Q-NAM問題-1

Q紛争とは何かを素描しておきたい。

以上がQ紛争の簡単な事実経過である。言い訳は止めておこう。私は誤った。西部忠、穂積一平、宮地剛がQ-hiveを牛耳ろうとしてNAM会員を切り捨て、故にQ改革が挫折した、というのは、虚偽である。西部は、柄谷自身も確認していたような原則的な立場を取っただけである。Q改革が挫折し、多数のNAM会員であるQ管理運営委員がQ管理運営委員会を退職するに至ったのは、NAM側の事情の変化が原因である。

NAMとは何かも知らない読み手のために補足しておこう。NAMとは「可能なるコミュニズム」(ボイコット、生産-消費協同組合、地域通貨、フェアトレード、くじ引き)を掲げて国家・資本・ネーションに対抗しようとした革命運動である。QとはNAMから生まれたLETS型地域通貨をオンラインで運営するプロジェクトである。2002年から2003年に掛けて、NAMの一部メンバーがQ(執行部)を激しく非難・攻撃する、という出来事が相次いだ。私自身、最初はQ管理運営委員として西部忠を糾弾し、最後には部外者であるにも関わらず、個人情報を不正取得してQへの攻撃を続けた。

何故そんなことになったのだろうか。或る者は、「ルサンチマンと党派的思考」に、その原因を求めている。そのとおりである。

確かに西部忠は、輪番制(事務局など実働を担う部分を定期的に地域移動させることによって権力の固定化を防ぐというNAMの考え)とくじ引き(三名連記の選挙とくじ引きを組み合わせることによって権力の固定化を防ぐというNAMの考え)をQに適用することを拒否した([q-reorganize:0052])。だがそれは、NAM原理を「暫定的仮説」([q-project 4854])と看做す態度からくるものだった。具体的には、辞退者が相次いだNAM代表選挙の経験から、西部忠は意見を変えたのである。「選挙+くじ引きの評価については,私なりに今回のNAM代表選挙を経験してみた感想にも多分に基づいていますが,これは別のメールで。/私の評価は急に変わったわけではなく,むしろこうした経験をへて少しづつ変わってきたのです。それを明示的に書いたのは自分なりに考えてみたあとですから,読み手には唐突に映るかもしれませんが。」([q-project 4854])それを否定するのは、科学的な思考でなく、宗教的ないし政治党派的な思考であると言われても仕方がない。

また私は、Qの理念との再契約をと問う西部忠のメール([q-project 4754])を、「NAMからの離反を明言しています。」と激しく非難している([q-project 4821])。それも、政治党派的な言動であるといわれても仕方ないだろう。2002年9月、私の思考はNAM規約委員会における、NAMプロジェクトとしてのQプロジェクトの資格を問う討議(とりわけ柄谷行人の諸発言:[nam-rules:0334]等)に深く影響されていた。自分たちNAM会員であるQ管理運営委員会メンバーの「闘争」によってQをNAM的なものとして取り返さねばならないと考えていたのだ。

しかし、2002年9月29日、[nam-rules:0404]以降、状況が一変する。柄谷行人のQ放棄、及び新市民通貨の提案が初めてなされたメールである。もはやQ改革が問題ではないというのだ。私は混乱し、NAM事務局員として、NAMのQ放棄を防ごうとして、NAM代表団に面会したりした。が、2002年10月20日、「柄谷行人の提案」がnam-event ML(NAM全会員に配信されていたML)に投稿され、ほぼ同趣旨のエッセイ「Qは終わった」がNAMホームページに掲載される。NAMセンター事務局、NAMセンター評議会等で手続きが民主的でないとの批判が出て即日削除されるが、柄谷行人は、2002年10月23日、「退会しますー柄谷行人」をnam-event MLに投稿する。NAM内は大混乱に陥り、柄谷行人への謝罪を行う者らが続出した(私もNAMウェブサイト局MLで謝罪した)。NAM代表団が柄谷行人宅を訪れて柄谷行人・関井光男と会談し、NAM抜本的改革委員会が創設される。「Qは終わった」が「Qは始まらなかった」としてNAMホームページに再掲載される。

