登記人が行っていた業務

みなさん、こんにちは。西原です。

摂津さん、私の投稿のアップありがとうございました。

お返事が大変遅れて申し訳ありませんでした。お休みの一日を あてれば私たちが行っていた登記業務について書けるだろうと 高をくくっていたのですが、過去のQプロメールを読むだけで イッパイイッパイになってしまいました(苦笑)。

摂津さんが公開されている日記の中で登記人のことを謎だとおっしゃって いるので、総括と呼べるほど大げさなものは書けないですが、 当時のことを振り返って思い出したことを一部ご紹介します。

一部といっても書き出しているうちにかなりの長文になってしまいました。 業務の全貌を語ろうとするとやはり苦労話が多くなってしまい、書き出すと なお気が滅入ってきます。当時のQハイブメンバーは多かれ少なかれ 誰もが各自の業務に追われ苦労していたのを承知していましたので、 下記のような愚痴めいたものをいちいち活字にして当時のMLで報告 するのは非常に抵抗感があり、また記録に残ったものを再度読み直すのも 気が重くなるにちがいないので、実際、報告しなかったのですが、 オフライン登記業務特有の問題があったことも事実です。

摂津さんが疑問に思われている登記人問題の謎解きの一助となれば 幸いです。

オフライン登記業務の特殊性は主に5つありました。

  1. オフラインで行われている(南無庵に通わなければならない)
  2. 会員登録期限と登記以外の業務
  3. 事務所・事務機器を含めた事務環境の不備
  4. 個人情報を扱っている
  5. 南無庵利用に関するNAMとの交渉と共同利用

非常に長文となりましたので上の5項目を5つに分割して次に投稿します。

(1) オフラインで行われている(南無庵に通わなければならない)

南無庵は不便な山のふもとにありました。交通の便が悪く最終バスの 時刻が10時台です。登記人は大体夕方の6時頃から集まって業務を行って いましたが、とても最終バスに間に合う時間には業務を終えられないため 主に自転車を利用して、というよりも押して(坂道が急勾配なので)南無庵へ 通っていました。

業務を終えいよいよ帰れると思ったとたんドシャ降りの雨に襲われ、自宅から PCを持ってきている私はPCが壊れるのがいやなので雨を降り止むのを待って いることも多かったですね。タクシーに乗って帰りたいところですが、そんな予算が 出るはずもありません。雨降り・台風接近は比較的よくあったことなので 毎回自腹を切ることもできず、また後日南無庵まで自転車を取りに行く時間も ないので、結局後藤さんも茨木さんも一緒に書類整理などしながら雨が止む のを待っていてくださいました。南無庵の山の中に女性である私一人を夜中に 残すのも安全上問題があったためです。

当時、茨木さんと私は性差についてML上で言及することを意識的に 控えていました。ことさら女性であることを引き合いに出して弱者である ことを強調して同情をひくのも気が引けました。しかし南無庵が人気のない 不安全な場所である現実にかわりはなく、茨木さんと私の家族は人気のない 南無庵での度重なる深夜におよぶ業務を危険だと言って反対していました。 家族なら心配するのは当然なのですが、かといって他に登記人が見つかる はずもないので、茨木さんもそうでしょうが、家族の反対を押し切るのも けっこう苦労しました。

(2) 会員登録期限と登記以外の業務

雨降り・台風接近の日を避けて日を改めてやればよいのではないかという 意見があるかもれませんが、登記人それぞれが仕事を持つ身であり、入会 申請から登録まで2週間以内と期限を設けていたので事務処理日の予定を 変更することはできませんでした。

また、期限を2週間以上に延ばすと会費入金日や本人確認の 書類到着日の確認に間があいてしまい、逆に入会申請者の同定が難しく作業 ボリュームが増えることが予見できました。

