陳述書@

 2004年12月27日

陳  述  書



 東京地方裁判所 民事第25部 御中



                      原 告 斎  藤  貴  男



はじめに 

結審に臨んで私の見解を述べる機会をいただき、ありがとうございます。本件の原告 である私はここに、住民基本台帳ネットワークという存在をなぜ恐れ、ジャーナリス トとして社会に警鐘を乱打してきただけにとどまらず、こうして国などを相手取る裁 判まで提起するに至ったのかを改めて申し述べたいと思います。 

政府をはじめ住基ネットを推進する側の人々はかねて、このシステムが、「国民の利 便性が高い」「国民のプライバシーの権利を侵害しないよう配慮している」と強調し てきたわけですが、それは事実を正確に伝えていません。先入観や思い込みの類では 断じてありません。私は、推進側関係者たちへのインタビュー取材を中心に、あるい は入手し得た公文書などに基づいて、以下の事柄を明らかにしたいと思います。

@住基ネットは、国民総背番号制度の構築を前提にしているということ。

A国民総背番号制度が完成した場合、どのような事態が招かれるのか。すなわち、他 のICカード関連プロジェクトなどとも連動して、国民一人ひとりの一挙手一投足が 行政および企業によって把握され、監視されてしまうこと。

B住基ネットを推進する側の人々の狙いは、まさにこのAの点にこそあること。

C住基ネットを推進する側の人々にとって、国民のプライバシーなど考慮の外にしか ないこと。

Dしたがって、住基ネットを推進する側の人々は、これに反対する者、危惧する者の 意見になど耳を傾けようともしないできたこと。

  なお、必要に応じて資料も添付しました。



1、プライバシー問題を取材するようになったきっかけ

第一回口頭弁論(2002年11月21日)でも触れましたが、私が住基ネットの取材を始め たのは、講談社の雑誌『Views』の編集者から、「プライバシーもので何かやってく れないか」という漠然とした依頼を受けたのがきっかけでした。1996年暮れのことで す。通常はもう少しテーマも明確で、ある程度は取材先なども固まった段階で発注さ れる場合が多いものですが、編集部にどのような事情があったのか、いずれにせよフ リーの物書きとしては、これを何とか形にしていかなければならないため、いわゆる プライバシー問題に関係ありそうな資料を片っ端から入手し、読み込んでいくことに しました。思えばようやくありつけた大きな仕事に感謝しつつ、持てる能力のほとん どすべてをつぎ込むことのできた、贅沢な取材でした。人の話を聞くだけでなく、関 連する論文を読んだり、考える時間もたっぷりありました。

2、とりわけ住基ネットに注目した経緯

 手当たり次第に集めた資料の中に、1996年11月1日付けの『官報』がありました。 そこには、〈行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律 の規定に基づき、〉として、国が保有する約700種類もの個人情報ファイルと、それ ぞれの内容、目的などが告示されていたのですが、そのボリュームに圧倒された私 は、関係者の間を走り回って、これら各省庁の関係部局が抱える個人情報ファイルを 一本化しようとする動きがあり、実は前記『官報』が発行された当日には倉田寛之自 治相(当時)が閣議後の記者会見で、住民基本台帳のネットワーク化を目指した改正 住民基本台帳法案を翌1997年の通常国会に提出する方針だと語っていたことなどを知 ることになります。新聞の縮刷版を繰ってみますと、その記者会見の内容は確かに報 じられていました。ただ、いずれの紙面でも扱いはきわめて小さかった。あまり問題 にされていないのかなと思いながら、しかし、どこか引っかかるものを感じた私は、 地味な資料集めや周辺取材、政府高官らへの取材要請を進めます。『Views』編集部 は小峰敦子、西村健の両記者をサポートにつけてくれました。

 はばかりながら、私はこの時ほど、日本の新聞がその存在価値を失ってしまって いる現実を思い知らされたことはありません。改正法案の提出方針が記者会見で大臣 の口から明らかにされたぐらいですから、住基ネットの計画そのものは秘密でも何で もなかったわけです。でも、それ以前から周到に進められていた準備を踏まえて、き ちんと全体像をあぶり出そうとしたマスメディアは、私の知る限り皆無でした。

3、住基ネットのシミュレーション

 一枚のICカードに住民票や戸籍、健康保険、印鑑登録証、郵便貯金のキャッ シュカードなどの機能を盛り込んだ、いわゆる市民カードの実証実験が典型です。大 分県佐伯市をはじめ、山形県米沢市、兵庫県五色町などで推進されていた実験の数々 に関する報道は、地元紙などを中心に、決して少なくはありませんでしたが、どれも これも単独の政策として、利便性ばかりを強調した記事に仕立てられていたのです。

 市民カードは、しかし、それほど甘いものではありません。島根県出雲市の例を 示してみます。住基ネットがスタートするまで、この町には二種類の市民カード・シ ステムが存在しました。93年11月に発行が開始された、零歳児から中学3年生までを 対象にした「児童カード」。および、97年1月からの18歳以上向け「市民カード」の 二つです。97年当時の出雲市のホームページによると、それぞれのカードには次のよ うな個人情報が記録されていました。

 「児童カード」には、カード番号、氏名、生年月日、性別、住所、照会番号、救急情 報(電話番号、学校名、保護者氏名、続柄、緊急時連絡先の氏名・住所・電話番号、 血液型、アレルギー歴、薬品副作用歴、血清使用歴、特記事項)、既往歴情報(本 人・兄弟姉妹および父母・父方祖父母、母方祖父母)、母子健康手帳情報(出産時の 状況、四ヶ月健診、一歳六ヶ月健診、三歳健診、運動機能、精神発達状況、身体計測 結果)、学校健診情報(身長、体重、座高、視力、聴力、心電図、尿、寄生虫、血液 の検査結果、栄養状態、脊柱、胸郭、眼、耳鼻咽頭、皮膚、結核、心臓、その他の検 査結果、歯、口腔の健診結果で四歳から十四歳までの十一年間×三学期×三十三回 分)、乳幼児期の予防接種情報、小中学校での予防接種情報。

