Q-NAM問題-2

Q-NAM問題における柄谷行人の一連の振る舞いを検証する。

以上が柄谷行人がQ-NAM問題で果たした役割についてのML上の事実経過である。

私見では、NAM末期において、柄谷行人は「非制度的権力」(宮地剛)として機能した。その仕方は、一会員であるにも関わらず、著名人及びNAM創設者としての強い影響力を存分に発揮し、NAM退会の脅しを掛けることによって、また「市民通貨」に関する「理論的」な知を保持していると思い込ませることによって、NAM代表団やNAM評議員、NAM事務局員をはじめとするNAM会員を自分に帰依させるというものであった。

NAMは「真の民主主義を実現する」ことを謳っていた。その内容は、選挙+くじ引きで選ばれた代表団が権力を持つべきこと、最高意思決定機関が各系の代表者・連絡責任者からなるセンター評議会であることだった。故に私は、Q紛争初期において、柄谷行人もNAMの一会員に過ぎないという建前を主張し続けた([q-project 4675] [q-project 4690] )。それが原理原則上の立場だったからだ。

しかるに柄谷行人は、まずはNAM規約委員会で、次いでNAM抜本的改革委員会で、自らの影響力を行使し続けた。また、NAM全会員に配信されるnam-event MLにいきなり投稿し、それを「民主的」なやり方と称した。

NAMの組織原則からすれば、センター(センター評議会)があることが重要であり、その代表者評議会における議決事項こそが最高意思決定であるはずだった。しかるに、NAMのLETS-Q放棄と市民通貨Lの採用は、NAM全会員の投票によってではなくとも、せめてセンター評議会での議決によってNAMが組織的に決定したことだっただろうか。いや、そうではなく、NAM抜本的改革委員会という閉ざされた場で、しかも柄谷行人の一存で決定されたことである。朽木水が、センター評議会で、新市民通貨の提案も他のプロジェクトと差別なく扱わなければならないとの発言をしているが、結局NAM代表団も事務局(長)もNAM抜本的改革委員たち(岡崎乾二郎、湯本裕和、王寺賢太、杉原正浩ら)も、柄谷行人の前提(Q放棄、L採用)を討議も投票もなしに受け入れてしまっていたのだ。それはつまり、柄谷行人一個人の意思をNAMの意思としたということであり、柄谷行人の提案を特別扱いしたということである。

私はここに、末期のNAMにおいて民主主義が機能しなくなっていたというあからさまな事実を見る。そこにあったのは、理論家の優位(哲人王)──「バカがとやかくいう筋合いのものではない。」──、「知っているはずの主体(知を想定された主体)」=精神分析家の位置を占める柄谷行人への帰依(NAM一般会員の、事務局(長)の、評議会員の、代表団の)だった。NAMは「真の民主主義」や「真の三権分立」を体現し実現することを謳っていた。しかるに、王寺賢太や岡崎乾二郎の再三の警告にも関わらず、NAM抜本的改革委員会は、そして末期のNAMそのものは、柄谷行人の意思だけが強引に押し通される場になっていたのだ。

また、当時のNAM評議員やNAM代表団も柄谷行人(前代表でありNAM創設者ではあるが、一会員でしかないのだし、自分に感情転移してくる者らを「ビョーニン」として退けてきたのは他ならぬ柄谷自身であったのに)に対して甘かった。柄谷行人のQ放棄の提案に抗議し、撤回を求め、最後まで謝罪しなかった評議員はただ一人だった。その他のほとんどすべての者は、私自身も含めて、NAMセンター評議会やその他のMLで退会を宣言した柄谷行人に対して謝罪したのだ。

多くのNAM会員は辞めるときには何も言わずに辞めていったのに、柄谷行人は、自分の名を冠した(故に著名人としての自分の社会的影響力を存分に発揮した)メール「退会しますー柄谷行人」を、NAM会員全員が読めるnam-event MLに投稿し、NAMを大混乱に陥れ、しかも、退会のメールを事務局に送っていないからまだ辞めていない、と矛盾した言動を繰り返しNAM内で権力を行使し続けた。このことにあからさまに抗議したのは二人だけだった。しかもその二人は、柄谷行人から、NAMに残ることはできないと通告されている。

結局のところ、京都会議の議事録でも述べられていた、
http://www.q-project.org/q_kyoto6.html

柄谷:とにかく、色々な形で、その、我慢してきてるわけじゃないですか。こっちも。僕は湯本さんにも残るように言ったから、彼も残りましたよ賛助会員としてはね。大体、そういうみんな勝手なけんかするけど、俺は後で全部フォローしなければいけないわけです。だけど、俺が腹立ってきたらどうなるんだよ。勝手なこと、みんな、俺はやめるやめるって、勝手に言うけどさ、俺がやめると言いたい、先に。

西部:それでもNAMは、残る。

柄谷:いや、そんな、僕がやめてしまえばNAMは残っても意味がないと思いますから、つぶしますね、僕は。それは何か間違ってるからさ。

杉原:(笑)歩く『原理』(笑)。

柄谷:絶対、直感的に間違ってると思うから、僕は批評空間もつぶしました。

杉原:????(聞きとれず)。

西部:僕は、自分がやめてもQはQでやっていけばいいと思ってるけど。

柄谷:いや、違いますね。

杉原:やっていけないと思いますね。

「いや、そんな、僕がやめてしまえばNAMは残っても意味がないと思いますから、つぶしますね、僕は。それは何か間違ってるからさ。」「(笑)歩く『原理』(笑)」というような発言が、最悪のかたちで実現されたというほかない。NAMは柄谷行人が暫定代表を務めていた頃、柄谷行人の影響力から脱した自立した組織を作るために努力し、組織の機構整備をして、選挙+くじ引きのNAM代表選を経て、田中正治代表・朽木水・和氣久明副代表の体制が出来たのだ。それなのに柄谷行人は自分がいなくなれば潰れるよりほかない組織を望んでいたのだ。これは矛盾ではないか? NAMの原理を実現するためにあれだけの精力を傾けて選挙+くじ引きを実現したのに、自分がやめれば潰れるよりほかない組織を望むとは?

或るNAM会員から聞いた話では、柄谷行人は「Qは終わった」削除問題で紛糾していた時、「所詮くじ引きで決まった代表の癖に」と田中正治を批判していたという。真偽の程は確かめようがないが、事実だとすれば、選挙+くじ引きに真の民主主義(ブルジョア独裁に対するプロレタリア独裁)を見るNAMの原理の自己否定ではないのか。

くじ引きで決まった代表は、著名人である理論家の方向転換(転向)の前では、異論を差し挟むことも許されず追随するよりほかない存在なのか。そんな存在であれば、代表の名に値しないし、NAMの原理総体が疑義に晒されることにはならないか。そんな代表をくじ引きで選んだところで、実力者の実力行使の前で無力なのであれば、何にもならないのではないのか。

田中正治が言っていた通り、アメリカのアフガニスタン爆撃(報復戦争)の際、NAMの原理(general boycottが戦争を阻止するという)が試練に掛けられ、その無効性を露わにしたのと同じように、Q-NAM問題において、NAMの原理(選挙+くじ引きによって選ばれた代表が権力を持つという)が試練に掛けられ、その無効性を露わにしたのだ。田中正治代表は、部分的には異議を申し立てながらも(しかしそれがどのような部分であるのかについては田中正治は何も述べていない)、全体として柄谷行人に従うほかなかった。それはNAMの原理の自己否定であった。

NAMにおいて、民主主義が問われ、柄谷行人が強硬な手段に出たことはQ放棄とLの採用が初めてではない。森谷めぐみが言うように、NAMの歴史は紛争の歴史であった。以下はq-discussionの576番の森谷めぐみの投稿からの引用である。

現在、NAMの活動が停滞しているということですが
これはシステムがそうさせているというよりも、
これまで何度も起こってきた内紛によって人が離れ
結果的にそうなってしまっているのだと思います。ルールや「官僚的統制」は
本来、活動的な部分を縛るためのものではなく
異なる生活条件や思考、環境におかれた個人の諸実践や理論的考察の多様性を
すくいとり、後につなげるためにあるはずです。

これまで活動に参加してきて感じるのはそのような多様性の喪失
異論を許す寛容さの欠如です。
内紛が起こる度に異論は十分に検討されないまま
抑圧ないしは排除される。そして別の事態が起こると
当の排除されたはずの意見が別の誰かの意見として
まことしやかに復活する。
場当たり的で前後のつながりはありません。

これまではルールがまだ整備されていないから、組織が
未成熟だからと考えてきたのですが、ここにいたって
目にするのはそのようなシステムつくり自体を
悪しき「官僚化」として退けようとする傾向です。
断絶によって新たな風が吹き込まれたように一時的には見えても
それはいっそうの悪循環に運動を閉じ込めるだけのものではないのか?
本当の意味で外部に開かれ、深く社会に根づいた運動となっていけるのでしょうか?

スペースAKにNAM事務局があった頃からNAMに、その諸紛争に主体的に関与してきた森谷めぐみの発言には耳を傾けるべきところが多い。私は森谷の意見に賛同する。

柄谷行人が「民主主義」を否定して強硬な介入に出たのは、最初スペースAKとNAMとの分離に際して、次いでQ会費の義務化に際してであった。

まず、スペースAKとの分離に関しての柄谷行人の発言を見る。以下は[NAM:0155]より柄谷行人の発言の引用である。

私は、NAMの原理を実現するためなら、別に、非民主的だといわれても構わない。み
んなが一致しているなら、ファシズムでもいいのか。創価学会や共産党でもいいの
か。一人一人の意向を聞くのが民主的なのではない。問題は、組織の形態、システム
の形態である。NAMがNAM的でない組織になりつつあるとき、私は、いっそ現在の組織
を全部解散して、あらためて始めてもよいと思う。その覚悟で臨んでいる。これまで
幾度も繰り返されてきたトラブルを、この際、決定的に解消するつもりだ。

しかし、今回の改革に反対しているのは数人にすぎない。実は、空閑氏も反対してい
ない。だが、手続きが、歴史的経緯が、友情が、ナンタラカタラが、というだけであ
る。反対でないなら、積極的に、スペースAKをNAMと切り離し、経営的に自立させる
案を提示し、協力を請うべきである。それなら、私も話に応じてよい。もともとそう
提案しているのだ。

次に柄谷行人が強硬な介入に出たのは、Q会費義務化の件についてである。以下は[NAM:1148]よりの引用である。

 (注) Qの義務化は、センター評議会で承認された。細部に関して、具体的にど
うするかということを協議するために、全体会議が開かれた。しかし、センター評議
会のメンバーが、その場で出てきた疑問に対して説得すべきであるのに、逆に不安に
なって、NAMが非民主的になった、変質しているなどということはどうかしている。
NAMは、これから、もう少し「NAM的」になり、民主的になるのだ。今のような労働の
不平等のままでは、民主性などありえない。したがって、このプロセスが、トップダ
ウンで非民主的であるという人は、言葉の用法においてまちがっている。それは、自
分の意見が受け入れられない場合にセンター評議会を非民主的であると非難し、今も
NAMを柄谷カルト集団といっている、元NAMの人物(K)と似たようなタイプの人であ
る。この種の人物(小数)に対して、心弱く反応してはならない。現在、最も非民主
的なのは、一部の会員が過剰な労働を強いられている(もちろん自発的にやっている
とはいえ)のに、何もしないで、ただ、代表や事務局やQプロジェクトらの官僚性を
批判するというようなメールを書き、そして、何かにつけて自分の「独走的」な意見
を送ってよこすような人(少数)である。私は、むしろ、この種の少数の人たちが、
多くの人にメールを書くのを躊躇させていると思う。このような人たちはたんに無視
すればよい。それが正しい批評であり、それがなければ、民主性などない。

