デモ、DEMO、でも━━SET BUSH FIRE!

 私は、2月〜4月にはデモやピースウォークにはできるだけ参加するよう心掛けていた(2003年2月2日のデモ参加の報告)。特にイラク侵略開始の月はほとんど数日おきに、World Peace Nowなどが呼び掛けていたアクションに出掛けていたはずだ。が、6月以降、神経の病いの悪化や経済的理由で、ほとんど街頭活動に参加できない毎日が続いていた。

 しかし、10/5のサウンドデモには是非参加したく、前日晩から『あかね』の店員を朝までした後少し眠り 、渋谷に直行した。11時には宮下公園に着き、知人と会って辺りを散策した。

 私は『あかね』では女装して接客しているので、仕事(?)帰りのため女装姿のままだったが、今は市議会議員になっているGID(性同一性障害)の人が言っていた「武装より女装」という標語も頭にあり、路上解放、表現の解放というなら衣裳の解放もあって然るべきだとも思い、 RAM旗を持って女装(ともいえ ない貧相な格好ではあったが)姿で早稲田から渋谷まで向かった。

 別にパス(註━━トランスジェンダーの用語で、望みの性別として他者から認知されること)しているわけでもなく、というか最初からしようとしていないのだが、擦れ違う人たちの無関心に逆に驚くやら安心するやら。

 レイヴデモとのことだったが、私は新しい音楽のことは全く知ら ず、検索で調べて、以下のサイトを見つけた。

○ RAVE TRABE
http://www.hcn.zaq.ne.jp/rave/rave/index.html

 シンポジウムでは、鵜飼哲氏が、レイヴrave(たわ言を言う、[狂ったように]どなる、わめく、[あらしなどが]怒号する、荒れ狂う、夢中になって話す、説く、激賞する)の発音がフランス語では夢rêveという単語の発音と重なることから、その語呂合わせで路上解放と夢とが結びついているといった主旨のことを述べていたのが印象に残った。鵜飼哲氏は、パレスチナの今の本当にひどい状況のことを主に話したのだが、例えばフランスでもレイヴデモに警察権力が規制を掛けてきているし、日本でもデモ参加者などが不当弾圧されたりしており、イラクの現状を鑑みても、国家による市民=わたしたちの生活の場の「占領」状態が進行中である、とも警告していた。そのとおりであろう。占領が先ずあり、抵抗が起きる。フーコーがいっていた。

「私のために反抗してくれ、万人の最終的な解放に関わることなのだ」などと口にする権利は誰にもない。だが、「蜂起は無駄だ、何をやったところで同じことだ」などと言う者に私は賛成しない。権力を前にして自分の生を危険にさらす者に対して、こちらに従えなどと言うことはできない。反抗するのは理のあることなのか理のないことなのか? この問いに応えは出さずにおこう。人は蜂起する。これは一つの事実だ。そのことによってこそ、主体性(偉人のではなく、誰でもいい人間の主体性)が歴史に導入され、歴史に息吹をもたらす。犯罪者は、濫用される懲罰に抗して自分の命を賭ける。狂人は、監禁され権利を剥奪されて疲弊する。民衆は、自分たちを抑圧する体制を拒否する。そんなことをしても、犯罪者は無罪にはならないし、狂人は治らないし、民衆は約束された明日を保証されはしない。そもそも誰にも、彼らと団結すべき義務があるわけではない。混乱したこれらの声が、他のものよりうまく歌っているとか、真なるものの深奥を口にしているなどと見なす必要はない。そうした声に耳を傾け、その言わんとするところをわかろうとすることに意味があるには、そうした声が存在し、これを黙らせようと執念を燃やすあらゆるものがあるというだけで充分だ。これは道徳に関わる問題なのか? おそらくはそうだ。それに、もちろん現実に関わる問題でもある。歴史のあらゆる幻滅もそれに対しては何ほどのものでもない。こうした声があるからこそ、人間の時間は進化という形式ではなく、まさしく「歴史」という形式をとっているのだ。(『ミシェル・フーコー思考集成VIII』筑摩書房、ISBN:4480790284、p97-98)

 長原豊氏は、街頭解放━━デモをジェネラル・ストライキに繋げる可能性について語っていたように記憶しているが、私はむしろ、『「でも」の 哲学』が示唆するような「ジェネラル・サボタージュ」に路上解放が変態するさまを夢想していた。道行くすべての未知の通行人が「でも__」と立ち止まる、その至高の瞬間を。

 (労働概念が、或いは労働 / 失業概念が大幅に組み替えられた今日的状況において「ジェネラル・ストライキ」を口にするとはどのような文脈においてか? 膨大な不安定就労層や働けない層、働かない層、それらの「有象無象」━━シンポジウム参加者の或る人はこれこそ Multitude にぴったりする訳語ではないかといっていた━━をも含めての奇妙で雑種的な「ジェネラル・ストライキ」。それはシンギュラー・ストライキ━━ひとり でも デモでもあるのではないか?)