 「市民カード」には、個人基本情報(カード番号、氏名、生年月日、性別、住所、電 話番号、本人申告による暗証番号)、行政窓口情報(本籍地、筆頭者氏名、印鑑登録 番号)、図書貸し出し番号、救急情報(緊急時連絡先の氏名・続柄・住所・電話番 号、血液型、かかりつけ医師名、医療機関服用薬品名、併用禁忌薬品名、薬品副作用 歴、アレルギー歴、血清使用歴、既往歴・発病年齢・経過、特記事項)、健診情報 (基本健康診査結果、事業場での健康診断結果)。

  個人の健康や肉体に関する膨大なデータが市役所によってコンピュータ管理され ている点が、出雲市の際立った特徴でした。それにしては図書館の貸し出しなど場違 いなところでも使えるのが妙です。また、この内容だとあまり関係のなさそうな市の 税務課にも、出雲市民カードの運用端末は置かれていました。

 もしかしたら、これらは住基ネットのシミュレーションではないのか。私はその ような仮説を立てて、前記の小峰、西村の二人にいくつかの現場に飛んでもらい、自 分自身はと言えば、直後の97年夏、それら市町村単位の実験を県レベルに拡大すると いう岐阜県のICカード計画の取材に力を注ぎました。すると、興味深いことが次々 にわかっていきました。

4、住基ネットの推進体制

 案の定と言うべきか、岐阜県を率いる梶原拓知事は、自治省が96年春に設置した 「住民基本台帳ネットワークシステム懇談会」の委員でした。計画をまとめた岐阜県 「産官学ICカード導入研究会」(座長=石井威望・慶應義塾大学教授)のメンバー も、はたして前記「懇談会」の以前に自治省が設けて報告書をまとめさせていた「住 民基本台帳ネットワーク研究会」の実務部隊とほぼ同じメンバー――自治、厚生、通 産、郵政各省の情報システム担当課長や関連団体の幹部たち、ICカード関連企業13 社(NTT、NTTデータ通信、富士通、NECなど)の部長クラス――で構成され ていたのです。石井座長を補佐する副会長には、この間ICカードの最高権威であり 続けている大山永昭・東京工業大学教授、および自治省の情報管理官や大臣官房企画 室長を歴任した後に岐阜県に転じてきた森元恒雄・副知事が就いていたことからして も、岐阜県の計画が国の意志を反映したものであることは明白でした。

5、NTT・石田守理事への取材

 取材は順調に進みました。初期の段階で印象的だったのは、自治省の「研究会」 と岐阜県の「研究会」の両方に参加していたNTT法人営業本部第二営業部都市開発 営業部の石田守理事(当時)です。97年の4月30日に東京・日比谷のNTT本社でお 会いした彼に、私は、「岐阜での実験は、いずれ国民総背番号制度へと発展していく のではないか」と尋ねました。

 「個人情報のすべてを一元管理できるほど、世の中は単純ではないですよ。個々の サービスごとに番号があって、それぞれの処理はサブシステムに任せてもいいんで す。中枢のシステムが、その渡りをつけられれば。」

 石田理事の回答はこのようなもので、さらに、こう続けてくれました。

 「ICカードは、国内のパスポートだと考えてもらえばいいと思う」

 私はハッとさせられました。善悪や好悪の判断を除けば、この人は事の本質を、 きわめて的確に表現してくれている。実は国民総背番号制度という概念には客観的な 定義がありません。推進派と反対派の議論がまともに噛みあったためしがないからで すが、要は一人ひとりが生まれ育った祖国においてでさえも、“パスポート”の携帯 を義務づけられる仕組みだと捉えればわかりやすいのかもしれないのです。とすれば 番号そのものは必ずしも統一されていなくても、管理する側が管理される側の個人情 報をデータベース化し、名寄せできれば同じことなのではなかろうか――。

6、梶原拓・岐阜県知事への取材

 石田理事の言葉が、私の頭の中をいつまでもぐるぐると回り続けました。そして 一ヶ月と数日後の6月3日、私の住基ネットに対する不安は決定的になったのです。 この問題について責任ある立場の関係者らへの取材がいくつか実現した中でも、とり わけ岐阜県の梶原知事から、ちょっと凄まじい言葉を引き出してしまったのです。

「皆さんの抵抗の少ない領域から入っていくつもりです。抵抗の強いのは後回しだ。 納税者番号(との連携)なんかそうですね。でも、サラリーマンなんかどうせガラス 張りで、何も隠しようがないんだから。今だって(国民総背番号制度を)やられてる ようなもんなんだから、今更どうっちゅうことはないんです。恐れたり嫌がったりす るのは、中小企業の経営者とか、ごく限られた人たちだけなんです」

 県庁の知事室でお会いした梶原知事は、岐阜県のICカード計画が住基ネットを 一日も早く実現するために自ら買って出た取り組みであることを明言されました。そ れは近い将来の完全な国民総背番号制度を大前提にしていることなどを、源泉徴収と 年末調整のコンビネーションから成る、いわゆるサラリーマン税制を例に取りつつ、 示唆してくれました。サラリーマン「なんか」とか、「どうせ」「今更」といった表 現が気になりました。自治省の「懇談会」に参加していた際のエピソードを交えての 発言には、住基ネットを推進する人々の発想法というか、国民観、エリートでない人 間をとことん見下した視線を感じて、寒気さえ覚えたのをまざまざと記憶していま す。彼は私に、次のようにも語ったのでした。