このように柄谷行人は、NAMへのQ導入までは、NAMの原理を実現するためにという名目で強権的な介入を行ってきたし、NAM一般会員も、(恐らくは)自分が契約したNAMの原理の実現のためだからという理由でそれを支持してきた。しかし、Q-NAM問題における柄谷行人の振る舞いはそれとは違っている。NAMの原理や組織原則の実現のために強硬な手段を採ったのだとはいえない。

とはいえ柄谷行人は言う。「LがNAM的だとすれば、Qは赤軍的です。」だとすれば、Q-NAM問題における柄谷行人の介入もまた、NAM(の原理)の名におけるものなのか。

田中正治代表自身を含めて多くの人が言っていたように、「NAM的」という形容詞の意味は曖昧であった。各人各様の理解があった。NAMの原理に即して言えば、それが実現すると称している交換の形態「アソシエーション」が謎めいたものに留まっているのと同じ意味で、謎めいているのである。しかしそれが、「歩く『原理』」として柄谷行人が恣意的に加える解釈が、その場その場の「トランスクリティカル」(これまた「NAM的」ないし柄谷的な隠語である)な批評ということになってしまうのであれば、結果的にNAMは柄谷行人の私物ということになってしまう。それで良いのか。

Q-NAM問題における介入において柄谷行人は「NAM的」でなかったというべきか、或いは、NAM及びそれに属する隠語の一切が宗教的なものだったというべきか、そのいずれかだ。言い換えれば、NAMはその末期に変質して柄谷行人個人に諸個人が帰依するような宗教的な組織になってしまったというべきか、或いは最初から宗教的だったというべきか、そのいずれかだ。いずれにせよ柄谷行人は批判されるべきなのだ。

NAMとは何だったのか。柄谷行人の私物だったのか。そうではなく、パブリックなものだったのか。そのようなことをあからさまに問うことを通じて、社会運動一般の倫理的要請を考察してみたい。

社会運動は、諸個人が対等な資格で参加すべきものであり、一部の者らの恣意によって重要な意思決定がなされるべきではない。運動内民主主義が必要である。このことについてNAMは自覚的であったが、それだけに却って、最後における、つまりQ-NAM紛争における柄谷行人の介入の是非は、その問題性が大きなものである。それは運動内民主主義を損壊させたものではないのか。「バカ」を排除することによって、知識人の(閉じた)運動を志向するものではなかったのか。

NAM抜本的改革委員会で言われていたように、NAMが根本的に知識人の運動であるということ自体に私は異議を唱えようとしているのではない。それが知識人へのそれ以外のメンバーの従属を意味するのかを問うているだけである。知識人は、知識人として理論的実践を志向すべきである。しかし、例えばQからLへの転換などを、自分が参加する運動体に強いる資格があるのか。知識人以外のメンバーの意思はどうでもいいのか。それは運動内民主主義を損壊するものではないのか。

[nam-reform:0007]から引用する。

【研究所】
NAMには多くの知識人や物書きが入っているのですが、MLでは、その人たちが沈黙せざ
るを得ない雰囲気があるのです。唯一の場であるフォーラムも結局停止に追い込まれ
ました。現在のNAMには、妙に「実践」を重んじる傾きがあります。しかし、NAMは根
本的に知識人の運動であり、べつにそれを恥じる必要はありません。理論的実践にお
いて不徹底であること、たとえば、Qのようなエセ理論を放置しておくことこそ恥じる
べきです。第二次NAMは、もう一度、NAMが世界で最も先端的な知的運動であることを
示すものです。(柄谷10−26)

田中さんがいわれたように、「研究所」(仮題)のようなものをつくりたいと思いま
す。ここには、学者・物書きなどに入ってもらいます。(その意味で、関心系「理
論」を削りたい。)こういった人たちが、関心系MLに出たくない気持がわかるし、同
時に、彼らにも何かやってもらいたい、ということで、研究所やフォーラムなどを考
えました。世間的には、**研究所があるというだけで、どういう人がやっているか
は隠しておいていいと思います。
編集局には、物書きなどに、フォーラムの編集委員(レフェリー)になってもら
います。講演会その他では、彼らの協力を得たいと思います。(柄谷10−30)

私はこのような構想自体に反対なのではない。しかし、Q-NAM問題における柄谷行人の振る舞いにおけるように、QからLへの転換を事実上押し付けるようなやり方が通ってしまっていいのか、それは運動内民主主義を損壊することにならないのか、と問いたいのだ。NAMは直接民主主義が不可能であることを前提として始まっている。代表制(選挙+くじ引き)があり、代表者評議会(センター)がある。それが建前だった。知識人が全会員に訴えることが民主的なやり方だというような手法が許されるのであれば、煩瑣な代表制など要らない。要するに柄谷行人の発言は、NAMの原理の(つまりは柄谷自身の)自己否定に他ならない。

のみならず、QからLへの転換に当たって、理論的正当性があったのかも不明である。柄谷行人は『NAM原理』で、近代科学の特徴を知識の公開性に求め、それをコミュニズムと同一視している。そうであれば、自分が理論的振る舞いにおいてそれを実践すべきである。柄谷行人は市民通貨の理論について述べていた。

断っておきますが、私がここで示したのは、Lのアウトラインです。私は、Lに関
して、理論的な根拠を用意しています。だから、この文章を読んで生半可な批判
をする者は、いずれ泣きを見るでしょう。
--中略--
以上で、私は、まともな知性をもつ人なら理解できるはずのことを伝えました。
これを理解できないような人たちともに活動する気はありません。そのような人
たちの、無知なくせに、傲慢で無礼な態度に対応するつもりはありません。で
は、一先ずさようなら。

また、以下のようにも述べていた。

Qは、何十年経っても、だめです。いまだにそのことがわからない人は、NAMにと
どまるべきでない。(りこうぶったバカが何人いても仕方がないし、NAMにとっ
てたんに有害です。)

であれば、柄谷行人は、市民通貨の理論、Lの理論を早く公に問うべきである。紛争から3年以上が過ぎようとしているが、未だに市民通貨の理論は公表されないし、ましてや実践もされない。私は、日本において市民通貨Lの立ち上げが見送られたということを、Lの提案者である原祐人から直接聞いた。であれば、かつての踏み絵のようなQかLかの二者択一の強要は一体何だったのか。

のみならず、元登記人の電話証言によれば、LはQを潰すためにでっちあげられたものだった、という。真偽の程は定かではないが、もしそうだったのだとすれば、一体詐欺師は誰だったのか、と問い直さざるを得ない。

要するに、Q-NAM紛争の一切が、人間玩弄的な演劇だった。QをNAM的なものとして取り返すことを主張した時期からQ放棄とLの採用を決めた時期に至るまで、私たちNAM会員は柄谷行人の掌の上で踊っていたに過ぎない。柄谷自身は真摯だったのかもしれないが、それでも本件の人間玩弄性は消えない。NAMは自壊したのであり、柄谷行人自身が、そして柄谷行人に帰依したNAM会員自身が、NAMを壊していったのだ。その事実は消えない。

【註1】[nam-rules:0353]は非常に長文なので、以下一部抜粋して紹介する。

柄谷さんの発言の内容は、宮地さんと穂積さんが帰られた後には、彼ら二人に
対する批判がその多くを占めるようになりました。いわく、穂積さんが
Winds_qの開発体制において閉鎖的な体制をとることで他の開発者が入れない
ようにしている、湯本さんがNAMをやめたのは穂積さんが怒鳴りつけたからだ、
穂積さんと宮地さんは大阪コンビで(ロケットダンスじゃなくて何だったかな?
)Q-hiveを乗っとろうとしている、というような具合です。私は、以前述べた
通り、穂積さんが閉じたWinds_q開発体制を進めているというのは完全に事実
誤認だと思ったし、湯本さんがNAMをやめられた理由についても、湯本さんご
自身がどのように思っておられようと、穂積さんにその責を負わすのは違うの
ではないかと思いました。そしてその旨の発言もしたのですが、柄谷さんは聞
き入れてはくださらなかったように思います。

このオフライン会議における案件の討議が全て終了した後、そのままの人員配
置で、主に柄谷さんによる西部さんに対する質問が続きました(一種のオフ会
です)。このあたりになると私も疲れてしまって記憶が定かではないのですが、
わけさんが書いておられたような感じで、MLだけとか言ってばかりではダメだ、
オフライン登記班の人たちにQ-hive代表として謝罪しなさい、宮地・穂積の横
暴を止めるべく、西部さんあなたがしっかりしなければならない、というよう
なことを言っておられたように思います。

その過程で西部さんは、オフライン登記班のみなさんに、形式的に(あぐらを
かいたまま、体の向きをも変えず、本当に形式的に)謝罪されましたが、「宮
地さんや穂積さんが今度乱暴な行動を取ったときには、彼らをやめさせること
も辞してはならない」との柄谷さんの呼びかけには、心底賛成はされませんで
した。西部さんが言われたことで特に私の記憶に残っているものは、「僕はQ
を立ち上げるまでに鈴木健さんを始め多くのものを失っている。これ以上(宮
地さん・穂積さんを)失うのはいやだ」というものです。

その後、私は朝の7時に仕事に出掛けなければならなかったので、その場を立
ち去ろうとしたのですが、その時西部さんが私をつかまえて、「杉原さん、
Q-hiveの代表をお願いします。君ならできる」と言われました。その申し出が
あまりにも唐突であり、私自身そのような力量がないことがわかりきっていた
ので、「ユーザーはどうするんだ。私は西部・宮地・穂積三氏とQ-hiveの運営
をやっていくことに何らの異議もない。私も協力するからQ-hiveをやめないで
くれ」と答えました。

(つまり、西部・宮地・穂積の三氏の助力なしにQ-hiveを運営していくことの
困難にぞっとしたということです。補足しておくと、穂積さんには主に非NAM
会員のプログラマのみなさんが協力しており、穂積さんを尊敬しておられたた
め、それらの人たちに理解不可能な形で穂積さんがQ-hiveをやめられるような
事態が生じたときには、Winds_qのメンテをやる人は誰もいなくなり、Qは崩壊
するだろうと思ったのです。)