加えて、登記以外の業務として思いつくだけでも入金確認、書類整理、Qパンフ 送付(希望冊子数が多い小包み扱いのものは日を改めて郵便局に持っていって いた)、大学など地域通貨研究機関によるアンケート依頼の応答(電話による ものと文書郵送によるもの両方有り)、経費領収書の整理、事務用品の購入 (登記業務に適した特殊なファイルを使っていたので京都駅まで行って買って いた)、掃除などの雑務があり、突然の来客(NAM会員や他の地域通貨会員 の方、地域通貨に興味を示している方など)がある場合は、個人情報を扱っている ので接客が終了してから登記業務を再開していました。特に、入金確認は同定 困難な会員申請者が時々あらわれて、書類と照合しながら同定推理を行った上で 電話などで連絡確認していて手間取りました。また、登記業務の過程で 過去の登記で読み仮名がまちがって登録したものを発見した場合(初代 登記人は一人で登記業務を行っていたためダブルチェック機構がなかったため) などは、そのつど書類を照合し訂正を行っていました。

いずれにしてもオンラインでない事務所をおくということは、登記業務以外の オフラインでの分業困難な業務が派生するということだと思います。

(3) 事務所・事務機器を含めた事務環境の不備

南無庵は吉田山の東にあるお寺の境内にある木造瓦葺で昭和初期まで茶室と して使用されていた建物です。とにかく古い建物でした。

過去のメールを探していたら天野さんがお調べになった南無庵に関する次の メールを見つけました。仰稱 (称) 寺というのは南無庵の所在地で、そのお寺の 離れに建てられた茶室が南無庵のようです。

From: "tombe"
To: namosaka-recentralization@egroups.co.jp
Sent: Tuesday, July 17, 2001 8:48 PM
Subject: : [namosaka-recentralization] 迎稱寺について

天野です。

仰稱 (称) 寺について知りえたことを、 以下簡単にノートしておきます。
まず、 事典の項目から:
(こうしょうじ) 左京区浄土寺真如町にある時宗の寺。 紫雲山引接院と号し、 本尊は阿弥陀如来像。 もと天台宗であったが一遍が時宗に改めたとも、 また嘉暦三年 (1328) 遊行六代の他阿一鎮 (1277−1355) が開いたとも 伝える。 初め一条堀川にあり、 一条道場の名が起こった。 のち京極一条 (上京区扇町付近) に移り、元禄五年 (1692) の寺町の大火で焼失、 真如堂の移転 (1693) とともに現在地に移った。 天台宗時代の本尊 とみられる不空羂索観音は平安期の作で、 また一鎮の木像も在世時に 近い頃の優作。 (『京都大事典』 淡交社刊より。なお 『国史大辞典』の 「一鎮」 の項では 「一条道場 (仰称寺)」 は一鎮が創建した、 と明記してある。)
・萩の花の名所としても有名で、 9月後半には、 観光客で賑わうらしい。
・稲生若水 (いのう・じゃくすい、 1655−1715。 儒医・本草学者。 伊藤 仁斎に儒学を学ぶ。 『庶物類纂』 の編者) の墓所。
・1936年10月25日、 立原道造が一高時代の同窓で当時京都帝大仏文科に 在学していた田中一三 (かずみ) を訪ねて仰稱寺の離れに逗留した、 とあります。 この「離れ」 が当の物件に相当するかどうか、 いずれ取材してみたいものです。 田中一三は京都の人、 立原とともに同人誌 「未成年」 の同人でした。
立原の 「後期草稿詩篇」に 「田中一三に」 という詩3篇があり、 その2と3が この時の旅行に基づいています(「時雨 (しぐれ) ふる京の泊まりは墓どなり」 の 句あり)。 立原はこの後3年を経ずして亡くなりますが、 田中もその翌年戦場 (ソ満国境) で自決します。 時代はこういう青年たちをなぎ倒して進行したのでし た。

このように歴史のある古い建物なのでとても風情があって個人的には愛着が あったのですが、老朽化はいかんともしがたく事務所としては不適切な場所でした。

茶室として建てられていたので電気系統に問題があったようです。室内の電灯と パソコン2台、電話、FAX・スキャナー兼用のプリンターだけで電力供給は 限界を超えていたのかもしれません。コンセントの差込み口も変形していて ぐらついて使用できない箇所もありました。FAXによる書類送付が廃止 されるまでは、いたずらに電力を消費してはいけないと蝋燭を灯しながら FAXの本人確認書類を見てたこともあります。そうそう、ガスも少し漏れて いましたし――あまりにも危険なので換気に努めていましたが――和気さんから 譲り受けたパソコンも常に漏電しているようで、ピリピリと感電するので手首に タオルを巻いてキーボードを操作していました。