 「(「懇談会」の席で)国民総背番号がどうだこうだとゴチャゴチャ言う人がいたん で、私はシビレを切らしてね。いつも持ち歩いている携帯電話とパソコン端末の『ザ ウルス』を取り出して、実物教育をしてやった。マルチメディアには無限の使い道が あるんだぞ、と。

 観念論は役に立ちません。いつまで話し合ったって、コンセンサスなど得られっこ ない。嫌な人は参加しなくて結構だ。とにかく始めてみて、問題点があれば少しずつ 改めていけばいいんです」

 事はどうでもいいような問題ではないはずです。この国に住む個人一人ひとりを 番号として一元管理することが許されるのかどうかという大テーマを、問答無用で 斬って捨ててしまおうとする態度はひど過ぎる。「参加しなくて結構」で済むならそ れもまた結構ですが、事の性格上、それは絶対に無理なのですから。

 それまでの取材だけでは、なるほど観念論の域を出ていなかったかもしれない私 の住基ネットに対する違和感が、明確な怒りを伴った瞬間でした。と同時に、梶原知 事の考え方が前述のような人事シフトとなって形づくられていく現実に、私は国家と いうものの強大さ、恐ろしさを、つくづく感じたものです。

7、国民総背番号制度とは

 取材の準備のために読んだ『一億総背番号』の内容が、脳裏に甦ってきました。 総務庁長官や外相を歴任した中山太郎・衆議院議員が、まだ参議院議員だった1970 年、日本生産性本部から出版した書物です。国民総背番号制度という発想が初めて本 格的な国民的論議に晒され、ついには潰えた時代の、本書は推進派のバイブルでし た。

〈国民一人一人に背番号をつける。K君は一九七〇年一月一五日生まれだから700 115。これにその日の出生届けの受付順で3648という一連番号がついて、合わ せて7001153648。この番号を持つ者は日本広しといえどもK君以外に一人 もいない。K君はこれを一生変えずに年金でも保険でも税金でも住民登録でも、また 一般社会生活においても活用し、お役所の手続きには必ず使う。〉

 こんな「まえがき」で書き出される『一億総背番号』には、はたして「情報化時 代のパスポート」という形容が幾度も繰り返されています。NTTの石田理事の言葉 とシンクロします。30年近く前のようには単純でないだけで、住基ネットの本質と は、当時の国民総背番号制度計画と何ら変わってはいません。

 連想は膨らみます。漫画世代の私は、まさに『一億総背番号』の当時に子どもたちの 人気を独占した『仮面ライダー』の、テレビドラマ化される前の原作さえ思い出して しまいました。

 資料の甲44号の2をご覧ください。原作者の石ノ森章太郎氏は、“悪の秘密結 社”ショッカーの、テレビや腕時計に誘導電波を流して人間を思うままに操ろうとす る計画に、こんな説明を加えています。

 「……この計画はもともと、おまえたちの政府が、はじめたものだよ!……おまえ も、きいたことがあるはずだ。――“国民を番号で整理しよう”という、国会での審 議を……。……あの“コード制”というアイディアは、日本政府の『コンピュータ国 化』の一部なのだ」

 「もっとも、いちはやくそれをキャッチしたわが「ショッカー」本部が……、日の下 電子に政府が発注したこの電子頭脳の九分どおりの完成をまってのりこみ……、ぶん どって、一部に手をくわえはしたがな……!」

 所詮は漫画です。住基ネットがこれとまったく一緒だなどと言いたいのではあ りません。ただ、石田理事に取材をしたのが、あのオウム真理教事件の余韻がまだま だ覚めやらぬ時期のこと。その主体が結社でなく政府であるにせよ、人間を番号で管 理しようなどという発想の根底に、私はオウムと同様の漫画まがいの狂気、匂いを嗅 いでいたことを告白しないわけにはまいりません。この『仮面ライダー』のエピソー ドは、今回、初めて公にいたします。馬鹿馬鹿しすぎるのと、古い漫画を記憶してい た私の方がオタクじみて軽んじられかねない危険を恐れたからですが、神聖な法廷の 場で、裁判官に真剣に検討していただけるに違いない陳述書だからこそ、事実は事実 として述べておきたいと思いました。

8、政府説明の嘘

 私が『Views』の97年7、8月号に連載した「狙われたプライバシー」を基にし て、『プライバシー・クライシス』と題する新書を兜カ藝春秋から上梓したのは、99 年1月のことです。この間に他の媒体にも短い文章を発表し、それらを一冊にまとめ ていく過程で、住基ネットに対する疑念はますます強まっていきました。

 住民基本台帳法を司る自治省は、改正法案を国会に提出した際、国民の利便性ばか りを強調していました。国民総背番号制度への展開などとんでもない、住基コードは住民基本台帳関連以外の事務には用いません、などとも。

 しかし、すべて嘘でした。住基ネットが本格的に稼動を始めてしまっている現 在、実際になし崩し的な多目的化、多機能化の一途をたどりかけている点については 後述しますし、かなりの程度は一般にも知られていることですが、すでに国会審議の 真っ最中から、政府も、関係する民間企業も、本当の狙いを隠そうともしていません でした。私の他には丹念に取材してみようとするジャーナリストがいなかったので、 あまり広くは伝わらなかっただけのことです。

 この時期の私が取材で得た、政府という権威の言葉が嘘だと断言できるだけの根拠 をいくつか列挙したいと思います。

 @ 旧大蔵省でかねて納税者番号制の導入に強い情熱を抱き、その問題についてなお 古巣に大きな影響力を残していた内海采・元財務官は、98年3月27日、彼の天下り先 である東京・大手町の日興リサーチセンターで実現した取材で、住基ネットと納税者 番号制との関係を、次のように語ってくれました。