 誰の発言か忘れたのだが、踊れる身体性と踊れない身体性があり、普段窮屈な賃労働などで一定の身振りを強制され、堅くこわばって自然に動けない身体が不器用に踊ることもできるというのが大事なのだ、という話にも私は深く頷いた。

》音痴の人が 音痴であることも(みずから歌っていることも)忘れて 思わず
》歌ってしまっている
》鼻歌こそが 限界芸術だと いう 視点

からすれば、踊れない、踊るのが苦手な身体も思わず踊ってしまう瞬間こそ、「でも」が生起する瞬間なのだ。踊り慣れている名人が名人芸を披露する場ではなく、普段踊らない、踊る習慣のない、踊れない人も思わず踊ってしまうような、政治的-生理的変態の瞬間。その瞬間には確かに、rave(わめく)とrêve(夢)が重なり合う。

 ただ、宮下公園でのデモのときはいつもそうなのだが、わたしには野宿者の方々の存在が気に懸かった。豊かな(豊かでもない?__とはいえ路上で寝ているわけでもない)「わたしたち」の束の間の解放のすぐ傍らに、ダンボールハウスが立ち並び、野宿者の方々が生活している。「わたしたち」のわめきちらす (rave)夢(rêve)がわたしたちの裏地である他者たち━━野宿者たちの沈黙した夢でもあるのでないならば、わたしたちの「運動」はどこか偏ったものになってしまうとも感じた。

 (ではどうすればいいのか、ということについて、具体案はない。ただの良心の呵責? 感傷?)

 「戦争と治安・管理に反対するPINCH!」のペペ長谷川、のびた両氏の、日本社会が確実に管理社会、監視社会になりつつあるとの指摘も興味深かった。長崎の事件が起きたとき、私は、《「私たちは倒錯者です」「敢えてヘンタイする勇気を持て」と声を大にして言いたい》と夢想し(rêver)、またわめく(rave)ことをしていたが(《今こそ言う━━「私たちは倒錯者です」「敢えてヘンタイする勇気を持て」》 )、実際、半ひきこもりで地域の不審者、さらに変態である私などにとっては、まさに他人事ではない内容というほかなかった。

 デモ自体は、機動隊の規制が余りに厳しく、まさしく「サンドイッチ」にされるようなかたちで、自由な動きを封じられるような厭な感じがした。911直後、イラク侵略(バグダッド)開始直後のアメリカ大使館前のような緊張感があった。時に国家権力が見せる剥き出しの暴力性━━国家は法というかたちで暴力を独占している━━が垣間見られたのだ。

 rave=rêveが微かに見え掛けた一日だったが、私には、このような行動への参加が、アメリカによるイラク占領やイスラエルによるパレスチナ占領、アフリカにおける感染症拡大による大量死など世界大の状況と繋がっているのかどうか、繋がっているとしてもどのように繋がっているのか、自信が持てなかった。興味深かったのは、2003年10月13日に東京新聞に掲載された記事のなかで、酒井隆史氏が次のように述べていることだ。

 大阪女子大の酒井隆史講師(社会思想)によると、サウンドデモの起源は八〇年代の米国のゲイ(同性愛者)解放運動にさかのぼるという。これが「沈黙は死」を掲げた反グローバリズム運動に継承され、九〇年代にはロンドンなど欧州各地に飛び火。「レクレイム・ザ・ストリート(路上を取り戻せ)」を合言葉に燃え上がった。英国政府は「反復したリズムの下で、三人以上が路上に集まってはいけない」という新たな規制を敷いたという。