私たちが登記業務を行っていた頃は団体登録の申請が多い時期でもありました。 団体は手続き処理が複雑で作業ボリュームが多いので後藤さんと茨木さんの お二人で業務にあたられていました。個人登録は私が行うことが多かったです。

団体の書類は枚数が多く(NAMの登録では20枚以上)それらを画像として 取り込みPDF化して審査部にメール送信していましたが、これには非常に 時間がかかって半日かかるものも少なくなかったと記憶しています。 それも団体申請は1回ですんなり登録できることが少なかったので 多くの時間を費やしました。深夜すぎても処理できないものは翌日 後藤さんが仕事場から送信してくださっていました。

個人登録はFAXによる本人確認の書類送付を廃止してから非常に 簡略化されて楽になったのですが、それでも登記人以外のQハイブメンバー が想像するよりも時間がかかっていたと思います。Winds_qの画面も 重いものでしたが、登記画面はさらに重くメーラと登記画面を同時に 開くことはできませんでした。一度どちらかを完全に閉じてからでないと ひとりひとりの入会申請者のメールアドレスをコピーして登記報告のメール を書くことができませんでした。私のノートパソコンはペンティアムIIIで、 当時のものとしては上位機種の方なのですが、南無庵の電気系統の 問題のせいでしょうか単純作業なのにやたらと時間がかかりました。

またこんなメールを発見しましたので抜粋して引用しておきます。

From: "Tsuji Kenji"
To: q-project@q-project.org
Sent: Monday, July 08, 2002 10:02 AM
Subject: [q-project 3688] Re: 【重要】−全−運営体制ーregistryについ て−パソコン環境−1

> 一般にwebの操作が重たい、というのは、
> 1.サーバが遅い(この場合はjcafe)
> 2.ネットワークが遅い(この場合は南無庵からの接続、またはjcafeからイン
> ターネットへの接続)。
> 3.クライアント(つまり作業に使用するパソコン)
> という3の場合がありますが、
>
> jcafe周りの環境はどのユーザも同じなので、とりあえず除外して、
> ・南無庵からのインターネット接続
> ・PC自体のスペック
> ということになります。
>
> ただ、
> > 今使っているわけさん提供のパソコ
> > ンでも実用に耐えないらしく(メーラとブラウザを同時に開けない? )、西原さ
> > ん所有のパソコン(おそらくPentiumIII-450MHz相当)でやっとどうにかなるぐ
> > らいだそうです。
>
> ということですので、おそらくスペックでしょう。もちろん接続もDSLやケー
> ブルなどの常時接続にしたほうが良いのはいうまでもありません(今はモデムで
> ダイアルアップですよね?)が、「メーラとブラウザを同時に開けない?」とい
> うは、それ以前の問題です。

後日杉原さんに登記業務を引き継いでもらう段になって、初めて レジストリーにも入会申請者のメールアドレスが記載されているのを 知りました。レジストリーなら軽い画面なので簡単にコピペすること ができたようです。私たちはレジストリーMLには登録されていなかった のでその事実を知りませんでしたし、それまでいちいち閉じては立ち上げての 作業を繰り返してきたのでそのことを知って愕然としました。

私たちのPCスキルに問題があったのかもしれませんが、作業に時間が かかってしまうのはやはりインターネット接続やパソコンを含めた 事務環境にあったと思います。南無庵の電気系統の故障を調べて直して もらうにも最新のパソコンを入手するにしても、お金がかかってしまうことに かわりはありませんし、第一、南無庵の事務環境についてMLで説明して 予算をさいてもらうまで大変労力がかかることは予想がついてました。 実際、和気さんのパソコンを譲り受けるのにも、ファックスでの本人確認 送付の廃止を納得してもらうのにも非常に時間がかかったためです。 現場を知らない、あるいは知るつもりなどない、Qハイブメンバーを MLで根気強く説得する余力が私たち登記人にはありませんでした。 そんなことをしてる時間があれば睡眠時間にあてたい、というのが正直な ところで、つまるところML上での意思決定スピードでは現場の問題を解決 することはできないと絶望していました。