 「国民経済的にも、住民番号と納税者番号は同じである方が有利でしょう。わざわざ 別々にするのは不経済ですよ。財政上も、一人ひとりの手間という意味でもね。

 住民票の番号は他に使わせないと自治省は言っているようですね。法案にも明 記されたのだったかな。でも、それならそれで、のちのち法改正をしながら(納税者 番号制との連動を)すすめていけば済むことです。今はとにかく、理屈抜きで実現し ていくことが大事。納番制についての国民的合意ができれば、どうせ相乗りする方が いいということになるのだから」。

 ――不完全な形でも何でもよいから、とにかくできる限り正面切った議論を避 けて、法律を通してしまいさえすれば、国民世論など後々どうにでもなる。インタ ビュアーとしては相当にきわどい発言を引き出しているつもりなのに、終始にこやか だった内海元財務官の表情に、私は国民総背番号制度を推進する人々の自信、それま でに国民の目に隠れて周到に積み上げられてきた準備の厚みを目の当たりにさせられ たような気がしたものです。

 A 二ヵ月後の5月28日、私は東京・茅場町の鉄鋼会館で、ICカードシステム利 用促進協議会(JICSAP=Japan Ic Card System APplication council)の第六 回総会を取材しました。93年3月に通産省とNTTデータ通信の主導で設立されたこ の団体は、ICカードを基盤とした社会の創造を目指し、その仕様の標準化、利用技 術の検討などを目的に、関連メーカーや金融機関、公共機関等のユーザー、政策プラ ンナーなどが横断的に連携するための会員制組織です。いわば日本におけるICカー ド産業の元締め機関。総会の場で配布された資料には、そして自治省が市町村レベル で重ねてきた市町村カードすなわち住基ネットのシミュレーションをはじめ、大蔵省 や通産省、厚生省などほとんどすべての中央官庁のICカード関連プロジェクトの中 核にJICSAPがあることを、明確に示していました(甲44の3)。

 となると、その成り立ちが気になります。調べてみると、JICSAPが誕生する 四年前の89年2月、内閣内政審議室に13省庁の局長クラスが名を連ねる「税務等行政 分野における共通番号制度に関する関係省庁連絡検討会議」が発足していた事実がわ かりました。前年の12月に、政府税制調査会が納税者番号制の導入を打ち出す答申を 発表したのを受けてのことです。内政審議室はどこまでも取材拒否の構えでしたの で、完全な裏を取ることはできなかったのですが、この「検討会議」とJICSAP との関係性を仄めかしてくれた関係者は一人や二人ではありません。

 B 同じ頃に入手した、東京都三鷹市が97年7月から98年2月まで行なった電子マ ネーの実用化実験に関する報告書からも、その背後にいた大蔵省、さらにはオール日 本政府の国民総背番号制度への期待、シナリオの存在を読み取ることができます。そ こには客観的なデータの一切が示されず、「実験により判明したこと」の一つとし て、「(電子マネーと)行政カード機能との一体化を望むモニタの数は多い」とだけ 記されていたのです。

9、スウェーデンからの警告

 本件訴訟の第一回口頭弁論でもお話した、99年5月6日午後の衆議院地方行政委 員会に参考人として招致された際の出来事を、ここでも繰り返さなければなりませ ん。この日の午後に私自身が体験した出来事の前に、まずは当日の午前中、かねて情 報源にさせていただいていた石村耕治・朝日大学教授(税法、現・白鴎大学教授) が、やはり参考人席に立った時のお話からさせてください。私は院内のテレビで見て いました。

 石村教授は、96年1月24日に埼玉県の主催で行われた「プライバシー保護国際 フォーラム・イン・彩の国」の講演録を示されていました。国民総背番号制度につい ては世界の先駆けであるスウェーデンの、アニタ・ブンデスタム・データ検査院長官 が――現職の政府高官であったにもかかわらず――、こんな発言をされていたという のです(甲44の4)。

「スウェーデンのいわゆるPIN(個人認識番号)システムについて、簡単に取り上 げたいと思います。まず最初に、このシステムを日本で導入することはお勧めしな い、というところから始めます。

 このシステムは、事実上すべての他国の国民とスウェーデン人を区別すること になりました。世界のどの国よりも早く導入した技術であり、多くの国民が後悔して いるのですが、気づかないうちに、私たちを次第に腐敗させる影響を持ち、多くの 人々にとってプライバシーに対する脅威のシンボルになった技術なのです。

 スウェーデン人であれば誕生と同時に10数字からなるPINが与えられま す。今日のスウェーデンでは、人は個人でなく、まず第一に、そして何よりもまず番 号なのです。名前と住所、そしてその他いくつかのだいたい正確なデータがついたP INなのです。個人としては、人はまったく無名です」

 「PINは危険です。この番号は公の物です。誰でも地域の税務当局を呼び出し、名 前と住所を告げて、誰かのPINを知ることができ、PINによって銀行口座番号、 通信販売会社の顧客番号等が含まれているほとんどすべての記録簿を開ける鍵が得ら れるのです。人の金に手をつけるとか、あるいは困った状況に陥らせることになる許 されない方法で他人のPINを利用して、その人のアイデンティティを盗むというよ うな危険さえあるのです」

 ブンデスタム長官の謙虚な、かつ警句に満ちた発言を知らされて、それでも住基 ネットを強行しようとすることができる人など存在するのでしょうか。私は不思議な 思いに囚われつつ、午後に予定されていた自分の出番を待ちました。

10、「聞く耳持たぬ」の与党議員たち

 私を参考人に推薦してくれたのは、当時はまだ改正住基法に反対の表明をしてい た民主党でした。一人の日本国民として、憲政の最高機関に認知してもらえたことを それなりに誇らしく感じていなくもなかった私の感慨は、しかし、実にあっさりと裏 切られました。