私は、宮地さんが業務の遂行においてあまりにもちゃらんぽらんなことを理解
していたにせよ、私と一緒に登記関連の作業をやっていくことでいくらか「現
場」を知っていただけるだろうと推測してもいたし、「妄想」=突拍子もない
企画の意義が全面的に否定されれば、何の面白味もないと考えていたので、そ
の場を離れるときに、「何で妄想(を述べるの)がいけないんだ。宮地さんの妄
想で攝津さんとかは元気になったりしたじゃないか」と述べました。西原さん
が賛意を示してくれたような気もするのですが、何にせよ記憶が定かではあり
ません。何でこんな穂積・宮地批判ばかりやり続けるんだと、恥ずかしながら
涙が出てきたことだけ覚えています。

以上が私の記憶しているオフライン会議・オフ会のあらましです。

柄谷さんは、確かに、専従制がいかに組織的に変質しやすく危険なものか、
NAM的な理念の保持を高く掲げなければQなどあまたあるバカLETSの一つに過ぎ
なくなる、など、非常に的確な助言も多数して下さいましたが、上に挙げたよ
うな宮地・穂積批判について、私は正直言ってついていけませんでした。事実
誤認があまりにも多過ぎるように感じられたし、私は、ある個人を総体として
否定するということがどうしても出来ず、その人の個別の行為を逐一批判し、
その人の変化に期待していくことしかない、というスタンスをずっと取り続け
ているからです。このことについては確か柄谷さんと次のような議論になった
ように思います。

杉原:「でも人は変わることがあるじゃないですか」
柄谷:「実際誰が変わったことがある?」

ここで、私が、これら柄谷さんの言明を事実関係に立ち戻り逐一批判していく
という行為に、あきらめの余りほとんど及べなかったことは、私がどれだけダ
メな奴かということを示す一つの指標だと思います。

【註2】[nam-rules:0334]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-rules@freeml.com
Subject: [nam-rules:0334] 柄谷提案ーnam的なものをめぐって
Date: Tue, 10 Sep 2002 17:20:50 +0900
Message-ID: <000101c258a2$f9a547a0$c4e082d2@DYNABOOK>

規約委員会の皆さんへ

 この規約委員会は、新たな規約を作るだけでなく、NAM創設以来の理念を新鮮
に保持するための機構です。初期からNAM創設にかかわってこられた方に参加を
お願いしてきたのは、そのためです。しかし、その一人である、西部氏がNAMを
脱退されました。

その発端は、西部氏がQに常任者をおいて、旧来のような(NAM的な)運営をや
めて企業化する構想を強行しようとしたところにあります。西部氏の構想にした
がえば、NAMのプロジェクトとしてはじまったQの特性が、すべて失われてしま
います。そして、Qが何を目指すかも不明になる。LETSは政治的には何とでも結
びつくことができるので、NAM的であってのみ、LETSはQたりうるのです。NAM的
な理念を否定したLETSがどうなるかは、他のLETSを見ればわかることです。

 もちろん、QとNAMは別です。しかし、それはQが「NAM的」であることを否定
することであってはならない。NAMは、それ自身の拡大よりも、「NAM的なもの」
を外にもたらすということを課題にしています。では、「NAM的なもの」とは何
でしょうか。

NAMのホームページの「Q&A」に、「NAM的なもの」とは何か、という質問に対
して、つぎのような答えがあります。

《要約すれば、次のような条件を満たしている場合のみ、「NAM的」です。主観
的な「気分」でなく、資本と国家に対抗する理論的根拠と方法をもとうとしてい
ること。第二に、組織原則として、互選とくじ引きで代表者を決めていく意志を
もっていること。第三に、複数次元が交差し、それらの間での諸個人の分業と協
業によって、資本と国家に対抗するというような方法をもっていることです。》

柄谷に文責があるとはいえ、これは、NAMの当初から、共有され確認されていた
認識です。以上の定義は、さらに簡単にすると、運動の目的、と、組織論に関す
る規定であるといえます。

NAMのプロジェクトから派生した組織が、いかに独立していても、以上の原理・
原則をもっていなければならないことは自明です。(われわれはそれをNAMの遺
伝子と呼んだりしました)。Qの場合、以上の「NAM的なもの」の定義は完全に
当てはまるし、当てはまらなければならない。

つぎに、こうした原理や原則は、現在、実行できないとしても、それを「統整的
理念」としてもっていなければならない。それはNAMだけでなく、「NAM的な」運
動体にもあてはまるものです。

以上の原理・原則から見ると、西部氏の、QをNAMから切り離そうとする動機に
は、疑わしいものがあります。彼はNAM的なものを認めていないのです。西部氏
はLETSを実現するために、NAMとNAM会員を利用してきたが、NAMあるいはNAM的な
ものへの関心はなかったというほかありません。たとえば、西部氏は、二年の間
に、北海道で一人のNAM会員をも集めていない。もし本人が意図的にNAMを否定す
るか隠しているのでなければ、これは、ちょっとありえないことです。

今から見て明白なのは、西部氏が自分のLETSを実現することを目指しており、他
のことは眼中になかったということです。そのために、NAMを利用し、今後利用
できるものはない、ということで、NAMと断絶し、Qの企業化を強行しようとし
た。それは、これまでNAMの人たちの協同によってなされてきたことを、すべ
て、西部氏の私有物(学問的業績?)と化すということです。

西部氏がNAMを脱退したのは、これまで従ったふりをしてきたNAMの諸原理を、い
まや公然と拒否する、ということ以外ではありません。しかし、もしわれわれに
落ち度があるとしたら、NAMから派生した組織が、いかなるものでなければなら
ないか、もし違反したらどうするか、について、規約としてはっきりさせていな
かったところです。(とはいえ、暗黙には了解されていたのであって、これを明
文化することは、原理改正というほどのものではありません。)

今回の規約改正において、この問題を入れていただくように提案します。

ついでにいうと、Qの生成の過程で、特に会員の身分証明をめぐる議論、また、
セキュリティをめぐる理論などで、創設以来の重要なメンバーが二人NAMを脱退
しました。この対立は、QにNAM的な理念を実現しようとする人たちと、Qの実
現のためにそのような理想主義を斥ける人たち(西部氏はその筆頭です)の対立
です。私は、すぐに実現できないとしても、理念として書き込むことを主張しま
した。(Qが他の地域通貨やLETSと異なるのは、たとえば、ホームレスや非合法
移民でも使えるような市民通貨に、将来的にはなりうるということです)。しか
し、結局、それも西部氏によって無視・却下されてしまった。

ところで、Q形成の過程で、NAMから辞めてしまった「NAM的」な人たちとは、岡
崎さんと湯本さんです。彼らは、NAMの理念を具体的に語りうる人たちであり、
また、この規約委員会にも属していました。彼らが辞めてしまうような組織はど
こかでまちがっている、と私は思っていました。そして、今度、そのまちがいが
何であるかにはっきり気づいたのです。私は、NAMの規約改正、とQのNAM化を実
行することで、彼らにNAM復帰を呼びかけたいと思います。

また、つぎのようなことをQに関与しているNAMの人たちに訴えたいと思いま
す。NAMは、NAMの外に「NAM的なもの」を散種するといってきたのですが、そも
そもNAMの中から出てきたQを「NAM的なもの」にするのは当然です。そして、そ
のような闘争によってしか、Qの未来はありません。

                       柄谷行人

【註3】[nam-rules:0362]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-rules@freeml.com
Subject: [nam-rules:0362] Re: 柄谷提案ー nam 的なものをめぐって(規約) 21
Date: Sun, 15 Sep 2002 12:55:31 +0900
Message-ID: <000001c25c6b$c1c00c40$bee082d2@DYNABOOK>

柄谷です

規約委員会の皆さんへ

西部忠に対する私の言動が唐突で感情的なのではないか、となどと思う人たちが
まだいるようですが、自己弁明のために、これまでいわないでいたことをいわせ
ていただきます。最後に、Q管理に向けて書いた文章も付け加えます。

そもそも、西部を批評空間に抜擢したのは、誰でしょうか。実は、浅田彰氏なの
です。ところが、浅田氏は西部に対して、非常に否定的で、ことあるごとに、鈍
い、認識が甘い、文章がへたくそ、ーーなどとけなしていました。(批評空間の
座談会でもそういう態度は少し出ています)。私はそのことに特に異議はなかっ
たが、彼がNAMに参加し、積極的に実践的であることを評価し、ずっと守り立て
てきました。だから、もしその面で疑わしくなると、私の評価は、全部だめにな
ります。そして、今度、それが致命的な域に達したということです。

今回の件に関して、浅田氏は次のように書いてきました。(私信なので、他の所
で引用しないでください。私がいうだけでは信じない人がいるようなので、あえ
て引用するのです)

ーーーーー
柄谷 行人 様
西部忠の地域通貨論を最初に柄谷さんに推薦したのは僕なので、やや責任を感
じないでもありませんが、僕は一貫して西部忠自身をさほど高くは評価してき
ませんでした。(たとえば、岩井克人の理論は出口なしの資本主義的ニヒリズ
ムではあるものの、それなりの鋭さはあった。西部忠はそのレヴェルにも達し
ていないと思います。)彼のヴィジョンでは、地域通貨も結局モラルを共有す
るコミュニティの再建といったところに落ち着くだけでしょう。柄谷さんの
ヴィジョンとはレヴェルが違うわけで、政治的・感情的なことを除いても、決
裂は不可避だったように思います。

柄谷さんが「いまこそ運動を」と言われるのはよくわかりますが、実際にはな
かなか難しいですね。変な権力志向をもった人が寄ってきたり、とくにネット
だとキチガイみたいな目立ちたがりが寄ってきたり。ぼく自身、NAMに貢献で
きず、たいへん心苦しく思っていますが、率直にいって、どうしていいかわか
らない状態です。
ーーーーーーー

浅田氏が言う「変な権力志向」というのは、当然、西部をふくみます。西部は、
私が先日、批評空間を終刊したとき、猛烈に抗議して来たそうです。自分の連載
をどうしてくれる、と。われわれから見れば、むしろ、そんなものを載せてい
て、赤字を作ることを今後続けることはできないということで、終刊したので
す。

批評空間社代表の内藤が死んだためにこのような事態にいたったことを残念に思
い、それまで載せてもらったことを感謝するというのが当たり前です。しかる
に、終刊に抗議する、という身勝手さ。

ところが、一方で、西部は鎌田哲哉とともに、批評空間に連載しつつ、同時に、
NAMと柄谷を攻撃する同人誌(「重力」)を出しています。こういう甘ったれど
もを、今後、赤字(結局私が負担する)を出してまで、助ける必要はありませ
ん。ここで、西部は、NAMに対しては、遠慮がちですが、実は、鎌田とグルだっ
たと思います。鎌田は、NAMを否定し、Qでやるという考えなので、西部はそれ
に同調しているのですから。

大体、こういう経緯があって、私はまず鎌田を批判し、今後一切の保護をしない
ことを声明しました。(批評空間サイト「子犬たちへの応答」)。実際は、西部
も「子犬」の一人です。明らかに敵対することをしなかったために、ほうっておい
たのですが、今回は違う。NAMでやっているから守り立てていただけなのですか
ら、彼がNAMや私を批判するのであれば、当然、これまでのような庇護を期待で
きないと考えるべきです。この程度の能力で、物書きの世界でやっていけるな
ら、やればいいだろう、ただし、私の庇護は今後いっさいなしでやってもらう。

物書き、理論家としての西部なんて、どうしようもない、と私は思っていまし
た。しかし、私は、実践家としてよければいいのだ、と思っていたのです。とこ
ろが、この実践的情熱には強い「権力志向」がひそんでいた。これは、鷹揚そう
に見える外見からは、なかなか気づけないものです。しかし、これまでにも、あ
れ!と思うことが幾つもありました。

「NAM原理」が出たとき、太田出版では、それを「原理 柄谷行人著」として出
しました。NAMという字もよく読めないデザインでしたから、私は見本刷りを見
た瞬間、、これは困ると思って、落合さんにいい、また、西部にも伝えました。
すると、西部はえらく憤慨してきました。私は謝罪しました(私のせいではない
のに)が、彼はさらに太田出版を攻撃しつづけたらしい。高瀬さんはそのことを
よく覚えているはずです。違いますか?