(4) 個人情報を扱っている

個人情報保護法が施行された今こそ誰もが個人情報の保護に意識的で あるかもしれませんが、Qハイブ内で個人情報を取り扱っているという 本当の緊張感をもって業務を行っていたのは、おそらくオフラインの 登記人だけだったと思います。入会希望者の中には本人確認書類の コピーではなく原本を郵送される方も多かったのですが、悪意があれば 犯罪はたやすく成立させることができます。私たちは登記業務を引き継いだ 時から、必ず複数で登記業務を行うことを取り決めていました。 それは前任の登記人の悲惨な状況を目の当たりにしていたために 登記業務が過酷であることを承知していたので、万が一、長期間ひとりで そのような登記業務を行っていたならば、たとえ本来高い倫理観をもっている 善良な人間であっても、一人で悩み追い詰められて自暴自棄になって犯罪を おこしかねないのではないか、と思っていたからに他なりません。犯罪の動機と つながるような自暴自棄に陥る状況を未然に防ぐこと、ダブルチェックを行い 登記ミスを防ぐこと、そのために複数の登記人でお互いを監視しながら 緊張感をもって業務をこなすことを私たちは義務付けていました。

そのような緊張感は通常の事務処理をこなす業務とは全く異なるものですし、 大量の個人の重要書類を目の前にすれば信頼を付託されたという重い責任を 感じずにはいられませんでした。さらに2002年5月ユーザーMLで非会員が 配偶者のメールアドレスを利用して投稿するという事件が起こり、Qハイブ内で 誰がQの講習会で間違った説明をしたのか責任を問われる問題が生じたことも 私たちの業務の厳密化を余儀なくさせました。個人情報の漏洩や架空口座の 取得が行われた場合、Qハイブ内で真っ先に疑いがかかるのは私たちで あろうことは明白であったからです。

しかし私たちが最も恐れたのは、Qハイブ内で自分たちに背任容疑が かかってしまうリスクよりも、自分たちが行った登記業務のミスで不正に口座を 取得する会員があらわれた場合、生じるであろうQの信用ダメージでした。

私たちの登記業務は非常に地味で根気がいる作業であるけれども、この業務を 丁寧に着実にこなすことこそが明日へのQの信用につながる。そして 私たちの登記業務のせいでもしもQが信用的ダメージを被ることになったならば Qそのものの信用性だけでなく、ひいては地域通貨全般の信用性を失うことに なるであろう。登記人の誰もが「一朝一夕で信用は得られず、一日で信用は崩れる」 ということを肝に銘じて業務にあたっていたのです。

(5) 南無庵利用に関するNAMとの交渉と共同利用

当時のQハイブメンバーは皆さんがご自分の業務を遂行するだけで精一杯の 状況だったので、Qハイブのメールで交渉内容の仔細を逐一報告することを しなかったのですが、南無庵利用に関するNAMとの交渉と共同利用にも 多くの時間を費やしました。

そもそも南無庵はNAM大阪が賃貸契約を交わした物件であり、NAM側の 好意でQハイブが間借りをさせてもらって使用していた事務所でした。しかし 不便な場所にあるためにNAM会員が利用することなく、実質的にQハイブの 事務所として利用されていました。

五月初旬にNAM大阪から経費削減のため事務所を閉鎖したいとの通達が ありました。

以下、長文につき一部抜粋して引用します。

From: "KANJINSHA(T.Fukui)"
To: q-project@q-project.org
Sent: Friday, May 03, 2002 4:51 AM
Subject: [q-project 2914] <重要>全−討議− Q-hive 新事務所について

福井哲也です。

 まずは、地域系大阪に投稿されました、地域系大阪代表、片田 さんのメールを引用させて頂きたいかと思います:

> 片田です。
>
> 7月以降の現事務所の取扱いについて、5月半ばから、Q管理運営委員会と
> 公式に交渉に入ろうと思います。そこで、みなさんのご意見をおきかせください。
>
> NAM大阪の地理的な問題と利用率の低迷・円収入の低下(家賃月37,000円に対し
> て地域系会費収入が下回っていること[nam-eventのセンター会計参照]・円会費
> 免除の方針)などの観点からも、現事務所閉鎖もやむなしかなと思うところです。
> もっとも、Qワークショップを開きたいというグループがあれば、申請によって
> 場所代を提供する方針です。
>
> そこで、Q管理運営委員会に反対がなければ、事務所を閉鎖したいと申しで
> ようと思っています。よろしくご検討ください。

 上記のような次第です。

 上記の文面から明らかな事は:

”Q管理運営委員会は、出来れば完全に(経済的に)自律しなければな らない”

 と、いうことではないでしょうか? 現在のQ-hiveはNAMの原理の 実現の為に、かなり発足を急がされた面があるかと思います。

 それ故、スタート時において、前センター事務局事務所であった南無庵 に間借りしてのスタートもやむをなかったかと思います。

 ですが、現時点において、上記の片田さんのご投稿にございますように 現時点、そして、これからのNAMの(経済的)状態は、かなり厳しい ものである&あろう、ことは間違いないかと思われます。

 それ故、現在の非常に有利な条件でのQ-hiveの事務所の間借り (確か、一月7000Q&円程度ではなかったでしょうか?)は 7月以降は到底望めない、ということを、まずは基本認識として みなさまに共通に持って頂きたく思います。

 上記のことから、7月以降のQ-hiveの事務所につきまして、考えられる 選択は以下のようになるかと思われます:

         ************

(1)もっと、交通の便のよいところに、新しくワンルームor 南無庵より、セキュリティのしっかりしたアパートを新しく 借りる。

 これが、可能でしたら、もっとも望ましい選択だと思われます。

 南無庵のデメリットと致しましては:

 a.交通の便が悪い→京都に不案内な方には、かなりわかりにくい (^_^;)ところにあります。
b.セキュリティがめちゃめちゃ悪い!→南無庵は昔ながらの書院造りの お茶室でして(お寺の離れです)ガタガタスカスカの建物です。 入ろうと 思えば誰だって侵入できてしまいます。 Q-hiveは運転免許証や保険証 印鑑証明、等々のかなり重要な身分証明証のコピーを扱います。 これらが外部に流失したら大変!なことになります。

 上記のデメリットを解決する手段として、新しくワンルームなり アパートなりを借りる、というのが最善の手段であるかと思われます。 が、みなさん、ご存じの通り、この選択の最大の難点は”経費が 高い!”ということであります。 新たに敷金、礼金まで賄う事に なりましたら、以前にQ-hiveでサーバーを借りる際におこなったような 一人一口一万円以上の寄付などが必要になるかと思われます。 最近は、大阪あたりでは、敷金礼金なし、即入居可で月三万の ワンルームなんていうのも見かけますが、京都ではどんなもんで しょうか・・・?

しかし、Qハイブ側に完全に独立して事務所を構えるだけの財政状況に ゆとりがなく、新たな事務所物件探しのための人材確保が難しいことや、 仮に新しい事務所を構えたとしてもそこへ通って業務できる新たな登記人を 探し出すことが極めて困難なことから、オフライン登記人3名が交渉窓口と なってNAM大阪側に共同利用してもらうように働きかけました。 幸いNAM大阪代表だった片田さんは元Qハイブメンバーであり、 Qハイブの窮状に対して深い理解がありましたから、Qハイブ側の意向を くんでご尽力くださいました。片田さんに南無庵に来ていただき連日協議を 重ねた結果、下記の南無庵基金設立の合意に至りました。

From: "Katada Naoki"
To: info@q-project.org
Cc: "NAM 大阪"; "NAMセンター評議会"
Sent: Tuesday, June 04, 2002 3:42 PM
Subject: 南無庵の今後について8 昨晩の話し合い