NAM抜本的改革委員会MLでは、柄谷行人による、Qを続ける者は新NAMには入れないとの発言があり([nam-reform:0085])、私はそれを見て、Q管理運営委員会で「超規約的措置」([q-project 5791])を提案した。Q管理運営委員であるNAM会員がNAM除名等をされるのではと恐れたためである。自分自身はQ-hiveに残り、Qの清算を担うつもりでいたが、「返金要求」(告訴)メールがたて続けにQユーザMLに投稿されたことに衝撃を受け、自分自身Q-hive、及びQそのものを辞めてしまう([q-project 5791][q-project-user 1271])。Q改革を謳いながら、結局責任を取らなかったというのは穂積一平や逵健志から批判された通りで、私はそのことを自己批判(謝罪)したい。

NAMは2003年1月、組織機構を解消する。抜本的改革委員会の案では、ブックレットやCD-Rなどを生産する活発な団体として再生することが謳われていたのであるが、組織をどう弄っても運動は再生しないとのNAM代表団の判断、NAM正会員による電子投票、柄谷行人の追認(エッセイ「FA宣言」)により、NAMはその上部機構を全て解消するに至る。

しかし、Qは存続した。NAMの側の解体により、Q-NAM問題も解消されたはずだった。ところが2003年夏、攝津(私)が問題を蒸し返し、大々的な反Qのプロパガンダを行うことになる。

きっかけは、namプロジェクト-Qプロジェクトの批判的総括を目指した「独房Q」MLの過去ログを公開しようと西部忠らにメールを送ったとき、西部が自分だけ実名なのは不公正だとして公開を拒否してきたことだった。私は、私の言論を封じようとするのか、と複数の地域通貨関連MLに「西部忠先生へ」等の非難メールを送った。その後、lets_think MLの過去ログを入手し、反NAMの「謀議」の証拠を掴んだと確信した私は、他人(代行取引者)のアカウントを不正使用してWinds_qに不正ログインし、Q会員全員のメールアドレスを不正取得し、全員に同報するかたちで、また複数の地域通貨MLにも同報するかたちで、糾弾メールを送った。Q会員を辞めていたにも関わらず、QユーザMLにも不正侵入してメールを送った。主旨は、西部忠・宮地剛・穂積一平がQの運営において母体であったNAMを裏切っていたこと、産業連関内包説が詐欺であること、等だった。

以上の点につき、攝津(私)は自分の不公正さや誤りを認め、謝罪したい。

何故私はそのような破壊的言動をしたのだろうか。柄谷行人のnam-event ML宛て投稿「退会しますー柄谷行人」ではこう言われている。「Q病人は、よくQはNAMから独立しているといいますが、実際は、それは、NAMの人 たちに、つまり、倫理的な人たちに依存するほかないものです。(ちなみに、西 部忠はNAMに入り込み、NAMの心優しい人たちを利用して、Qの実験をしたので す。Qがうまく行かなければ、さっさとQもやめるでしょう。)」またQホームページで公開されている柄谷の西部忠宛ての私信では、NAM会員が西部忠に利用された「モルモット」であるとの意見が述べられている。私は知らず知らずの間にそれらの言葉に深く影響され、それを信じるようになっていったのだろう。それ以外に西部忠への激しい憎悪が生じる理由が想定できない。

とはいえ、誰に煽動されたにせよ、暗示されたにせよ、私の行動の全責任が私自身にあることは言うまでもない。柄谷行人も柳原敏夫も、私に大きく影響を与えたが、最終的な責任は攝津(私)にある。私は愚かな興奮に身を委ね、Qを文字通り破壊しようとした。違法行為にさえ訴えて。その事実は消えない。私は当時は、これは「内部告発」なのだ、と考えていたが、それは思い上がりだったというほかない。lets_think MLには公開される予定があったのだから、私は公開を待つべきだった。私は怒りに我を忘れ、攻撃的・破壊的に振る舞った。そのことを西部忠・宮地剛・穂積一平ほかlets_think ML関係者、Q-hiveの皆さん、Qユーザーの皆さんに心よりお詫びしたい。

【註1】柄谷行人「Qが始まった」。「Qの開発に取り組んできたのは、NAMである。 それ以外の誰が、これほど頑張ってやるだろうか。にもかかわらず、いったん出来上 がると、Q(管理委員会)は、NAMとは峻別される。Qは一般に開かれた、ごく当たり 前の経済活動である。実際に、Qは近いうちにNPO(非営利団体)になるだろう。Qに は、たとえば、NAMが掲げるような目標はない。それはニュートラルな経済組織であ る。この点に注意してほしい。」


攝津正
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