陳述書A

           陳 述 書 (追加分)
 2005年10月12日



               原告  斎  藤  貴  男



 言うべきことは言い尽くしてきたような気がします。住基ネットのような存在がそれ でも認められてしまうことになるのだとすれば、私は人間が番号扱いされ、見張る側 取見張られる側とに分断されるしかない日本という国に心の底から絶望するだけで す。

 本人尋問の予定が延期されたので、この間、新たに見知ったことから少しだけ追加 したいと思います。事態は私が恐れていた通りに進行してきました。

1 まず、政府税制調査会が、住基ネットに納税者番号制度を相乗りさせ る可能性 を示唆しました。今年の6月21日に公表された「個人所得税に関する論点整理」 で、同調査会の基礎問題小委員会は、次のように述べています。

〈納税者番号制度を議論する上で、そもそも税務行政にのみ活用される番号制度とし て考えるのか、税務も含め、広く行政全般に利用される番号制度として考えるのかと いう点については整理しておく必要がある。

 現下の著しい情報通信技術の進展を踏まえ、わが国では、世界最先端のIT国家を 目指し各種の取組みが行なわれている。その中でも、電子政府・電子自治体の構築は 重要な課題と位置付けられている。利便性を考えれば、こうした番号制度について も、税務行政にとどまらず様々な行政分野で活用されることが望ましい。しかしなが ら、本来、こうした問題は、高度情報通信社会におけるわが国行政のあり方をどう考 えるかといった見地から、政府全体として幅広い検討を行なった上で、最終的には国 民全体として判断すべき性格のものであろう。

 いずれの場合であっても、当該番号が税務行政に活用される以上、法律上の根拠を 持ち、全国一連の番号によって、大多数の国民を、二重付番なく生涯にわたってカ バーし、番号を付与した後の住所・氏名等の異動を管理できる体制となっていること は最低限必要である。また、プライバシー保護を含めたシステムにおけるセキュリ ティが十分確保されることが不可欠であろう。そうした意味からは、基礎年金番号を 利用する「年金番号方式」については、法律上の根拠を付与し、年金非対象者等も含 め広く全国民に自動的に付番する仕組みとするなどの改善が必要である。住民票コー ドについては、既に法律上の枠組みが存在することから、喫緊の課題として税務行政 に活用される番号制度を早急に導入する必要がある場合には、「住民基本台帳方式」 を採ることが現実的であろう。ただしその場合には、住民票コードの民間利用を許容 することが必要となる〉

 いったい、あの国会審議は何のためにあったのでしょうか。改正住民基本台帳法に よって構築される住基ネットワークは法で規定した以外の行政分野や民間に使わせる ことなどあり得ないと、当時の自治省や推進派の政治家たちはあれほど強調していた のに、わずか数年を経ただけで、もうこの有様です。住基ネットと納税者番号制度が 一体になった姿は、国民総背番号制度以外の何物でもありません。抵抗する者はそれ だけで脱税犯として扱われかねない、卑劣きわまりない仕組みですね。

 彼らが嘘をついていることを私は十分に承知していたからこそ、住基ネットに対し て徹底的に反対してきたわけですが、いくらなんでも、こうもあからさまに掌を返さ れてよいものでしょうか。国民はどこまで舐められていればよいのでしょうか。

2 先に提出した陳述書の最後の方で、私はこの国のほとんど宗主国であるアメリカ 合衆国の実態についても触れました。その延長になりますが、最近、きわめて興味深 い翻訳書が日経BP社から刊行されましたので紹介しておきます。ワシントン・ポス ト紙の記者でピュリッツァー賞の最終候補に残ったこともあるロバート・オハロー氏 の『プロファイリング・ビジネス』(中谷和男訳)で、ここには「アクシオム」 「チョイスポイント」「レクシスネクシス」「アイデンティクス」といった民間の “諜報産業”が、警察をはじめとする国家機関の下請けとしてアメリカ国民一人ひと りを丸裸にしていく様子が活写されています。そのために人生を狂わされた人がいく らでも、あの国にはいるのです。住基ネットなどという化け物が法的に認知されてし まえば、いずれ日本の社会は、そんなアメリカの現実よりも無惨な姿を剥き出しにす ることになるでしょう。ここはぜひとも、『プロファイリング・ビジネス』のご一読 をお勧めするとともに、この書物のラストを引用しておきます。

 オハロー氏はフォード財団やカーネギー財団の資金援助を受けながら取材を重ねた そうです。それにもかかわらす、導かれた結論は、以下のようなものでした。本件訴 訟に関わる裁判官の方々の日本の未来に対する責任はあまりにも重大であると考えま す。

〈捜査機関も諜報機関も、自分の監視システムを自らの手でデザインする必要はな く、民間企業に頼むだけでいい。これらの民間企業はすでに、わたしたちに奉仕す る、安全と効率と便宜を提供すると約束しながら、それを引き換えにわたしたちを追 跡しつづけている。

 自分について考える努力を、わたしたちはしなくなっている。いつ喫茶店に行った か。どこにドライブしたか。オンライン上になにを書いたか。電話でだれと話した か。わたしの友だちの名前は。彼らの友人の名前は。いつ地下鉄に乗ったか。支持す る候補者は。読んだ本は。飲んだ薬は。夕食になにを食べたか。セックスはどうだっ たか。

 わたしたちの生活に関する情報は、ますますわたしたちのものではなくなってい る。それは収集する民間会社のものであり、わたしたちの安全維持の名目で民間企業 から買い上げる政府機関のものである。

「わたしたちの生活は記録されている」とスミス(引用者注・インターネットの専門 家)は9・11以後の現実を、きわめて明快に要約する。「そしてわたしたちが電子 的に書いた日記は引きちぎられて、いろいろな人の手にあるのです」

 自分の日記すら自分で管理できないし、自分について彼らがなんと言っているかも 知ることができない。

 もはやわたしたちには、隠れる場所すらない〉


斉藤貴男
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