> To:Q運営部オフライン担当者 各位
> CC:Q管理運営委員会、NAM大阪、関係各位
>
>                        NAM大阪代表 片田 直樹
>
> NAM大阪の執行部とQ管理運営員会運営部オフライン担当者は、2002年6月
> 3日午後11時より、南無庵において、今後の南無庵の運営方法について、
> 協議を行い、下記の事項について方向性を確認しました。話し合われたみなさまに
> 置かれましては、内容を再度確認いただくとともに、それぞれの組織において、
> 正式な決定事項とできるかどうか、ご確認ください。
>
> 仮合意事項――――
> ・NAM大阪とQ管理運営委員会は、それぞれの目的を達成するため、
> 当面6ヶ月、共同して事務所を運営する。
> ・ただ、一方で、事務所の運営は、京都を中心とする地域系活動の自律的な
> 発展をも促すことを考慮し、NAM大阪とQ管理運営委員会が指定する理事の
> もとでという限定つきで、南無庵に集まる個人の連合によって南無庵が自主的に
> 運営・管理されることを、容認する。さらに、土地(場所)に対する協同組合的
> 「所有」は、私的所有に対する対抗運動の基礎となり、また、Qの普及にも
> 貢献しうると考えられるから、将来的には、そうした自主的な運営・管理に
> よって、南無庵基金それ自体が維持されることが望ましいとさえ考える。
> ・以上より、下記の基金のような運営を通して、事務所を共同して運営して
> いく方向を確認する。
>
> ■資料
> 南無庵基金 規程―――
>                 
> 1(南無庵基金) NAMあるいはNAMの生み出したプロジェクトの目的を
> 実現するために南無庵が使われつづけることを目的とし、当規程に賛同する
> 拠出者(ただし、NAM内の組織あるいはNAMの生み出された組織以外には、
> 拠出者になることができない。)からの拠出金と、当規程に賛同する個人から
> の会費により、南無庵基金(以下、基金とする。)は設けられる。南無庵の
>費用は、ここからまかなわれ、また、基金は、南無庵の以外のために
> 使われない。
> 2(拠出金の額) 拠出者は、維持期間6ヶ月あたり125,000円を前払いで
>基金に拠出する。
> 拠出した維持期間に発生した費用につき、基金が債務超過に陥ったときは、
> 拠出者は、その債務を均等に負担するものとする。
>
> 3(南無庵の費用) ここでいう費用は、次のものとする。賃借料・家主への礼金・
> 火災保険料・敷金を含む修繕費・水光熱費・消耗品費(対象を特定としない
> 南無庵での社交にもっぱら使われるためのお茶の葉や、管理用の合鍵作成を
> 含む)。
>
> 4(基金の管理) 基金の管理は、拠出者が指定する理事によって行われる。
> なお、同一の人物が、複数の拠出者に理事に指定されることは、これを妨げない。
>  理事は、自らを指定した拠出者になんどきでも解任させられえる。このとき、
> 後任の理事を拠出者が指定しないときは、現存する理事によって、基金の
>  管理が行われる。理事は、基金の会計報告を、3ヶ月ごとに、拠出者に
送付しなければならない。
>
> 5(基金の清算) 債務超過に陥るか、陥ることが予測される場合、拠出者また
> 理事はすべての拠出者の同意を得て、基金を清算することができる。また、
> 拠出者がいなくなったとき、この基金は清算される。清算の事務は、最後の理事が
> これを行う。なお、それまでの債権債務関係を解消したのちも、残余財産がある
> 場合は、過去の会費額に応じて連絡> 先の判明する賛同者に引き渡される。
>
> 6(南無庵の管理) 南無庵の管理は、基金の理事がこれを行うことができる。
>
> 7(使用規程) この規程に同意するNAM会員ならびにQ会員は、南無庵を
> 使用することがで> きる。これ以外の者も、この規程に同意し、NAM会員あるいは
> Q会員が共に使用する場合に限り、使用することができる。
> 使用の予約をした場合には、優先的に使用することができる。予約は、
> 理事もしくはその指定した者が管理する。
> ところで南無庵は、公的な場であるが、私的な使用もみとめられる。公的な
> 使用と私的な使用の調整のための具体的な基準は、すべての拠出者の同意を
> 得て、理事が定める。

