できていた内容ではなかろうか。言葉を発するのにも、すなわち事後的にコミュニケーションが成立するかどうかは、交換一般に伴う或る困難の存在が共通していた筈である。

 さて、この論文における山城氏の輝きを述べる地点まで来たようだ。少々長いが次の一節の認識は素晴らしい。
〈アリョーシャの「あなたじゃない」という言葉に対してイワンが経験した抵抗は異和であって不同意ではない。「不同意は貧しく非生産的。異和はより本質的。それは本質において同意へと引かれている」というバフチンの謎めいた走り書きの真意はそこにある。不同意には対立や相違はあっても闘争と分離は存在しない。それらが生起するのは、異和においてである。言いかえれば、心に染み透る言葉によって同意へと引かれて、そこに声を合せようとしながら、声を合せ損ねて調子外れの不諧調を来たしてしまうところにこそ、闘争と分裂が生じるのである。じっさい、アリョーシャが、イワンの同意してくれることに賭けて差し出したにもかかわらず、そのアリョーシャの言葉にイワンが声を重ねようとして重ねることがついにできず調子外れの不協和音を奏でてしまうこと、同意が「予期せぬもの、賜物、奇蹟」として到来しそこねること、つまり異和こそが、アリョーシャとイワンの対話における差異を生起させていた。闘争と分裂は対話の後にさらに増幅さえする。〉
さらに次の一説において認識は輝きを増している。
〈「あなたじゃない」をめぐるバフチンの読みが驚嘆に値するのは、その洞察が、同じ言葉の上に重なり合う様々な声を分析してドストエフスキー作品のポリフォニー構造(詩学の諸問題)を実例をもって浮かび上がらせているからではない。倫理の諸問題をも超えて、キリストが問題になる地点(宗教お諸問題)まで一筋にドストエフスキーを貫いているからである。だが、そのための同意がどれほどに大きな賭け(愛と名指しても、倫理と形容してもそぐわないような或る決心)を要求することか。それはイワンが結局はアリョーシャの言葉に同意をもって応ずることが出来ないで分裂の果てに「脳病」をこじらせてしまうことからも推察される通りである。じっさい、イワンが同意に応じ得なかったように、ドストエフスキー作品中の人物たち、とりわけ「地下室」の系譜の主人公達(ラスコールニコフ、スタブローギン、ヴェルシーロフ、等)は、作者によって作中、繰り返し対話的同意の閾を差し出され、その上に立つことを促されるが、その都度、決定的瞬間においてそこから自分の中へと退避してしまう。というよりも、その閾から逃げずにおれないまさにそのことが「地下室」的な存在、すなわち「生きた生活」から根こそぎにされた存在の定義なのである。逆から言えば、生きた生活とは人と人とが調和し融和しあう理想的な楽園の生の謂いではない。日々の労働に充足して、生きているそのことを享受する実生活のことでもない。ただ、他者(究極的にはキリスト)から発せられる心に染み透る言葉に貫き通され、促されて閾の上に進み、その言葉において他者に対話的に同意して生きるそのことに他ならない。だが、だとすれば、ドストエフスキーの主人公たちがそのポリフォニー小説おいて、最終的には同意の閾の上には立たず、そこから逃げてしまうということは何を意味するか。
 ここには大きな逆説がある。ポリフォニー小説は、究極的には対話的同意を核としてオーケストレーションされているにもかかわらず、主人公達の声は決してそのコアたる同意の閾の上に立たない。というよりも、彼らがそこに立ち損ねるかぎりにおいてその声たちはポリフォニックに鳴り響く。〉


 今回のエッセイの末尾に山城氏はこう書いている。〈以上は助走にすぎない。〉
 
シベリア流刑中のドストエフスキーの最大の体験はおそらく聖書熟読であったろうが、資料によるならば、彼が入手し得たのは新約聖書のみであったそうだ。しかし、小林秀雄は、そのことを付記しつつも、彼のエッセイ中の主要な考察を旧約聖書の参照によって組み立てている。巨大な謎として出現した彼の小説世界の基盤を考察するに際して、いわば旧約世界の風土が連続的なものと直感されていたのだろう。先にも触れたように、小林の関心はドストエフスキーの信や懐疑の検討に重点が置かれており、ドストエフスキーとキリストの関係の具体的な検討は発表されていない。一方、山城氏の考察は、この関係を言葉の問題、として具体的に検討している。
ヨハネ伝は、ドストエフスキーの後期の大小説群の重要場面に何度か引用されているが、山城氏が言うように、キリストが「まず何よりも言葉だった」ことを巻頭に書き記している。この書には、キリストが最初に行なった奇蹟である、ガリラヤのカナの婚礼の記述や、あまりにも有名なラザロの復活の記述等、イエスの多くの行為のことも記されているが、この巻頭の一節は異彩を放っている。このヨハネには、まさしくこのように、強烈に直覚されていたのだろう。山城氏はバフチンの読解を執拗になぞり、時には踏み越えて、ドストエフスキーとこのキリスト=言葉との関係を例えばこう書く。
〈もし声たちが同意という究極の閾の上に立ったならば、その時に小説がポリフォニックでありうるのかどうか、いや、そもそも小説が成り立ちうるのかどうか、私は知らない。ただ、分るのは、ドストエフスキー自身はそんなことには頓着せず、主人公達が最後の閾の上に立つことを熱烈に構想し、彼らに、心に染み透る言葉を差し向けていたということだけである。彼はその瞬間を待ち望んで、繰り返し、主人公達にその閾を差し出した、ちょうどルーレットにおいてゼロに賭け続けるように。それが、キリストを小説に降臨させたいという彼の願いだった。〉
ヨハネ伝は、思いがけず自分たちの地平に降臨したキリストに対する驚きに満ちていると感じられる。その作者が、まずキリストを言葉と直覚したことを素直に受け入れるならば、今回の、徹底的にバフチンを反復する山城氏の読みは傑出したものだ。小林秀雄が、全盛期の読解力を傾けて到達したドストエフスキー論の水準を、彼が立止った信仰の謎を踏み越えて前進したという点において突破していると言えよう。
しかし、今回詳細に分析されたのは、同意の閾をめぐる考察一点のみである。それがいかに信仰の定式(キルケゴール)を満たしていようとも、重要なポイントが曖昧なまま残っている。何度か言及されているにもかかわらず、何故「他者とは、究極的にはキリストに他ならない」のか。「信仰はアリョーシャのような卑近な他者との対局において問われる」のにもかかわらず、何故、「イワンにとって、キリストはアリョーシャとの関係において問題になる」のか、まだ納得できるようには書かれていないのである。
論の半ばにおいてこのように述べられていた。「キリストとは、人をして他者との対話へ、同意へ、自分の顔(人格)と声をそこにおいて他者に曝け出すべき閾へと促し、そこにおいてその人を支える言葉なのか。そのような声であり顔のことなのか。」
これだけならば、アリョーシャもまたキリストだ、ということになろう。しかし、すでに補助線は引かれている。〈バフチン/ドストエフスキーによれば、それは単に心の問題ではない。ロゴスの問題である。アリョーシャがイワンの内的対話の中に入り込んで発した「あなたじゃない」という言葉に同意できるかどうか、自分の外部に立つ他者の口から語られた自分自身の言葉に順うことができるかどうかという言葉の問題である。〉
第二回目以降が大いに期待される。山城氏は自信に満ちている。これは〈助走にすぎない。〉


飛弾五郎
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