 住基ネットの問題点を懸命に話している私に、自民党と自由党、つまり住基ネッ トを推進する側の政治家はことごとく薄笑いを浮かべ、およそ口汚い野次を浴びせて きました。「聞いてらんねえよ」「なにも知らねえくせに」「先々どうなるかわから ないのは何だって同じだ」「政権を替えればいいだろ」。こういう人たちが、一方で は道徳の退廃を嘆き、愛国心教育を強制したがるのですから呆れます。いい年をした 大人が、まるでチンピラ中学生のような顔に、演台からは見えました。

 質疑応答に移っても、自民、自由の両党は、質問というより剥き出しの敵意だけ を示してきます。自民党の中野正志議員は、「斎藤さんの論理は余りにも飛躍しすぎ ではないかな、失礼な言い方をすれば被害妄想なのではないかな」と言ってきまし た。自由党の西村章三議員はさらにひどいもので、もう質問をしている時間がないと 前置きしつつ、私に対する中傷だけを残していきました。「いたずらに恐怖心をあ おったり過剰反応したりして、事実を正確にお伝えにならないその論旨は、私はどう しても理解ができない。最後にこのことを申し上げまして、私の質問を終わりま す」。取材で得られた事実や証言をいくら丁寧に説明しても、だからどうした、聞く 耳持たぬの態度が一向に改められないなら、お話にもなりません。推進派の意図が透 けて見えました。と同時に、この国の国会など、学級崩壊を伝えられる小学校の学級 会にも劣ることをあからさまに思い知らされて、私は心の底から悲しくなりました。

 なお、先に紹介した中野、西村両議院の発言は正規の国会議事録からの引用です ので、かなりの程度、きれいな言葉に整えられていることを申し添えておきます。

11、国民総背番号制度が導入されにくかった時代

 1970年前後に浮上した国民総背番号制度の議論について幾度か触れましたが、当時 は結局、政府の思惑が国民的大反対の前に敗れたことについては、改めて指摘するま でもありません。だからこそ石ノ森章太郎氏は安心して漫画の題材にも使えたのです し、35年も経った今、まだしもこうして議論する余地も残されているのです。下手を すれば、“経験者は語る”というやつで、今ごろ政府高官の誰かが外国で、ブンデス タム・スウェーデンデータ検査院長官のように、「我が国の真似をしないほうがいい ですよ」と諭している光景が見られたのかもしれません。

 もちろん、政府は国民総背番号という絶対的な国民支配のテクノロジー、あるいは 思想を、いつまでも捨て去ろうとはしませんでした。歴史を紐解けば、手を変え品を 変え、一般にはわかりにくい手口を次々に編み出しては、巧妙に構築してのけてやろ うとした形跡が窺えます。

 たとえば1980年に登場した「グリーン・カード」の構想です。別名を「少額貯蓄 等利用者カード」といい、個人が金融機関や郵便局に定期口座を開く際、原則として このカードを提示しなければならないというもの。カードには交付番号がついてい て、この番号を使って税務署が名寄せを行い、個々人の財産を把握する事ができる理 屈。政府税制調査会が78年に初めて納税者番号制の導入を提言したのを受けて発案さ れ、そのための法案が一度は国会を通過したのにもかかわらず、84年に予定されてい た施行を待たずに、金丸信、春日一幸ら自民、民社両党の実力者たちの猛反発の前に 潰えた経緯がありました。

 彼らが反対した理由は、自分自身をはじめとする金持ち――多くの場合は支持者 ――の所得を税務署に把握されたくないから。この一点に尽きます。それは卑劣では ないかと思えるし、現在も住基ネットと納税者番号制を連動させたい人々はしばしば そのような主張をしたがります。ただし、ここに重大な問題があるのだと言わざるを 得ません。

 金丸、春日の両氏らが脱税の摘発を恐れた頃、この国の社会はまだしも人間の平 等という価値が尊ばれ、大方の人々の間で共有されていたのではないでしょうか。だ からこそ彼らや彼らの支持母体は、グリーン・カードが導入されれば税務署の手が自 分たちに伸びてくることを恐れたと言えます。

 ところが、現代はどうでしょう。いわゆる一億総中流の幻想が音を立てて崩れ出 し、代わりに顕れたのは、恵まれた立場に生まれ育った者が、そうでない立場の人間 をあからさまに見下して恥じない不平等かつ不公正な社会であることを、ここで詳細 に論じる余裕はないし、それは陳述書の趣旨と不可分の関係にはあるものの、趣旨そ のものでもありません。

12、露骨な支配欲が剥き出しになった現代

 ひとつの事実だけを記録しておきたいと思います。96年から97年にかけて発覚し た、国税庁への出向経験もある中島義雄・元大蔵省主計局次長が二つの信用組合の乱 脈経営に絡んで金や女性の饗応を受けていた事件と、ほぼ同時期に税の知識など皆無 に等しいプロ野球の選手たちが脱税犯として大々的に告発された騒動を比較していた だきたい。中日ドラゴンズに在籍していた若手をはじめ、刑事処分を受け、球団から も処分されるなど社会的制裁にあった選手たちが続出した一方で、中島・元局次長は 億の桁に近い申告漏れが発覚しながら、わずかな追徴課税だけで放免されました。本 人が辞退しなければ、税金の中から数千万円単位の退職金まで支払われることになっ ていた、と当時の報道にあります。

 おかしくはないでしょうか。もしも人手も予算も足らないからどちらかだけしか摘 発できないというなら、当然、地位も権力もあり、しかもより悪質な中島・元局次長 が対象になるべきです。しかし、現実は逆でした。権力に近い者は許され、そうでな い者だけが前科者にされました。

 小泉純一郎政権で経済・財政担当の大臣の座に留まり続けている竹中平蔵氏に、 この問題について尋ねてみたことがあります。彼がまだ慶応義塾大学の教授職にあ り、私が文藝春秋の月刊誌『諸君!』の98年4月号に「平成・改革の旗手たちが考え たこと〜中条潮、竹中平蔵、中谷巌、三輪芳朗の各氏を駆り立てたものは何か?」を 寄せための取材を重ねていた頃のことで、98年1月27日、彼が顧問を務めていた東 京・新橋のフジタ未来経営研究所(藤田田・日本マクドナルド社長=当時=の個人経 営によるシンクタンク)で二度目の面会取材。取材の趣旨とはややズレて、話題が納 税者番号制に移りかけた場面でした。