> 8(紛争の解決) 拠出者・賛同者・使用者は、南無庵の運営に関して紛争が
> 生じた場合、当事者がともに指定する第三者の仲裁にこれをゆだねることを、
> 同意したものとする。
>
> 附則 維持期間2002年7月〜12月に対応する拠出者を以下の通りとする。
> NAM大阪 〒606-8414 京都市左京区浄土寺真如町22 迎称寺(こうしょうじ)内
> osaka@nam21.org
> Q管理運営委員会 〒606-8414 京都市左京区浄土寺真如町22 迎称寺
>(こうしょうじ)内
> info@q-project.org
>
> 附則 NAM大阪とQ管理運営委員会は、2002年6月4日より、以下の者を理事とする。
> 氏名 田中希生
> 住所 
>
> 附則 南無庵基金の住所を次のようにさだめる。
> 〒606-8414 京都市左京区浄土寺真如町22 迎称寺(こうしょうじ)内 茶室

上記の文面における仮合意事項にあるようにNAMとQの双方の利益にかなうよう NAMの地域系活性化とQの普及を目指して、私たち登記人は多くのNAM会員・ Q会員の有志の協力を得てQ市・休茶会を開催しました。 実はQ市・休茶会の開催の動機にはNAMの地域系活性化とQの普及といった 目的のほかに、実際には見つけるのは難しいだろうがひょっとしたら次期登記人 の候補者が探し出せるのではないかという淡い期待のような思いもありました。

確かに登記業務に加えてQ市・休茶会を開催することは体力的に厳しいもの がありましたが、多数のNAM会員・Q会員の参加してくださり交流を深める機会を 得られたこと、またこれらの催しをきっかけにQに入会するひとが徐々に増えて Qが普及していくことを実感できたことは私たち登記人の大きな喜びでも ありました。

しかし、今から思えばNAMとQの蜜月期に思えるこの時期に、登記人は Qハイブに辞意を表明せざるを得ない状況に追い込まれました。

Q市・休茶会を開催することで知り得たQの問題点やQ会員の声をQハイブに 届けたかったのですが、それをかなえられなかったことは非常に残念です。

補論 Silent Majority と 通貨

摂津さんのように明晰な頭脳をもっていないので自分の考えをうまく整理 できないのですが、ちょっと思うところがあるので書いてみます。

先のメールで述べたように私たち登記人は南無庵で登記業務とは別に Q市・休茶会を開催していました。開催規模が小さいにもかかわらず 多くの方が参加してくださり、NAMやQには何の関心もなかった人までが Qに入会されることがよくありました。

また、南無庵がNAM地域系の事務所であることや、Qハイブの事務所で あることをご存知の方は、わざわざ遠方(九州や四国)から訪ねて来られる ことが度々ありました。FAXで「訪ねますのでよろしく」といった文書が 送られることもあり――多くの方は南無庵で毎日誰かが業務をしている ものだと思っておられるので――せっかくお見えになるのだからということで 登記業務がない日も登記人の誰かが顔を出して応対していました。

本音を漏らすと登記業務だけに専念できる方が体力的に楽なのですが、 南無庵で出会った人々は皆さんが登記業務にエールを送ってくださって いて、私たちも勇気づけられたものです。

こうした活動の中で見えてきたのは、MLではほとんど発言する ことのないSilent Majorityが意外に多かったという事実です。 彼・彼女らの多くがアクティブな社交家で――そのため遠方から 南無庵まで出向いてくれるのですが――自分の考えを言語で体系化 して他人に伝えることが億劫、あるいは苦手な(特にML上においては) 人々です。しかしこういったSilent MajorityはML上で黙っている いるだけで、基本的に多義的な言語に対する即応性が高く、人の集まる 交流の場でコミュニケーション能力を発揮する、いわばQ普及の キーパーソンとなる人々でした。

彼・彼女らは実に率直にQにまつわる様々な話をしてくれましたが、特筆 すべき点は、誰もQの理論(規約)を全面的に肯定・信用して入会して いるわけではないということです。

「Q規約は官僚が国民をごまかすときの答弁に似て難解である」、「入会 する際、個人に対して本人確認書類の提出を厳格に義務付けている のに、一組織であるQ管が運営の健全性を問う基本資料である会計の 情報開示を怠っているのは納得がいかない」、「Qファイナンスがあって 会計報告がないというのは、虚実転倒の胡散臭い詐欺まがいの団体 と思われるのではないか」等など。