 酒井講師は「非暴力直接行動の新しい形で、踊るという身体レベルで抵抗を示す点が従来と違う。サウンドデモは訴える手段だけではなく、生み出す空間自体に意義がある。有事法制などで生活が丸ごと権力に規制される中、路上という公共圏を単なる交通手段ではなく、人々の接点の場として取り戻そうという狙いが新しい」と説明する。

 「沈黙=死」(SILENCE=DEATH)は、確かにLGBTsなど少数者運動の合言葉だった。例えば、ゲイフロント関西のホームページを見ていただきたい。また、このサイトの記述によると、以下のようである。

ベンジャミン・シェパードとロナルド・ヘイダックが編集した『ACT UPから WTOへ:グローバリゼーションの時代の都市の抵抗とコミュニティの形成』 (Shepard and Hayduk(2002) From Act Up To the WTO: Urban Protest and Community Building in the age of Globalization)というアンソロジーは、最近の「新しい社会運動」あるいはティム・ジョーダンの書籍のタイトルを借りれば、「アクティヴィズム!」とでも呼ぶべき最近の若者の政治運動の形成をたどったものであるが、それによれば、こうしたカーニバル的な動向は八〇年代の終わりのACT UP(AIDS Coalition to Unleash Power=パワー解放のためのエイズ連合)あたりに始まったとされる。このアンソロジーのWTOとは、一九九九年のシアトルWTO会 議の際の大規模な反グローバリズム運動のことを指している。

 ACT UPは当初からエイズによる深刻な打撃を受けていた多くのアメリカの アーティストや批判的ポストモダン美術の理論的指導者であったダグラス・クリンプ などが参加していたこともあり、当初からパフォーマンス的な視覚要素を多く持っていた。 特に、その最初に成功したキャンペーン「沈黙=死(Silence=Death)」は、第二次 世界大戦中にナチスが同性愛者を弾圧するのに用いた三角形をピンク色でデザインしたロゴを使って、ポスター、ちらし、ステッカー、Tシャツ、バナーなど広告的なメディア・ミックスを行い、伝統的な左派的社会運動からも周縁化され、しばしば差別の対象になり、不可視にされてきたエイズ患者やゲイ・レズビアン・ムーヴメントをいわばファッショナブルなものへと転用したのだった。また、この時代世界中で広がりつつあった公的空間のレイブ・パーティやスクォッティングなど文化動向ともリンクしていたことも考えるべきだろう。ここで見られる、空間の一時的占拠による自律性の獲得、広範な政治的アジェンダではなくイッシュー主導の運動の形成と党派的ヒエラルキーの否定、メディアの活用、そしてある種の享楽主義とパフォーマンス性をはらんだ「文化」的な側面の強調といった特徴は、階級を特権視し、しばしばドグマ的で党派的ヒエラルキーと過剰な道徳主義のために身動きが取れなくなりつつあった旧来の左派運動とははっきりと一線 を画していた。そして、まさにその特徴によってこれまで政治とは関わりのなかった多くの若者をひきつけたのである。

 私には、自分の参加する行動が社会を変え得るという自信はないが、それでももろもろの雑多な行動への参加を止めないだろう。去年のレズビアン・ゲイパレード日比野真氏が挑発的に掲げた「私達は倒錯者です」をもじって、「私達みんなが少数者です、そして少数者の連合こそが有象無象(Multitude)です」という標語を掲げるべきではないのか。それは少数者━━変態-に-なることという生成変化の問題と切り離せない、非同期的な時空の創出に繋がる。国家と資本による時間-空間の「占領」に対抗して、非同期的な時空の創出━━ でも を。パレスチナでオリーブ石鹸のフェアトレードを手掛けている或る方は私に、パレスチナに住まい続けるということこそが最大の非暴力抵抗です、と言ったが、私達も同じなのかもしれない。「占領」状態のなかを出来るかぎりの潜在力でもって生き続ける、生き抜くこと━━サヴァイヴァルこそが最大の非暴力抵抗なのかもしれない。少なくとも私達には、raveができる。たわ言を言い、狂ったように怒鳴り、喚き、怒号し、荒れ狂い、夢中になって話し、理を説く、激賞することができる。生━━raveの継続こそが最低限の対抗運動であるということを、ここで確認すべきなのだろうか。私には確信が持てない。しかし、10/17には勿論、ブッシュ来日に反対するアクションに参加するつもりだ。できるかどうか分からないが、 でも を伝播させること━━そこにしか有象無象が生きる道は残されていないのだから。


攝津正
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