落合さんたちからみれば、「NAM原理」を柄谷行人著として出すのは、そのほう
が売れるからにすぎません。しかも、売れた利益も、NAMに寄付しているのです
から、別に販売至上主義だからではない。とはいえ、私自身が真っ先に、今後
「柄谷行人編著」としてくれ、といったのだから、それで片付いたはずなのに、
その後の西部が実にしつこく攻撃的に大田出版に迫ったことを、落合さんから聞
きました。

さらに、印税の寄付というでは、他の共著者、朽木さんも、高瀬さんも、これを
自分の著書だなどと思わず、印税の寄付も当たり前だと考えていたのに、西部だ
けは違っていた。その証拠に、一度NAMに寄付した金を、引き出してQに移して
います。NAMセンター評議会はこれを承認しました。しかし、これはすでにNAMの
金なのです。

NAMがQに贈与したということ。この認識が西部に欠けています。NAMの財政的援
助を受けない、などというのは、滑稽です。まあ、法律的に争えば、西部が勝つ
かもしれませんが(朽木さん、どうですか?)、このケチと身勝手では、人がつ
いて来ないでしょう。

そもそも、「柄谷行人編著のNAMの本」でなければ、西部ごときが、こんな小論
文一つで、50万円?もの印税を得られるはずがないのです。私は、このような
場合、自分の名を使うことを権利ではなく義務だと思っています。私の名がなけ
れば、本屋が本をおいてくれないということは確かですから。しかし、西部は、
自分の権利だけは主張するが、それが、いかに他人に依存しているかを少しも考
えない。

(以下に転載する文でも述べましたが、近畿大学の件で、あれほど関井さんに世
話になりながら、彼はお礼の一言もいっていない。自分が偉いから、関井さんが
奔走しただけだと思っているんでしょう。)

もっとさかのぼると、朽木さんが東大駒場の丸山という教授(すべての面で西部
の先輩に当たる)にLETSのことでNAMに誘ったら、西部が激昂したという出来事
がありました。そうですね、朽木さん?ふだんの西部とあまりに違うので、
ショックだった、と朽木さんがいっていました。

以来、西部以外に、専門家がNAMに入れない状態になってしまったのです。西部
と同期の、龍谷大学の(経済学)教授も、私やNAMに深く共鳴しながら、西部を
嫌ってNAMに入らなかった。これは実は困ることです。経済学関係者が入ってこ
ないというのは。しかし、私は、それでも、西部がNAMでやっているのだから、
という理由で、我慢していました。だから、西部がやめたら困るという考えは少
しもありませんでした。彼のいう理論は1時間ぐらいでわかってしまい、それ以
上、何もないのですから。

彼がNAMとしてやる気がなかったことは、北海道、特に、北大でNAM会員がいない
ことから明らかです。実は一人いますが、近畿大学から進学した人です。この人
から、以前、西部が学内でNAMのことで何もいわないのはなぜか?という疑問を
聞いていました。自分が損をするようなことをしないということでは、西部は一
貫しています。

彼は、自分の手柄、自分の権利に関しては恐ろしく敏感で、他の人にいかに依存
しているかについてはまったく鈍感である。このことは、京都南無庵での、後
藤・茨木さんらに対する態度においても露骨に示されています。あのとき、茨木
さんが、あの人は、普通の人間の心の機微がわからないんでしょうか、一言謝っ
てくれたら、それで私は気が済んだのに、とつぶやいたのを、思い出します。し
かし、たんに一言謝るにしても、その言い方が大切で、それには本当に、他人に
対する想像力がいるのです。

とにあれ、西部について、まさか、そんなことはーー、もう少し話し合って
は、ーーなどといっていると、間に合わなくなると注意しておきます。Qに関し
ては、今後、すこしでも妥協してはいけない。その結果、西部がいやになって自
分からやめたって、少しも構わないのだから。

NAMに関しては、西部がやめたのはよかったと思います。案外、西部のおかげ
で、優秀な人たちがNAMに嫌気がさしていたからです。浅田氏はいうまでもな
い。私がこの前からいっているのは、実は、こういう連中が気楽にやれるような
NAMにしなければならない、ということです。したがって、この出来事をきっか
けにして、NAMの雰囲気がよくなることを期待しています。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q管理に投稿した文章

 柄谷行人です。

 私の穂積さんに関する発言がテープから起こされて配布されているようです
が、私は別に発言の事実を否定しません。ただ、その文脈を説明させてくださ
い。

そういうことをいったのは、穂積さんが遅く来て一時間ほどで南無庵を去られた
あとではないか、と思います。私は、その時点で、穂積さん・宮路さんを批判し
彼らの構想に反対するならば、Winds-Qを断念しなければならないだろうと、
思っていました。少なくとも、そのような脅しが含まれていると思っていまし
た。だから、そのとき、それを覚悟したのです。

以前、NAMのおけるプロジェクトの時期に、穂積さんの強い発言のために、ひと
りの人がNAMを辞めてしまったことがありました。私はその人を尊敬していたの
でとても残念でしたが、あえて穂積さんに謝罪を求めることはしませんでした。
それ以後も、穂積さんの言葉が他人を傷つけることが多かったのですが、私は抗
議しなかった。結局、他に、ソフトを開発する人がいなかったからです。しか
し、当然、穂積氏に腹を立てる人がいますし、その結果として、穂積氏のほうか
ら、NAMの退会を宣言されました。私は慰留しましたが、Qはやるということ
だったので、それ以上はいいませんでした。しかし、いつ辞めてしまうか、とい
う不安をもっていました。そして、そのような技術のために倫理的な問題を抑え
ているあり方は、まちがっていると、思っていました。しかし、それをあえて口
にすることはしなかった。

近頃は、Qの中で、穂積さんに激しく言われて、黙るほかなかったという人がい
ると聞きました。そして、南無庵のでの倣岸なる態度を、私自身も目撃しまし
た。そこで、私はついに覚悟を決めたのです。穂積さんしかできないことをやっ
ているとしても、それほどに、人を罵る権利はない。これは金にすれば、すごい
仕事だといわれても、そのような振る舞いが伴うのであれば、むしろ金を出した
ほうがましだ、私は密かに個人的に金を出してもいい、という覚悟を決めまし
た。二度と、妥協はしない、いやなら、やめやがれ、と。たぶん、そういうとき
に出てきた暴言です。みんな穂積さんがやめたら困る、と思っている。だから、
そんなことはないよ、と私はいわなければならなかったのです。

別に、私は、穂積さんの仕事を見下しているわけではない。貴重だと思っていま
す。しかし、あまりそのことで傍若無人な態度をとられると、いったいそれが何
だ、といいたくなるのです。そういう気持があって口走ったものでしょう。NAM
では、人は、仕事がちがっていても、能力が違っていても、根本的に、対等な関
係でなければなりません。NAMから派生したQでは、そういう態度が許されるの
か。実際、南無庵の人たちは、Qでは自由な発言が難しいと感じている人たちで
した。

もちろん、穂積さんがそのようなつもりでなく、また、そういう態度をそれ以後
とっていられないのであれば、私は深くお詫びします。なお、私の監査委員資格
が問われているようですが、私は一度任期が切れて後、もともと、メールを読ん
でおりません。自分が監査委員だというのは京都で初めて知ったことです。だか
ら、監査委員を辞退します。(しかし、監査委員であろうとなかろうと、私がQ
に関して意見を述べる権利はあります。)

 ところで、私は、8月初旬に、西部氏から、8月中に、namのボランティアで
は当てにならないから、宮路さんを専従とする体制へ移行すること、Qハイブは
全面的に縮小することがMLで決まった、それゆえNAMでQを支援するなどとい
うことをやらないでほしい、という旨の私信をもらいました。NAMのウェブサイ
ト局で、まさにQを支援するような記事を作るために、西部氏にインタビューす
ることを申し出たからです。その時点では、私は、そのような決定が実際にQの
中でなされた、と思っていました。

しかし、私は、京都南無庵での会合で、そうでないことをはじめて知ったので
す。そして、南無庵で働いている人たち3人が、そのような情勢に抗議したら、
西部氏から解任動議を出されたということを、その場で、はじめて知ったので
す。その瞬間から、私は反対し始めたのです。だから、多くの点で、私には情報
が不足しており、勘違いも多かったと思います。しかし、私は、南無庵で登記の
仕事をやっていた人たちのいうことに、真実があると判断しました。

私は、西部氏が反省することを期待して、夜を徹して説得しました。だから、私
は、このとき、彼らの背後に西部氏の意志があることを知りながら、むしろ不在
の宮路氏らを批判することで、直接には西部氏を責めずに、説得しようとしたの
です。そのために、この現場では、遅く来て早々と帰ってしまった宮路・穂積氏
らを批判するかたちになりました。しかし、本当は西部氏を批判していたので
す。もちろん、西部氏にはそれは少しも通じなかった。傲慢な対応をとりつづけ
ました。私は、二度とこの人を相手にしないと決めました。私に対してこれほど
の態度をとれるなら、私に依存することは今後一切やめてもらう、と。以下のこ
とは個人的問題ですが、西部氏が公開した以上、私も少し説明します。

一つだけ例をいうと、彼は、7月ごろ、この秋外国留学するために、資格がいる
ので、近畿大学の研究所の客員教授にしてほしいといってきたのです。この研究
所のプロジェクトは、一年後に実現する予定であって、まだまだ先の話でした。
西部氏の依頼を受けて、急遽、研究計画をいわば、でっち上げたのです。無理を
承知で、NAM会員の関井光男さんにやってもらったのですが、彼は大変苦労しま
した。途中で、西部さんのしつこい要請に対して、キレそうになったことがある
そうです。だから、関井さんは、私の話を聞いて激怒し、全部キャンセルしたい
と言い出しました。NAMを否定するような地域通貨など、研究に値しませんし。
したがって、私が西部氏に頼んだことを勝手に撤回したというのは、虚偽です。

Qの皆さん、Qがこういう状態になってしまったのは、実行を優先させて、理念
を軽視したからです。

私は、Qにとって、「NAM的な」原理や組織原則が不可欠であり、それがなけれ
ばたんなるLETSや地域通貨になってしまうと考えています。人間がおり思想があ
るならば、技術的な事柄は、いつでもやり直せる。しかし、人間と思想がだめに
なっていれば、それは成功したとしても失敗でしかありえない。しかも、成功す
ることさえもない、と。