他にもコンピューターに無知な私にはわからないWinds_qのシステム不備 に関する話や、赤字上限の問題――当時からヘビーユーザーの間で 疑念をもたれていたので、実行に移されたことには驚いたが問題その ものには驚かなかった――をよく耳にしました。

では、なぜこのような否定的意見を持っているSilent Majorityは Qに入会したのか?地域通貨Qを「育てる意志」を持っていたからです。 Qに現行の資本主義経済システムにはない魅力や可能性を見出して、 Q規約やQハイブに多少の疑義はあるが、自分たちが立役者となって Qを普及させたいというほとんど捨て身に近い覚悟のような考えが 彼・彼女らには共通してありました。

Q規約に対する信頼性が薄いのにQ市に出かけて行ってQで売買する ことは、一見すると矛盾する行動のように思いますが、一概にそうとは 言い切れないでしょう。人が現実的に生活を営むにあたって、経済理論 の信頼性よりも自分が知りうる身近な他者への信頼性に重きをおく 考え方や行動は処世術として有効です。

例えば、ほとんど多くの日本人はモノを買う時、単に商品そのものや その商品を販売している人や会社の信頼性を吟味してモノを買う のであって、日本の金融システムの信頼性など問う人はまれです。 よほど不安定な国の通貨でないかぎり、人は自分が帰属する国民通貨 システムに信頼をおいてなくても、売り手や商品に信頼性がある場合 モノを買いますが、その逆に通貨システムに信頼性があっても売り手や 商品に信頼性がない場合、人はモノを買いません。つまり、かなり荒っぽく 極論すると、ある通貨が流通する上で重要なのは、通貨システムの 信頼性よりも通貨を使う人への信頼性なのです。

経済はよく生き物に喩えられますが、経済学の理論だけでは御し きれない不合理性を必ず孕みます。なぜなら、通貨は人を介在して 流通するのだから。

「木を見て森を見ず」という言葉があるけれど、当時のQとNAMの 主要メンバーは「通貨を見て人を見なかった」のではないですか。 ヴァーチャルな「経済学」をやっていて生身の人間の実感がともなう 経済を軽んじていたのではないでしょうか。特にQのかつての 代表者メンバーには「経済学」をやるまえに「心理学」をやった方が はるかにQ普及に役立つと言いたかったですね。

人間とは何か、人間関係の信頼形成とはどのようなものなのか、 といったことへの考察なしに地域通貨の経済活動を行っても長期的 展望は望めないと思います。人間の機微に触れるのにはML上での 議論だけでは困難でしょう。病気とか家庭事情などのデリケートな問題を 公的なMLの場で明かすこと自体がさらなる苦痛を生んでしまうことが あるのです。実際、初代登記人の例がそうでしたし、その当時の Qハイブ代表者メンバーは彼のおかれている状況に対してあまりにも 愚鈍でした。私はあの時からQの瓦解がすでに始まってしまっている ことを意識していました。オフライン会議を強く要求したのも この時に「現実はMLでは伝わらない」と強く感じたからでした。

ちょっと話が脱線しそうなので軌道修正します。 やはり私は、末期のNAMが会員数を減らしてしまったのも、Qの流通が 活性化されなかったのも、ML中心の観念的な議論の応酬ばかりに 時間をさいて積極的にSilent Majorityと交流することをしなかった からだと思うのです。どういった運動であれどういった経済活動であれ、 運動は広がらなければ運動たりえず、通貨は流通しなければ通貨たりえない。 NAMとQはMajorityの肉声が届かないという点で致命的な問題を共有 していたのであって(この点に関して柄谷さんは私たち元登記人以上に 危機感をもっていたと思います)、両者の共倒れ現象は遅かれ早かれ やってきたのではないでしょうか。少なくともNAMとQのどちらか 一方が組織としてMLではない形でSilent Majorityの肉声を フィードバックできる回路をもっていたならば、最悪の事態は回避 できたのではないでしょうか。その意味でNAMは地域系の活性化に 力点を置くべきだったと思うのですが――。

長文になりましたね。まだ言い足りないことがたくさんありますが、 私が考えるNAMとQの本質的な部分はこんなところです。

それでは、また。


西原ミミ
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