2005年7月27日に気が付いた事

 私は、この数日、衆議院法務委員会の自民党議員の理事や委員に‘「共謀罪」を廃 案へ’という要請メールを送信しています。まだ半分位の議員にしか送信していませ んが、自分が得る所もありました。例えば、メールを打つ議員のHPにアクセスし て、議員がどんな発信をしているかを確認しその人柄を感じ取ろうとします。こうし た地道な作業だけでも、見えて来るものがあります。こうした中で7月26日の超党派 議員と市民の集会に台風の中参加しました。その帰り道から寝るまで頭に響いていた 「こんな法案を自民党が通そうとするのは、何故だろう?」という疑問に就いて、翌 日の朝にめ始めました。心に浮ぶままに。ストレートな答えは出ないと思いながら。

 「共謀罪」が極めて危険極まりないものであることは、集会に参集した人々には、 そして私にも、当然の共通認識であることは十分確認できました。しかし会場を1 歩、外に出ると、その環境は反転します。世は事も無し、雨の中です。しかし「共謀 罪」をめぐる闘いの一つの大きな戦場はここにあることも実感できました。

 これからは、「共謀罪」がどれだけ自分の日常生活に密着した問題であるか、或は 問題と成って来るのか。そして、それがとんでもないザル法であり、国家権力、警察 官僚の裁量・拡大解釈にどんなに有利なものとして作られているかなどの問題を一般 大衆レベルで周知させることが重大課題であると痛感しました。今はに民主主議の危 機ですね。この危機が、明日?、1年後?、3年後?、5年後?、10年後?、20年 後?、30年後?、…に現実化するのか分かりませんが、「共謀罪」が成立した瞬間に その秒読みはスタートするのです。国家主義の毒牙が国民の柔肌に迫っている。その 時、身に迫る危険を知らされることが無い国民は従来通りの‘しさ’で、まるで羊の ようにその「飼主」につき随う。その時、羊は「感じ」ています。「飼主」は、優し い。いつも餌を呉れ、大人しくしていればそれで好い。自分等にそんな悪辣非道なこ とをするなんて「感じ」もしない。「飼主」が取り締り、懲らしめるのは、僕らに悪 いことをするであって、善良で大人しい自分には何も関係無いことだ。悪いを手っ取 り早く、速やかに「処理」をする為なら少々のこと(自分の生活に関係の無い事)は 構わない。自分の知った事か。具体的にどうこうするのは優しくて信頼出来る「飼 主」様の裁量にお任せしましょう。というのが私が感じる平均的国民大衆の考えてい ることの印象です。そして、国家官僚、与党自民党の国民大衆操作の眼目は、この図 式の拡大再生産にあると睨みました。「飼主」は自分の優しさ、信頼感醸成を謀りな がらです。

 この図式をどう破るのかが今後の大きな課題になると思いますが、その前に確認す ることがあります。この図式をどう理解できるかです。

 国家を牧場に例えましょう。牧場には牧場主がいます。そして「飼主」、カウボウ イがいます。そして牧羊犬がいます。そして、牧場の資産として、牧畜がいます。こ れを現実社会に投影してみましょう。牧畜は国民です。牧羊犬はさしずめ警察官僚の 下僕でしょうか。カウボウイは官僚群でしょう。「飼主」は支配層として置きましょ う。例えば与党議員の選挙区での彼の役割はぴったりです。牧場主は支配層のトップ ですから象徴天皇制ので議論もある所ですが、一応三権の長とでも言って置きましょ うか。

 こうした図柄で現実を改めて見ると、政府官僚、与党自民党の本音の意図が見えそ うです。

 国民大衆は牧畜だから考えることはさせないようにします(安保闘争後の政府与党 肝煎の学校教育の「成果」を見て下さい)。そして「飼主」の言うことに大人しく従 うように、言う事を聞いていれば美味しい餌が貰えるよとます。そして牧場主にとっ て都合の好い事を「飼主」やカウボウイを使って、牧畜である国民大衆に宣教し捲く ります。考えることを忘れた国民大衆はそれを唯唯感覚的に受け入れて仕舞います。 こうして平和な、平和な牧場は運営されてゆきます。偶に反抗したり、聞き分けの悪 い牧畜はカウボウイと牧羊犬を使って「処置」します。そしてまた平和が牧場に戻り ます。これが、支配層、政府与党の自民党、官僚の描く国民大衆の統轄管理の理想図 でしょう。

 であるとすると、この「共謀罪」の導入は支配層、与党自民党、官僚の本音から出 た国民管理の理想構想から編み出された思想が、その基盤にあると理解しなければな りません。ことは重大です。

 それと、私が「何故だろう?」と思った疑問の核心を掴んだように思います。それ は、支配層、政府与党の自民党、官僚は本音の奥底では国民を人間として把握してい ない(民主主義で主権者は国民であるなんてことは笑い話と言う以上の時代錯誤の認 識です)。その一方で国民は、自分は人間だと当然思っている。この双方のギャップ が、人間・社会に対する、建前とは違う本音の部分の、この理解のギャップがそれな んだと。

 憲法改悪(私はこれを現憲法の否定であると定義しています。)、教育基本法の改 悪(これも同断です。)、国旗・国歌の制定、住基ネット施行の強行、「共謀罪」法 案制定の策謀などが一本の線として繋がります。

 こうした動きを私は国家主義の民主主義への挑戦と受け止めています。

 この時代認識を、危機意識を皆さんとどうしたら共有できるのか、考え続けていま す。そしてささやかな行動として住基ネット差止訴訟の原告となったり、この「共謀 罪」に重大な関心を持っている訳です。了 
                            

                           2005年7月27日

                             二田水弘平


二田水弘平
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