「小国ならともかく、日本のように人口の多い経済大国では、国民総背番号制度が当 然なんですよ。これがなければ所得の捕捉ができない。サラリーマンは年末調整まで 勤務先が行うので公平に課税できますが、自営業者の中にはフリーライダー(ただ乗 り)が少なくありませんからね」

 それが持論の竹中教授に、私は中島・元局次長と野球選手たちの扱われ方の差を 指摘しました。まず中島が捕まえられなければならないのでは、と水を向けた私に、 彼は強い口調で返してきました。

 「そうじゃない、両方が裁かれなければならないんです。そのためにも国民総背番号 制度が役に立つ」

 あまりの剣幕に驚かされはしたものの、それはそれで逆らいようのない正論では ありました。しかし、後に彼が小泉政権の大臣に起用され、税金をめぐるスキャンダ ルに見舞われた際、彼の真意を思い知らされて、愕然とさせられるのです。

 『週刊ポスト』の2001年8月17・24日合併号に、「竹中大臣は住民税を払っていな い?/八年で四回の『米国移住』『住民票の移動』は節税対策か」と題する記事が掲 載されました。その記事によれば、構造改革路線の代表格で、一般の勤労者や自営業 者に痛みを強いる立場でありながら、毎年1月1日に日本国内に住民票が置かれてい る人だけが対象になる住民税の仕組みを悪用し、アメリカとの間で不自然な住民票の 移動を繰り返すことで税金逃れを図っているのではないかとした取材に、竹中大臣は 住民票の移動の事実関係は認めつつ、ただし大臣といえども納税証明書の開示義務は ないとして、税務当局以外は相手にしない姿勢を示したということです。

 竹中大臣は国会でも少しだけ追及されましたが、結局、証人喚問のような事態にも 発展しないまま、うやむやのうちに終わりました。彼の権勢が延長されていくのに伴 い、マスメディアの後追い報道も続きましたが、「“小泉不況の元凶”大臣に専門家 が警告した 竹中平蔵『デヴィ夫人より悪質な税金逃れ』重大疑惑」のタイトルで記 事を掲載した写真週刊誌『フライデー』(2002年8月16日号)の版元である講談社 に至っては、本人に名誉毀損で訴えられ、2004年9月、東京地裁で二百万円の賠償命 令を受けてさえいるのです。

 わかりやす過ぎる男が権力を握り、あられもなく振舞って咎められもせずに罷り 通ってしまっている日本の現実。このような世の中に国民総背番号制度が定着してし まうことの意味を、どうしても私は軽く考えることができないでいるのです。

13、あくまで住基ネットに抵抗する私の決意

 99年8月、改正住民基本台帳法は可決・成立してしまいました。反対の空気が強 まっていた参議院地方行政・警察委員会での採決を恐れた与党が、卑劣にも本会議で の直接採決に持ち込んだ結果ですから、“成立”したと表現すること自体、私には耐え難いものがありますが、この問題はとりあえず問いません。

 その後も私の取材は続きます。住基ネットを推進する人々の意図に気づいてし まった身としては、もはや引っ込みがつかなくなっていました。承知していながら何 も食い止めることができず、彼らのいいようにされてしまうのだとしたら、私は自分 の子どもにも、世の中のすべてに対しても、申し開きができません。第一回口頭弁論 の際に申し上げたように、私の父は国家のために兵役に就かされ、シベリアに抑留さ れて、帰国後は公安警察の監視下に置かれながら生涯を終えた人でした。国が国民を 監視するということの意味を、私は私たちの世代ではおそらく最も理解している一人 ではあると自負しています。その私が抵抗を続けなくてどうする。住基ネットへの反 対を続ける限り、私は今後もさまざまな嫌がらせを受けるのでしょうが、絶対に引き 下がりません。これは人間としての矜持です。

14、大山永昭・東工大教授の言葉

 99年11月4日、東京・有明の「東京ビッグサイト」で開催されていた展示会「I Cカード・ワールド ‘99」では、企業人らを対象にした講演会「カード・ビジネ ス・コンファレンス」が好評でした。私は前出の大山永昭・東工大教授がどのような 話をするのか興味津々で、受講料一万円なりを支払い、客席に陣取ります。彼はここ で、大要、以下のように語っていました。

 「近い将来は全国民にID機能を持ったICカードを携帯させたい。生産性の向上が 急務なのはもはや企業の内部だけではなく、社会全体なのだ。ICカードこそ、それ を可能にするテクノロジーである」

 企業が生産性を追及するのはわかります。しかし、そのような価値観を社会全体 にも拡大しようなどという発想が、こうもあっさりと公言されてしまってよいもので しょうか。たとえば高齢者は、障害を持つ人々は、あまり勉強の得意でない子どもた ちは、その場合、どのように扱われることになるのでしょう。生産性を阻害する要因 として排除されてしまうことなどあり得ないと、いったい誰が保証してくれるので しょうか。

15、舌の根もかわかぬうちに利用範囲の拡大

 2000年の暮れから翌2001年のはじめにかけて、再び集中して取材をしました。 2001年の春から、講談社の『月刊現代』で不定期の「新・官僚支配」と題する連載を 始めることになり、その第一回目で、住基ネットを含む個人情報の扱われ方をとりあ げようとしたのです。

 住基ネットを国民総背番号制度に展開していこうとする政府のやり方は、改正住基 法が施行されてもいないうちから、あからさまもいいところでした。私が梶原・岐阜 県知事や、内海・元財務官の取材などから、予想していた通りの流れです。