なお、公平を期すため言うと、西部忠の反論はhttp://www.q-project.org/q_kyoto.htmlの【註2】にある。

【註4】[nam-rules:0404]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-rules@freeml.com
Subject: [nam-rules:0404] Re: 議案再整理--プロジェクトに関する規約 22
Date: Sun, 29 Sep 2002 16:33:19 +0900

柄谷です

山住さんへ
私の提案が、誤解を生み出してしまったようで、申し訳ない。
ニュースクールは、NAMに入る必要はないし、また、そうすることもできないと
思います。

たとえば、従業員に対してひどい扱いをする企業があるとしたら、私はそれに対
して闘う労働者を支持します。(そのようなあり方、あるいは賃労働そのものを
揚棄することをNAMは目指しています。)しかし、そのような企業がNAMから出て
きたものだとしたらどうでしょうか。経営者がNAMだからといって、経営者に味
方するということはありえません。Qの場合がそうでした。

Qほど民主的な組織はない、と西部はいっていました。しかし、マルクスがいっ
たように、われわれは、その人がどういっているか、考えているかでなく、実際
にその人がどうしているかで判断すべきです。NAM的かどうかは、それを言葉と
して掲げているかどうかと関係がない、と思います。そして、そのように人や物
事を見るのが「NAM的な」態度ではないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーー
NAMのプロジェクトのことで、私自身考えていることがあるので、一言いってお
きます。

私は、当初、NAMから派生したQという組織がこんなことになるのは、人間(個
人)の問題だと思っていました。しかし、それ以後まもなく、私はそれがQの理
論そのものに原因があるということに気づきました。Qを成り立たせている幾つ
かのコンセプト(西部の提案した)に致命的な欠陥があったのです。winds-Qの設
計がダメなのも、登記が煩雑になるのも、すべてここに原因がある。

近いうちにそれをはっきり示しますが、わかったのは、Qを「改善」することは
できないということです。Qは、たんに、放棄(放置)するほかないのです。

何をどうしても、Qは機能しません。Qは、今、実際は、死んでいます。取引は
事実上存在していない。これは取引内容と関係を分析すれば、わかることです。
Qはうまく行かない。だから、Qを、NAMから切り離して専従制にし、この停滞を
解決しようーーというのが西部の考えです。そこで、強引なやり方をした。しか
し、西部ら個人の性格の問題というよりも、そもそもQが理論的にだめだから、
こんなことになるのです。また、実際に西部らのいうようにしたところで、何の
解決にもなりません。(その意味では、彼らに勝手にやらせてもいい)。

Qの停滞は、NAM会員のせいではない。その反対に、Qがそこそこ動いているの
は、何人かのNAMの会員が努力しているからです。今度、NAMが会員にQを義務付
けたことも、実は、Qを活性化するためにすぎません。(しかも、それはNAMの
外につながらないから、効果がないでしょう。)

山城さんがいうのとちがって、NAMは、すこしも、Qに依存していないのです。
その逆が真実です。多くの会員がQのために無駄な力を使いすぎている。それは
NAMにとって大きな障害になっています。

Qは、NAMあるいはそのあたりの知的・倫理的共同体の外に一歩も出ていない。
また、実際の生活(経済)からみて、これほど不活発な地域通貨は少ないでしょ
う。そして、それはNAMが邪魔しているからではなく、Qのシステムに根本的な
欠陥があるからです。

なぜQの致命的欠陥に気づかなかったのか。そのことで、私が反省しているの
は、NAMの会員がやっているということで、評価が甘くなってしまったというこ
とです。たとえば、リントンは2年前に私の家に来たとき、NAMには心から共鳴
するが、NAMで構想されたLETSの拡張、すなわち、西部や鈴木健のグローカル通
貨(つまりインターネットでやる)というコンセプトには反対だといっていまし
た。(それは、彼が東京の事務所で、Qを実際に見たときにも、同じだったはず
です。)

私は、LETSの創設者であるだけでなく、優秀な技術者であるリントンが考えたこ
とを、もっとまじめに受け取るべきだったと思います。

私はあらためて、NAMのプロジェクトとして、必ず普及するような新たな市民通
貨を創りだすことを構想しています。これはほぼできあがっているので、近いう
ちに発表します。

【註5】[q-project 5278]で中島秀樹がその集会の報告を行っている。

Date: Tue, 15 Oct 2002 22:32:39 +0900
From: Nakajima Hideki
Reply-To: q-project@q-project.org
Subject: [q-project 5278] Re: 全−Q大使 2

なかじまです

昨日、名古屋に柄谷行人氏が来ました。
ざっと見た感じ25名くらいの小さな報告会みたいなものでしたが、非NAM会員の
方も7〜8名参加されていました。

そこでの報告は、要約すると「Q以外の新しい地域通貨の可能性を見出したい」
というようなものでした。
が、いままでQのことを色んなところで宣伝してきて、それを読んだり聞いたり
して参加している人に対して、まず「Qの失敗宣言」とそのお詫び(自分がいま
までQを宣伝してきて、それでQに入った人に対して)に始まり、その後パネルディ
スカッション形式で代案として一つの地域通貨の試み(湯本氏 アールというワッ
ト型の通貨)の紹介、つぎにQの欠点の分析( Q管理運営委員会 後藤氏 福西
氏 Q会員  、  Q会員 原氏)、その後パネル形式、或いは会場からの質問
などを交えて、で新しい通貨ではこれらの欠点がどのように克服されるべきか討
論が行われました。

最後に柄谷氏のまとめとして、Qの失敗の原因は自分の判断ミスなので責任をと
る覚悟はしているが、湯本氏の地域通貨にはかなり可能性を確信している。しか
し、これらは一つの選択肢である。Qを失敗した最大の間違いは、Qしか考えなかっ
たことだ。これからは複数いろんなものがあってもいいと思う。湯本氏のアイデ
アを基本にしてどのような通貨単位ができたとしても、それらの交換は比較的単
純に考えることが出来る。これからはこういうやり方でいきたい。というような
まとめだったと思います。


その後、2次会、3次会まで私はいました。
2次会の会場で真っ先に柄谷氏の所へいき話をしました。面と向かって話をする
のは始めてでしたが、真剣に話をしようという感じはありました。が、約5分く
らいで他の参加者が同じテーブルに何人かすわり始めて話かけてきたので、「ま
あ、Qはどうでもいいよ」と言われて、参加者への受け答えになりました。その5
分の間に、宮地氏、西部氏はMLから削除したと聞かされました。

他の参加者は「報告会」で衝撃的な話を聞かされたので、話はその内容に集中し
ました。事実誤認と思われることもたくさんありましたが、いちいち指摘できる
雰囲気でもなく、細かいことはどうでもいいがそういうこともある、はなし半分
で聞いておくオフライン会話の場という雰囲気は全体にあって、いちいち指摘は
せず最後まで柄谷氏や参加者の話を聞いていました。


いままで散々Qの宣伝をしたのを打ち消してゼロに戻すために逆宣伝(つまりQの
批判、主に西部氏への批判)している内容がほぼ8割といった感じでした。
Qへの批判は2次会でアルコールもはいっていたこともあって冗談など交えて「こ
れですっきりした」みたいな勢いでしたが、責任は自分にあるので責任を取る、
具体的にはまずNAMで提案してNAMの中で話し合う。どういうぐあいに落とし前を
つけるかはそこで話し合うということで、そこだけは声が沈みがちに何度か話し
ていました。

つまりこれからNAMの中でどうなるかということです。


柄谷さんにも西部さんにも共通していることは、お互いに直接話し合う気はない
ということだと思います。

わたしは、宮地さんが、QとNAMの関係を断つことが使命と思ってQ大使をしてい
たとすれば、とんでもない勘違いだと思います。しかし、そのように本人がおもっ
ているかもしれない状況があったにもかかわらず放置していたことには責任を感
じます。そうしたことを一々確認することができなかったわけです。

柄谷氏はNAMの一会員で前代表で、今は規約委員会とか言うところの長だと思い
ますが、ここには湯本氏と岡崎氏がNAMに復帰するので入ってもらうと言ってい
ました。

それらとは、Q大使がどういう位置付けになるか、そもそもQ大使とはNAMとの関
係をこじらすのが目的だったのか?、そんなわけがあっていいはずがないと思い
ます。
柄谷氏は自分の著作やインタビューや対談でQを宣伝してきたことに対して、そ
れを自ら否定する必要があって、これからも色んなところで言うと思います。そ
れらは個人の活動です。
また、NAMの中では規約委員会になるのか、何かのMLでいきなり一会員として発
言しだすのかわかりませんが、名古屋で初めて一般の人向けにもQを否定したこ
とをきっかけに、何らかの議論が起らないわけがありません。

QにはQの理念があって、それを遂行する事のみがQ管理運営委員会だとか、NAMな
ど関係無いとか、柄谷氏など関係無いとか、建前はどうであれ、そんなことをま
だ現実対応のレベルで言いつづけるのか、そんなことを言うためにQ大使があっ
たのか、私はそんなことを期待してQ大使があったとは思いません。

NAMがQ大使を受け入れる余地がまだあるのかも疑問です。
また、
(せっつさん)
> 1、宮地さんに「Q大使」継続の御意思があるならば、NAM事務局に連絡して、引
> き続き評議会登録していただく。
> 2、宮地さんに「Q大使」継続の御意思がないならば、別の方に「Q大使」としてN
> AM評議会を傍聴していただく。
> 3、Q管理運営委員会の意志として、「Q大使」そのものを廃止する。

という選択肢のうち、私は、1には反対を表明します。
3を検討する段階でもないと思います。

(せっつさん)
> 私は「1」か「2」がいいと思います。NAMに対する不信感を和らげるために、
> 「2」であれば非会員の方か賛助会員の方が望ましいと思います。

繰り返しますが、私は1には反対です。今後選択肢に出てくること自体不満です。

2について「非会員の方か賛助会員の方が望ましい」という理由がわかりません。

要は、Q大使の役割とは何なのか、きっちりさせてからでないと決めるわけには
いきませんし、この期におよんでQ大使だけに一任ということは可能なのかも怪
しい状況だと思います。

NAMとQは協力してやっていくのではないのですか。そのことができる人は全力を
挙げて自分の出来ることをすべきだし、個々にやっていてもダメですから連絡も
取り合うべきです。



> 攝津です。
>
> いまNAMセンター評議会のML参加者一覧を見たら、宮地さんが削除されていまし
> た。宮地さんは、NAM会員だからではなく、「Q管理運営委員会から派遣されたQ
> 大使」としてセンター評議会に登録されていたのですが、宮地さんがNAM退会を表
> 明されたとき、事務局のML削除担当者が事情を知らずに削除したものと思われます。
>
> まず、宮地さん、ほかのQハイブのみなさまに、NAM事務局員として手違いをお詫
> びいたします。
>
> 次いで、「Q大使」不在の状況について、考えたいと思います。
>
> いま、QとNAMの関係は著しく不安定です。こうした時期に「Q大使」が不在であ
> ることは、関係がなし崩し的に崩壊に向かうとき、歯止めがきかない事態を招くこと
> も予想されます。
>
> Qハイブとして、次の選択があると思います。
>
> 1、宮地さんに「Q大使」継続の御意思があるならば、NAM事務局に連絡して、引
> き続き評議会登録していただく。
> 2、宮地さんに「Q大使」継続の御意思がないならば、別の方に「Q大使」としてN
> AM評議会を傍聴していただく。
> 3、Q管理運営委員会の意志として、「Q大使」そのものを廃止する。
>
> 私は「1」か「2」がいいと思います。NAMに対する不信感を和らげるために、
> 「2」であれば非会員の方か賛助会員の方が望ましいと思います。
>
> 宮地さん、みなさんの御意向をお伺いできれば幸いです。
>

------------------------
中島秀樹 nakajima hideki

Q-Name NaHd
------------------------

【註6】「柄谷行人の提案」は以下である。

To: nam-event@egroups.co.jp
Message-ID: 000601c27792$7c7d4430$3f7ffea9@DYNABOOK
Date: Sun, 20 Oct 2002 02:10:44 +0900
Subject: [nam-event] 柄谷行人の提案

新たな市民通貨を提唱する
                 柄谷行人  2002/10/19

先ず、私はこれまで地域通貨Qを推奨してきた誤りを認めます。また、それに
よって、結果的に多くの人に迷惑をかけたことをお詫びします。

私はQをいろんな形で宣伝してきました。それは会員が増えたら、取引が具体的
に増えるだろうと考えたからです。しかし、会員が増えても、すこしも取引は増
えなかった。NAMの会員の間のやりとりが増えただけで、具体的な物の取引はほ
とんどありません。Qがすこしも流通していないことは、取引の実態を調べてみ
ればわかります。

なぜQは流通しないか。一方で、ある人たちはQを得ても、それで何も買うものが
なく、他方で、ある人たちはQを得る方法がないからです。もちろん、多くのNAM
の人たちが、取引の場をつくり、Qを実際的に使えるものにしようと努力してき
ました。しかし、それは少しもうまくいっていません。それは、今後、どんなに
努力しても同じです。

では、何が悪いのでしょうか。Qの技術的な欠陥は、いくらでも指摘できます。
まず、Qに加入するのは手続きの点で非常に難しい。入会手続きに時間がかか
る。Qでは、取引内容の記録がすべて公開されるので、入会してから気がつい
て、やる気がなくなる。また、それを知っている人は入らない。

しかし、こうした諸欠陥の根底に、西部忠氏の考案したQに理論的な欠陥がある
のです。Wind-Qが技術的に欠陥の多いシステムとなり、Q組織が非NAM的な官僚的
組織となってしまったのは、このためです。

NAMのプロジェクトからQを立ち上げる段階で、Qの基本的な前提の幾つかに反対
した湯本裕和氏と岡崎乾二郎氏が、それぞれ、NAMを退会してしまいました。こ
の二人は、創設以来NAMにとって重要であり、不可欠な人物でした。だから、Qを
強引に推進したことは、NAMにとって、実は大きな犠牲をはらうことになったの
です。とはいえ、西部氏がNAMを退会したので、彼らは近くNAMに戻ります。

その間、私は、Qがもつ欠陥にまったく気づかなかったわけではありません。し
かし、私にはそれ以外に妙案がなかったし、このままでやってみるほかないと、
考えました。また、西部氏は専門家なのだから、何か私の知らないような奥の手
をもっているのかもしれない、と思っていました。しかし、そんなものはなかっ
たのです。

NAMでは、その「原理」において、マイケル・リントンの考案したLETSを採用す
ることを決めています。ただし、LETSをどのように実現するかについては、決
まっていません。それは、会員の創意工夫と試行錯誤によって決めていくほかな
いのです。

リントン自身は、LETSを不況下にある地域経済を守り活性化するために考え出し
ました。われわれのようにLETSを、資本制=ネーション=ステートに対抗するア
ソシエーションの運動の基礎としてとらえていたわけではなかった。したがっ
て、われわれは、NAMでLETSをやるとき、他のLETSとは異なる課題をもっていた
のです。である以上、リントンのいう通りにやってもしようがないことは当然で
す。

だから、私は西部忠や鈴木健のいうように、LETSをローカルからグローカルにし
ようとする構想を支持しました。しかし、あとで気づいたのは、そのことは、た
んにインターネットを利用すれば実現できるというほど、簡単なものではなかっ
たということです。

リントンは、LETSを小さな共同体で始めることを前提しています。だから、彼に
とって、インターネットは特に必要ではなく、ICカード程度で十分だったので
す。しかし、技術者である彼が、インターネットでやることを思いつかなかっ
た、あるいは技術的にできなかった、というわけではありません。それは少しも
LETSを広げることにはならない、と彼は考えただけなのです。(実際、Qは大衆
化しないというリントンの予想はあたりました。)

一方、西部氏は、小さなコミュニティで適用されるLETSの原理を、グローバルな
レベルでそのまま適用しようとしたのです。だから、個人に対する規制(身元証
明、取引実績の公開)などが厳しくなり、そのためのソフトも煩雑なものになっ
た。しかし、全国的な取引の可能性はできたとしても、小さなコミュニティでは
じまるような類の取引は、いつまでたっても始まらないのです。逆に、それは、
Qに参加する人たちを窮屈な共同体に閉じ込めてしまうだけです。

リントン的なLETSを超えるためには、新たな工夫が必要です。むしろリントンの
発明に匹敵するほどの発明が必要なのです。たんに、インターネットでやると
か、グローカルな通貨などという言葉をふりまわすだけでは、少しも新しくな
い。

とはいえ、私はそのことに気づきませんでした。最近、原祐人氏らが提唱してい
る新LETS構想(仮称L)を知ったときに、はじめて、Qが致命的にだめな机上の理
論だということに気づいたのです。

それまで、私はQの欠陥を感じるたびに、それはQがまだ十分に広がっていないか
らだと考え、あるいは考えようと努めてきました。NAMの会員にQに入ることを義
務づけてQを広げるようにしようという案に賛成したのも、そのためです。当然
ながら、これは、QをNAMの所有物にしようという考えではまったくありません。
その反対に、Qがどうしようもなく動かないから、何とかしようとしてきただけ
です。

しかるに、Q管理委員会の幹部は、NAMがQを牛耳ろうとしていると非難していま
す。それがいかに思い上がった見当はずれなものであろうと、もう反論する必要
さえありません。たんに、Qに対する(これまでのような)協力をやめればいい
のです。

私は、今後、NAMの会員に、ただちに、Qへの協力をやめることを勧めます。つま
らぬ論争は不要です。Qが自力でやれるなら、やってみたらいいでしょう。Qに少
しでも望みがあるのなら、私もそうはいわずに改革することを勧めたかもしれま
せん。しかし、そんな価値などまったくありません。

事情がどうであれ、私がこれまでQに対してあやまった幻想を与えてきたこと
は、確かです。そのことを、皆さんにお詫びします。とはいえ、それはLETSが幻
想だということを意味するものではありません。私は、あらためて、LETSがNAM
の原理の一つであること、それを成功させるべきであることを皆さんに訴えま
す。

Qが失敗だったことがわかっても、別に困らない。新たな試みをやればよいだけ
です。すでに、湯本氏やNAM中部の人たちは、地元の経済に根ざした地域通貨を
始めています。http://www.100watt.jp

これは、御札のほかに、簡単な口座決済ソフトを使ったものです。湯本氏は、技
術などたいした問題ではないといいます。技術なら、インターネットがそもそも
そうであるように、資本制企業が開発した最先端の成果を利用すればいいわけで
すから。湯本氏が強調するのは、むしろ生産者の協同組合を創出することです。

私自身は、原祐人氏らが構想する市民通貨Lに大きな期待を抱いています。これ
は、もう私などが宣伝してまわる必要がないような、実現性の高い、画期的な案
です。どんなきびしい商売人でも無視しないでしょう。あとは、どのような技術
を採用するかが問題なだけです。彼らは、これを、NAMのプロジェクトとして立
ち上げるようですから、関心のある人はそこに参加してください。

しかし、これらのLETSは対立したり、相克したりするものではありません。LETS
を生活の現場において流通するようにするための工夫は、いくらあっても構わな
いのです。また、それらは、いずれも円に対応する以上、互換的であり、いずれ
は結びつく。だから、このような多くのLETSの企てが、NAMの中から生まれるこ
とは歓迎すべきことです。

要するに、Qがなくなっても困ることはありません。今までの労働その他の記録
はすべて保存され、別のLETSに移転されることができます。Qの失敗の経験は、
今後のLETSをやっていく上で、役に立ちます。NAMは、これまで、たえず、失敗
の経験を認識としてプラスに転化しようとしてやってきたのです。

私は、NAM総会で、「これからのNAM」について、オン・ラインでの議論を中心に
してきたこれまでのやり方から、オフ・ラインの会合を中心にすべきだと主張し
ました。同じことが、LETSやプロジェクトについていえます。顔さえ見たことの
ない人と、立ち入った議論をすることはできませんし、不毛です。MLだけの議論
で、手前勝手な妄想を完成してしまったのが、Qの幹部なのです。

私は、新しい市民通貨についての会合が、あちこちで開かれることを希望しま
す。私はNAMの一会員として、東京、名古屋、京都、神戸、その他、実践的な試
みがあるところならどこにでも、話しに行くつもりです。(すでに、名古屋の会
合に出かけました。) しかし、今後、原則的に、MLでの空疎な議論には返答し
ないといっておきます。疑問がある人は、そのような会合に参加してください。

【註7】 [nam-website:0452]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-website@freeml.com
Subject: [nam-website:0452] 新しいエッセイ
Date: Sun, 20 Oct 2002 21:28:08 +0900
Message-ID: 000001c27834$2941b600$3f7ffea9@DYNABOOK

柄谷行人です。

「Qは終わった」というエッセイをフォーラムのために書きました。
これは、著者として、以前に書いたエッセイに対する自己批判の文を発表させて
いただくということです。

そして、編集局長としては、これを認めます。異議があれば、言ってください。
また、字句表現などで訂正があれば、言ってください。
ないようなら、すぐに載せてください。NAMの内外で、つまらぬ噂で無駄な議論
をすることがないように。

それから、フォーラムの左フレームに、「編集局から」という欄を作ることを考
えています。
趣旨と、スタッフ、アドバイザーなどの名をのせたほうがいいと思う。

それと、湯本さんの設楽農場や地域通貨アール、名古屋の「風の広場」なども、
リンクにくわえてください。
URLなど、詳しいことはのちほど。


柄谷行人



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Qは終わった                  柄谷行人  2002/10/05

昨年の11月に、私はこのフォーラムで「Qが始まった」というエッセイを書い
た。ちょうど一年後に、私はこう言わなければならない。「Qは終わった」と。

私はこれまでQを推奨してきた誤りを認める。また、それによって、結果的に多
くの人に迷惑をかけたことをお詫びする。そして、そのお詫びは、事実を認識す
ること、そして、それを公開することによってのみ果たされる、と考える。それ
ゆえ、私は、NAMの内部においてのみならず、外部にも開かれたこのフォーラム
に、これを書くことにしたのである。