  2000年7月、内閣に「情報通信技術戦略本部」(IT戦略本部)が設置されまし た。半年後の2001年1月、同本部は「e−Japan」計画を打ち上げます。いわゆ る電子政府・電子自治体構想です。そして住民の利便性ばかりが強調されてきた住基 ネットは、いつの間にか、この「e−Japan」計画の中核的システムとして位置 づけられていました。一方、省庁再編で旧自治省が旧総務庁および旧郵政省と合併し て登場した総務省は、改正住基法が定めた住民票コードの利用範囲の拡大を平然と求 め始めます(93事務を264事務に)。彼らの主張は、やがて「行政手続きオンライン 化三法」などの形で実現していくわけですが、そもそも改正法が利用範囲をある程度 にせよ絞ったのは、住基ネットが国民の一元管理に利用されないように、という趣旨 であったはずです。舌の根も乾かぬうちに、という表現が、これほど見事に当てはま る人々を、私は知りません。

16、ICカード多機能化へのシナリオ

  国民にはろくに伝えられることもないまま、改正住基法に基づいて発行されるI Cカードの多機能化、多目的化も図られていきます。たとえば経済産業省は、IT戦 略本部の指示を受け、2000年度の補正予算から、全国の21都市で「連携ICカード」 の実証実験を開始しました。参加自治体には一定のモデルも例示されています(甲4 4の5)。一枚の住基カードに住民基本台帳の他、被保険者証、身分証明書、印鑑登 録証明書、公的施設の利用者証、公的年金カード、および鉄道定期券、キャッシュ カード、クレジットカード、病院の診察券、各種会員券等々の機能がまるごと搭載さ れたイメージ図は2001年2月28日、大蔵省から経済産業省に出向されていた岸本周 平・メディアコンテンツ課長(当時)にいただいた資料ですが、彼はこの時、次のよ うに説明してくれました。

「この図に出てくる『秘密鍵』というのは、国民と政府が何事かを直接やり取りする 場合に使うアプリケーションです。将来の納税者番号などが入ってきますね。それか ら、今のところ図には示されていませんが、運転免許証やパスポートの機能もいずれ 盛り込まれることになります。これらは現在、国際的なICカード化の流れがありま すので、日本だけであまり勝手なことはできないので、実験からは省いているんで す」

 納税者番号制の導入は大蔵省(現財務省)の悲願だそうです。とはいえ、住基 ネット以上に国民の抵抗感が強く、実際には導入されていない。そんなものを、あた かも既成事実のように扱おうとしている人々に、私は寒気を覚えました。この取材で やはり岸本課長にいただいた別の資料「国、地方、民間が連携するICカードの必要 性」には、こんなシナリオさえ明記されていました(甲44の6)。

・全国の市町村は住民基本台帳法に基づき、住民基本台帳カード(ICカード)を希 望住民に公布しなければならない(平成15年8月までに体制整備)→・しかしなが ら、住民基本台帳のデータ(住所、氏名、性別、生年月日、コード)しか格納しない カードでは利用頻度が低く、希望者は少ない(発行枚数が少ないと費用対効果が極端 に悪い)→・健康保険証、介護保険証、年金等の他の行政アプリケーション、民間の アプリケーション(診察券、プリペイドカード、決済等)と相乗りすれば、一気に普 及(健康保険証を格納すれば1人1枚)→・国民的課題であり、補正予算、日本新生 枠等をフルに活用し、関係省庁連携の下、ただちに実施すべき……。

 最初のうちは住基カードをわざと不便にしておく。そうすれば利便性を高めて欲 しいという要求がむしろ国民の側から起こってくるから、それに応える形でカードの 多機能化を図っていけばよい。国民総背番号制度の完成です。そんな筋書きだと考え て、まず間違いないでしょう。昼間の役所の取材で堂々と出されてきた資料でさえこ うなのですから、内部ではどんな企みが進行しているのかわかったものではありませ ん。

17、ICカードと指紋による国民管理

 その経済産業省は、ICカードと指紋による本人識別技術の連動を構想し、98年に は予算化していました。ICカードに格納される個人情報が増えれば増えるほど、つ まり国民総背番号制度が“充実”すればするほど、なりすましなどの事件が発生した 場合の被害が大きくなる。本人確認のためには生体そのものを使った識別技術(バイ オメトリクス)が必要だ、というわけです。国民総背番号制度を大前提とする限り、 それはそれで自然の成り行きかもしれません。

 関係筋からそんな情報を聞かされた私は、この技術を担当している特別認可法 人・情報処理振興事業協会に事実関係を確認(99年5月)。さらには同協会の委託を 受けた民間団体「本人認証規格統一協議会」を仕切っているシステム開発企業(シス テムニーズ)の幹部にも取材して(99年5月)、国民総背番号制度の下では、私たち 日本国民はいずれ指紋押捺を義務づけられることになるのだろうと確信させられまし た。外国人登録法による指紋押捺があれほど問題になり、その部分が外登法から削除 されたのも束の間、今度は日本国民の全員(権力を有している人々は別扱いなので しょうが)が、犯罪者のように扱われることになるのかと思うと、暗澹たる気持ちに なりました。

 国民総背番号制度で先行しているお隣の韓国では、国民は17歳になると役所で十 本の指の指紋を登録させられます。それも“回転押捺”といって、一本一本の指を役 人に押さえつけられ、指の横面から反対側までをぐるっと回転させられながら押捺さ せられるのです。さすがに拒否する人々が増加し、反対運動が形成されて、日本でも 販売されているビデオ『住民登録証を引き裂け』(イ・マリオ監督)の中で、この回 転指紋押捺という行為について、韓国人弁護士が「服従の内面化を強いている」と表 現するくだりがありました。まったく同感ですが、一方では17歳の指紋押捺を、大人 への“通過儀礼”と受け止めている若者も少なくないとのことでした。