私はQをいろんな形で宣伝してきた。それは会員が増えたら、取引が具体的に増
えるだろうと考えたからである。しかし、会員が増えても、すこしも取引は増え
なかった。NAMの会員の間のやりとりが増えただけで、具体的な物の取引は、ほ
とんどない。Qがすこしも流通していないことは、取引の実態を調べてみれば明
らかである。

なぜQは流通しないか。一方で、ある人たちはQを得ても、それで何も買うものが
なく、他方で、ある人たちはQを得る方法がないからだ。もちろん、多くのNAMの
人たちが、取引の場をつくり、Qを実際的に使えるものにしようと努力してきた
が、それは少しもうまくいっていない。それは、今後、どんなに努力しても同じ
である。

では、何が悪いのか。Qの技術的な欠陥は、いくらでも指摘できる。まず、Qに加
入するのは手続きの点で非常に難しい。入会手続きに時間がかかる。Qでは、取
引内容の記録がすべて公開されるので、入会してから気がついて、やる気がなく
なる。また、それを知っている人は加入しない。

しかし、こうした諸欠陥は、西部忠氏の考案したQの理論的な欠陥に由来するも
のである。Wind-Qが技術的に欠陥の多いシステムとなり、Q組織が非NAM的な官僚
的組織となってしまったのは、このためである。したがって、この理論を認める
かぎり、部分的な改良ではどうにもならない。あらゆる努力が無駄に終わる。

NAMのプロジェクトからQを立ち上げる段階で、Qの基本的な前提の幾つかに反対
した湯本裕和氏と岡崎乾二郎氏が、それぞれ、NAMを退会してしまった。この二
人は、創設以来NAMにとって重要であり、不可欠な人物であった。だから、Qを強
引に推進したことは、NAMにとって、実は大きな犠牲をはらうことになったわけ
である。(とはいえ、西部氏がNAMを退会したので、彼らは近くNAMに復帰す
る)。

その間、私は、Qがもつ欠陥にまったく気づかなかったわけではない。しかし、
私にはそれ以外に妙案がなかったし、このままでやってみるほかないと考えた。
また、西部氏は専門家であり、何か私の知らないような奥の手を密かにもってい
るのかもしれない、と思っていた。しかし、そんなものはなかった。彼は、たん
にLETSを日本に紹介しただけの、創造性のない凡庸な学者でしかなかったのであ
る。

マイケル・リントンは、LETSを、不況下にある地域経済を守り、活性化するため
に考え出した。彼は、われわれのように、LETSを、資本制=ネーション=ステー
トに対抗するアソシエーションの運動の基礎としてとらえていたわけではなかっ
た。したがって、NAMがLETSを「原理」として採用したとき、他のLETSとは異なる
課題をもつことになった。そうである以上、リントンのいう程度ですまないこと
は当然であった。

だから、私は西部忠や鈴木健のいうように、LETSをローカルからグローカルにし
ようとする構想を支持した。しかし、あとで気づいたのは、そのことは、たんに
インターネットを利用すれば実現できるというほど、簡単なものではなかったと
いうことである。

リントンは、LETSを小さな共同体で始めることを前提している。だから、彼に
とって、インターネットは特に必要ではなく、ICカード程度で十分だった。しか
し、技術者である彼が、インターネットでやることを思いつかなかった、あるい
は技術的にできなかった、ということなどありえない。彼は、それが少しもLETS
を広げることにはならない、と考えただけなのだ。(実際、Qは大衆化しないだ
ろうというリントンの予想は的中している。)

一方、西部氏は、小さなコミュニティで適用されるLETSの原理を、グローバルな
レベルでそのまま適用しようとした。だから、個人に対する規制(身元証明、取
引実績の公開)などが厳しくなり、そのためのソフトも煩雑なものになった。し
かし、全国的な取引の「可能性」がもたらされたとしても、小さなコミュニティ
ではじまるような類の取引は、いつまでたっても始まらない。逆に、それは、Q
に参加する人たちを窮屈な共同体に閉じ込めてしまうだけである。

リントン的なLETSを超えるためには、新たな工夫が必要である。むしろリントン
の発明に匹敵するほどの発明が必要なのだ。たんに、インターネットでやると
か、グローカルな通貨などという言葉をふりまわすだけでは、少しも新しくな
い。とはいえ、私がそのことに気づいたのは、最近のことである。

それまで、私はQの欠陥を感じるたびに、それはQがまだ十分に広がっていないか
らだと考えた。というより、そう考えるように努めてきた。NAMの会員にQに入る
ことを義務づけてQを広げるようにしようという案に賛成したのも、そのためで
ある。当然ながら、これは、QをNAMの所有物にしようという考えではまったくな
い。その反対に、Qがまったく流通していないから、何とかしようとしてきただ
けである。

しかるに、Q管理委員会の幹部は、NAMがQを牛耳ろうとしていると非難してい
る。それがいかに思い上がった見当はずれなものであろうと、もう反論する必要
さえない。たんに、Qに対する(これまでのような)協力をやめればいいのであ
る。わざわざQをつぶす必要などない。すでに死んでいる、というより、一度も
生きたことがないのだ。

事情がどうであれ、私がこれまでQに関してあやまった幻想を与えてきたことは
確かである。したがって、私は自らの不明をお詫びする。

とはいえ、それはLETSそれ自体が不毛だということを意味するものではない。
NAMは、その「原理」において、リントンの考案したLETSを採用することを決め
ている。ただし、LETSをどのように実現するかについては、決まっていない。そ
れは会員の創意工夫、試行錯誤にもとづくのである。そして、Qは失敗であっ
た。

しかし、Qの失敗の経験は、今後のLETSをやっていく上で役に立つ。NAMは、これ
まで、たえず、失敗の経験を認識としてプラスにしようとしてやってきたが、市
民通貨についても同様である。すでに、NAMの内部で、新たな市民通貨の試みが
ある。

たとえば、湯本氏やNAM中部の人たちは、地元の経済に根ざした地域通貨を始め
ている。(http://www.100watt.jp)これは、御札のほかに、簡単な口座決済ソ
フトを使ったものである。これは各地で使える。しかし、技術者出身の湯本氏
は、技術などたいした問題ではないといっている。技術なら、インターネットが
そもそもそうであるように、資本制企業が開発した最先端の成果を利用すればい
いのだ。湯本氏が強調するのは、むしろ生産者の協同組合を創出することであ
る。

私自身は、原祐人氏らが構想する市民通貨Lに大きな期待を抱いている。これ
は、もう私などが宣伝してまわる必要がないような、実現性の高い、画期的な案
である。どんなきびしい商売人でもこれを無視しないだろう。あとは、どのよう
な技術を採用するかが問題なだけである。

しかし、これらさまざまなLETSは、対立したり相克したりするものではない。
LETSを生活の現場において流通するようにするための工夫は、いくらあっても構
わない。また、それらは、いずれも円に対応する以上、互換的であり、いずれ結
びつく。だから、このような多くのLETSの企てが、NAMの内外で生まれることは
歓迎すべきことである。

私は、新しい市民通貨についての会合が、あちこちで開かれることを希望する。
私はNAMの一会員として、東京、名古屋、京都、神戸、その他、実践的な試みが
あるところならどこにでも、話しに行くつもりである。

【註8】「退会しますー柄谷行人」の全文は以下の通りである。

To: nam-event@egroups.co.jp
Message-ID: 000801c27a49$6c81c380$3f7ffea9@DYNABOOK
From: "krtn"
Date: Wed, 23 Oct 2002 13:05:18 +0900
Subject: [nam-event] 退会しますー柄谷行人


柄谷行人です。

私は、あからさまに私の発言を妨げた人たちだけでなく、何だかんだといいなが
ら、民主的手続きがどうのこうのといいながら、私の提案をこれまでぐずぐずと
放置してきている人たちに抗議して、NAMを退会します。

ただ、退会する前に、カラタニ式市民通貨Lについて、皆さんに、簡単に説明し
ておきます。

まず、それがLETSやその他地域通貨と発想が逆であるということに注意してくだ
さい。これはむしろ、商店におけるポイントバックと似ています。そのような商
店は、客が円で払ったら、一定の額をペイバックします。ただし、それはその店
でしか使えない。市民通貨Lがそれと違うのは、その場合、各店がLを使うこと、
つまり、どの店でもそれを使えるようにすることです。すなわち、一つの店だけ
でなく、商店街、そして、やがて、全国で通用するものとするのです。したがっ
て、Lは「地域通貨」ではありません。

大きい店はすでにICカードなどを使っていますが、それができないような中小商
店もできればそれを採用したいと望んでいます。つまり、ICカードなどを安価か
つ便利に誘導する工夫さえすれば、これは商店街などで、すぐに普及します。こ
れは、一方では、狭義の地域通貨として、地域経済の活性化をもたらすもので
す。

また、商店から始めると、それと取引する生産者、運輸関係もLに参加するよう
になります。そして、これが重要なことです。

くりかえすと、このやり方では、Lに加入した店は、円で払った人に、Lでペイ
バックします。それは、オンラインでセンターの口座に記録されます。店が手数
料を払い、各個人は不要です。

入会手続きなどは、ポイントカードなどと同じように、店などがやることになり
ます。Lでは、商店や企業以外には、各個人は赤字発行ができないから(Lの所有
額に応じた一時的なローンは可能だとしても)、各人の身元証明など不要です。
そもそも赤字がありえないので、会員が赤字のままやめるということもありえま
せん。

こうしたLは、すでに貨幣です。つまり、交換可能性の権利をもっています。そ
して、円を使うかぎり、誰でもLを得ることができます。(Qでは、Qを使うこと
ができないだけでなく、Qを稼ぐことが難しかった。要するに、Qは通貨currency
ではない。象徴的なオモチャなのです。)

かくして、Lは、資本制経済と別に構想されるものではなく、それにぴったりは
りついた「対抗ガン」の運動を可能にします。Lに入る企業や個人は、利潤では
ないとしても、得をすると思って入ります。だから、Lが革命運動の動機をもっ
ているとわかっても、人はやめません。たとえば、赤坂の料亭が、節税のために
皆、共産党(民商)に入っていることは常識です。共産党はここを情報ソースに
しているのです。

私はLについて説明しているだけであって、皆さんに、Lを普及させる運動を勧
めたり依頼しているのではありません。NAMの協力がなくても、これは可能で
す。強い関心と行動力のある人のみ、プロジェクトに参加することを認めます
が、ほかの人は特に知らなくても結構です。

Q病人は、よくQはNAMから独立しているといいますが、実際は、それは、NAMの人
たちに、つまり、倫理的な人たちに依存するほかないものです。(ちなみに、西
部忠はNAMに入り込み、NAMの心優しい人たちを利用して、Qの実験をしたので
す。Qがうまく行かなければ、さっさとQもやめるでしょう。)