 権力にとっては嬉しくてたまらないでしょう。しかし、人間一人ひとりの尊厳を これほどまでにズタズタに傷つけて、そんなもののどこがまともな社会なのでしょう か。

18、国民総背番号制度を夢見る意見百出のIT戦略会議

 住基ネットを国民総背番号制度にはしないとしてきた政府の主張は、こうして政府 自身の手によって、簡単に覆されていきます。2000年10月16日、内閣総理大臣官邸の 大食堂で行なわれた「第四回IT戦略会議・IT戦略本部合同会議」の議事録に残っ ている、今井賢一・スタンフォード日本センター理事長の次のような発言も、彼らの 本音を現す傍証だと考えられます(甲44の7)。

 「(IT革命を推進するために)私の観点から言えば、一番大事な点は、個々人がそ のルール形成に積極的に参加するようなインセンティブを与えることである。一番具 体的でわかりやすい例は国民背番号制だ。これを政府がやると言ったら、みんな、 『いやとんでもないことだ』と言うが、『むしろ背番号を自分に付けてもらいたい、 その方が有利になる、自分のことを分かってもらいたい』ということにならないか。 私は、アマゾンドットコムに全部情報を流すのだが、それはそうした方が有利になる からだ。こういう考え方を採り積極的に参加していくことに対し、インセンティブを 与える制度を作っていくことが可能になったということが、IT革命の非常に重要な ポイントである」

 アマゾンだけの問題なら、それでよいのかもしれません。しかし、国民総背番号 制度となれば、これを運用する側は運用される側の情報をすべて握ることができるの です。

 人は消費者としてのみあるのではないのです。何もかもを権力に見張られる、監 視されている社会で、自由な思考、思想が育まれるはずがありません。ましてや、現 代のような戦争体制が一気に進められていく世の中で。

 今井委員の問題提起を受けて、会議は進みます。とりわけ自由討議の場面では、 明確な国民総背番号制度を打ち出せとする意見が続出していました。そして、ここで も国民の声など聞く必要がないとでも言いたげな態度が目立っていました。「IC カードに関しては、議論が多すぎるのでやはりどんどん実行していくことが必要では ないかと思う」「国民総背番号制には非常にアレルギーがあり、マスコミも不勉強で 単細胞なところもあり、一部であるが、すぐ鬼の首でも取ったように騒ぐ。だから、 よほど慎重にその辺はやっていかなければいけない」等々の意見を読みながら、人を 馬鹿にするのもいい加減にしてもらいたいと、つくづく思ったことでした。

 なお、以上の引用はIT戦略本部のホームページに掲載されていた議事録を出典 にしていますが、特に今井委員については、その発言の趣旨を本人に確認してありま す。

19、本音を洩らした総務省企画官

 本件訴訟を提起する直前の2002年5月にも、私は『週刊文春』で、住基ネットの 問題を連載しました。編集部がサポートに井崎彩記者をつけてくれたので、私は総務 省の担当者のコメントを取るよう、彼女に指示しました。どうせ通り一遍の話しかし てくれないだろうと思っていたのですが、井崎記者が送ってきた取材原稿には、衝撃 的なコメントも含まれていました。以下の部分です。

 「櫻井よしこさんなどに言わせると、『住民票の写しをどこででも取れるようにする のにどうしてこんなにお金を使うんだ』という言い方をされるんですが、要は、住民 票の写しをどこででも取るというのは、ある意味、付帯的な部分で、メインは行政機 関への情報提供だと思っています」

 国会審議中の説明とぜんぜん違う。よくぞこんなことが言えたものだと思う。国 民はもちろん、国会議員の大多数もまた、彼らに騙されていたのです。

20、アメリカの事例

 あらゆる面で、今の日本はアメリカに追随しています。いえ、法律も制度も慣習 も、天皇制や日の丸・君が代、靖国神社といった国民統合の仕組みを除けば、アメリ カの完全な属州になろうとしているとしか思えません。

 言いたいことはいくらでもありますが、ここでは住基ネットの将来を予想させ る、アメリカ監視社会の凄まじさをひとつだけ例示しておきます。定評あるネットマ ガジン『Wired News』の日本版に載った記事から抜粋しました(甲44の8,9)。

 ペンタゴン(国防総省)の国防高等研究計画庁(DARPA)は、「全情報認知」 (TIA)システムの設計および構築を急いでいるそうです。テロ対策が名目です が、クレジットカードの買い物履歴や病歴、雇用関係などなど、全国民のあらゆる個 人情報をデータベース化しようとするもの。電子メールのやり取りや閲覧したサイ ト、通話、視聴したテレビに至るまで、およそ人間の全行動を記録し、検索可能にす る「ライフログ」計画というのもペンタゴンにはあって、これだとTIAを三乗した ほどの力になると伝えられています。

 世界を一極支配する対価として常に“テロ”の恐怖に怯え続ける国を、愚かすぎ る私たちの国が追いかけています。住基ネットを放置しておけば、日本でも必ず、こ れらと同じような監視システムが社会の隅々にまで張り巡らされることになってしま います。

おわりに 

 以上、住基ネットを推進する側の狙いが、国民総背番号制を実現し、国民の一挙 手一投足を管理することにあるということを、主として行政側の人たちの取材でわ かった事実を通して述べてきました。しかしこのことは,IT産業を中心とした大企 業にとっても自分たちの利益を追求するために積極的に推進を図っているものであり ます。

 私は、このように政府や大企業によって進められている住基ネットによって、私 たち国民は、プライバシーとともに、人間としての自由と尊厳を奪い尽くされ、肉体 のみならず、精神までもが、何者かに従属させられ支配される以外の生き方しか許さ れない道に行き着くだろうと確信します。私は、このような道を断固拒否したいし、 拒否をしなければならないと考えています。

以上


斉藤貴男
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