一方、Lには、得をすると思って入ってくる人が大半です。そして、彼らが、知
らぬ間に倫理的になっている。それこそ、「対抗ガン」の運動です。LがNAM的だと
すれば、Qは赤軍的です。そこに世界革命の展望があるなどと思い込むのは、
ピョンヤンに飛んでいくようなものです。私がNAMをはじめたのは、こういう自
己犠牲のメンタリティを根本的に否定するためでしたが、昔も今も、変わりがな
いようです。

Qの場合と対照的に、NAMの人たちは、全体としては、Lに取り組む必要はありま
せん。それよりも、NAMに入ってきたときの各人の「関心」に戻ってやるべきで
す。そもそも、Qのような夢想世界に生きていて、いま始まろうとしている湾岸
戦争を忘れているようでは、NAMはまるで阿Qの徒です。

現在のところ、Q患の人たちは、Qを放棄すると、労働対価、投げ銭などができな
くなるのではないかと恐れているようです。しかし、Qで何ができるでしょう
か。Qを得たところで、まったく使い道はありません。将来使えるだろうという
見込み(100パーセント無い)で、ママゴトをしているだけです。
 
ただし、Qを貯めることで、円による会費を減らすことができます。つまり、Qを
使うことによって、ある程度、会員に、(NAM内)労働におうじた再分配―調整
をしていることになります。これは、NAMの内部だけでしか機能しませんが、無
意味ではありません。たんなるボランティアを認めない、NAMの組織原則に合致
します。

しかし、この程度のことなら、市民通貨Lを使えば、もっと簡単にできます。NAM
入会と同時に、各人が、Lのネット口座(アカウント)を開くようにするので
す。わざわざQに煩雑な入会手続きをする必要がない。また、会員にそれを義務
づけることもない。NAM入会と同時に、それがなされる。もちろん、ペンネーム
も可能です。

Qと違って、近い将来において、Lで何でも買えるようになります。Lは、それに
よって他のものと交換できる権利をもつがゆえに、Qとはちがって、通貨なので
す。しかし、まだそれができないうちに、NAMでLを使うことはできますし、しか
も、それはQが可能にするだろうことを、もっと容易に可能にします。

以下、簡単に、その使い方を説明します。(なお、数字は暫定的なものです。仮
に、会費1万円とします)

(1)NAMセンター事務局は、会員が入会を申し込むと、ただちに、ネット上に
その人の「口座」を開きます。(いうまでもなく、NAM自身の口座もありま
す。)

(2)新会員(あるいは更新者)が会費1万円を振り込むと、このネットの口座
に、5000L払い戻されます。(この場合、もし15000円振り込めば、1
万L払い戻されます。)

(3)各会員は、5000Lの中から、自分の入りたい、地域系、関心系の口座
にLで振り込みます。
地域系、関心系などでは、それをもとに、労働対価がLで払われます。センター
事務局、編集局などでの労働は、センターからLで支払われる。

(4)新会員は別ですが、翌年から、会員は、円で会費5000円を払えば、残
りを5000Lで払うことができます。ただし、Lでのお返しはありません。だか
ら、Lが必要であれば、円で払えばいい。それ以外でも、いつでも、円をNAMに払
えば、相当するLを得ることができます。

以上です。もちろん、細部はもっと工夫すべきでしょう。(特に、地域系会費の
ことは再考すべきだと思います。)

NAM当局のL赤字は、初年度は厖大ですが、徐々に、回収されます。NAMには、円
の収入があるので、家賃など、対外的費用において支障はありません。

また、Qと同様に、「投げ銭」をすることができます。相手の口座にふりこめば
よいだけです。Qでは、wantとofferというような半端な英語を使っていますが、
このような需給の情報と取引は、NAM掲示板(ウェブサイトではその用意だけは
できています)などでできます。

NAMにおけるLの口座は、NAMに復帰した湯本氏が作ったような簡単な決済ソフト
で十分です。事務局ではこれまで、入会手続きを自動化するためのソフトを開発
してきましたが、これを組み合わせたほうがいいでしょう。このソフトの開発
は、Qと違って、共同でできるし、もしそれが難しいのであれば、外注したほう
がいいでしょう。

その資金は、会員からの寄付で調達します。しかし、寄付した人には相当するL
が還付されるので、正確には、寄付とはいえません。

Qを採用する場合、NAMの各人はまずQ赤字となります。しかし、Qを稼げない人が
圧倒的に多い。それを返すために、Qのために、働かなければならないが、それ
もできないとしたら、どうなるのか。

また、NAMをやめる人はQの赤字をどうするのか。おおかた、赤字のままやめるで
しょう。それを回収することなどできません。一方、Qのほうでも、回収できま
せん。だから、Qでは煩瑣な規約をこしらえているのですが、何の強制力もあり
ません。

一方、Lでは、各個人に赤字はありません。やめる人は黒字分のLをNAMに寄付し
ていくことになります。そういう規約があれば、何の問題も生じません。

ところで、私はQなどやめてしまえ、といっているのですが、現在Qに入っている
人たちがQをやめるとき、赤字のままやめろ、とはいいません。しかし、決して
円で払うべきではないでしょう。

Qをやめたいが赤字があるというNAM会員は、NAMセンターに申し出ればいいので
す。NAMが、Q脱退を望むNAM会員の各人の黒字あるいは赤字を引き受けて清算
し、のちに、それを、Lの口座に移しかえればいいだけです。

断っておきますが、私がここで示したのは、Lのアウトラインです。私は、Lに関
して、理論的な根拠を用意しています。だから、この文章を読んで生半可な批判
をする者は、いずれ泣きを見るでしょう。

LETSをふくめて、オーウェン・プルードン以来の、これまでの地域通貨論には、
ある物を貨幣たらしめる、つまり、通貨として流通させるものが何なのかについ
ての考察が欠落していたのです。私にもそれが欠けていたと認めますが。Qとち
がって、Lがなぜ流通するのかを考えて見れば、その秘密がわかるはずです。

以上で、私は、まともな知性をもつ人なら理解できるはずのことを伝えました。
これを理解できないような人たちともに活動する気はありません。そのような人
たちの、無知なくせに、傲慢で無礼な態度に対応するつもりはありません。で
は、一先ずさようなら。

【註9】 [nam-website:0494]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-website@freeml.com
Subject: [nam-website:0494] Re: 臨時ウェブサイト局長就任
Date: Fri, 25 Oct 2002 23:26:43 +0900
Message-ID: 000001c27c32$8dfa37f0$3f7ffea9@DYNABOOK

柄谷です
私は退会を宣言しましたが、まだ、事務局にそれを通知していません。したがっ
て、まだ在籍しているはずです。
それなのに、私が退会したものとして、話をしているようですが、それなら、根
本的な前提がまちがっています。

私が退会するときに通告するつもりのことがありました。私の名が出ている、す
べてのエッセイ、対談、座談会、インタビューを削除していただきたい。これら
は私の個人的著作です。センター評議会の許可を得たり、NAMの同意を得たりし
たものではない。最近のエッセイがNAMの同意を得ていないから載せないという
のに、過去のものを掲載する権利があると思うのですか。

私が編集局長である以上、何を載せるかは、私の判断で決めることです。セン
ター評議会が決めることではない。過去に私の原稿をのせたのは、フォーラム編
集長関井さんの判断でした。今回の私のエッセイも、副編集局長の関井さんの判
断で載せたものです。私はその判断を任せましたが、事後的には、編集局長とし
て、それをよし、と判断しています。バカがとやかくいう筋合いのものではな
い。

岡部さんという人が謝罪しましたが、他の人はしていない。それどころか、謝罪
の必要がないなどといっている。
ほんとうに、君らは、編集という仕事が何もわかっていない。関井さんや、彼に
きびしくきたえられてきた若いスタッフがいなければ、たとえ私がいても、
フォーラムはやれないのだ。君らには、NAMの外に通じるような紙面を作ること
はできない。

そもそも、私が西部について述べたことが名誉毀損ではないかどうか、などとい
う愚かな人たちが、ものを判断するようになったら、何もかも終わりです。今
後、フォーラムに原稿を書くまともな物書きがいなくなるということは、Qがつ
ぶれるのと同じぐらい確実です。

もう十分だ。私の名がついた、エッセイ、その他すべてを直ちに削除してくださ
い。

【註10】NAMセンター評議会での報告文[NAM:3088]の全文は以下の通りである。

Message-Id: 5.0.2.7.2.20021030113543.02d8fdc0@pop3.norton.antivirus
Date: Wed, 30 Oct 2002 11:49:04 +0900
To: nam21@freeml.com
From: Kuchiki
Subject: [NAM:3088] 柄谷さん訪問報告(要旨)

皆さんへ

おはようございます、朽木 水(法律・東京・非学生)です。

まず、代表団による柄谷さんとの面談の報告の作成作業が昨夜中に間に合わな
くて、皆さんに心配をおかけし、失礼しました。

今朝、作業は完了しましたが、報告者の田中さんが、仕事のため、アップでき
ないまま外出され、家に戻るのが夜9時半になるので、田中さんの依頼で、私
が代行して、報告をアップします。

報告は次の2件あります(1つずつ分けてアップします)。
1、柄谷さん訪問報告(要旨)
2、NAMの危機をチャンスへ!「NAM抜本的改革委員会」設置提案

これに対する意見・質問・感想などは(いろいろあろうかと思いますが)、今
夜、田中さんが改めてコメントしますので、それまで待っていただけますか。

とりいそぎ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
★柄谷さん訪問報告(要旨)

                 (代表)田中正治

10月27日、副代表の朽木さん、和氣さんと僕で尼崎の柄谷さんを訪問した。
ウェブサイト局長代行の関井さんも同席された。

目的は、前代表の柄谷さんのNAM退会表明の翻意・撤回を要請することで、
僕は代表の独自見解として次の三点の考えをお伝えした。

第一に、NAMは重大なターニングポイント(折り返し点)にある。理念から
実践へという第4回大会の方向は未だ実現されていない。この間の柄谷さんの
見解(NAMの原点に返れ、Q、Lの評価)に関しては部分的異議があるが、
大筋では同意する。第4回大会での「理念から実践へ」と共通の方向性を持っ
ている。

第二に、柄谷さんの主張をNAMが検討する場合、NAM内での論議を尊重
するように要望する。

第三に、エッセイ「Qは終わった」のフォーラム掲載に関しては、基本的に
編集権は編集長にあるが、従来のNAMの枠を大きく超える問題に関しては、
a)エッセイ「Qは終った」は、NAMの公式見解ではなく柄谷さんの個人見解
であると注を付す。b)web編集局で、代表,副代表はアドバイザーとして発言
する。

以上を考慮して,NAM退会表明の翻意を要望しました。

それに対して、柄谷さんの見解は、まず第三のエッセイ「Qは終った」の
掲載に関して、

1)柄谷さんが従来HPに書いて来たテキストの削除要請はしない。
2)表題「Qは終った」は「Qは始まらなかった」に変更する。
3)「Qは始まらなかった」をforumに掲載し、コンテンツに「編集局から」の
欄を設置して審査員、編集委員を明記して以下の見解を付記する。
つまり「フォーラムに掲載されているエッセイは個人の問題提起、見解であ
り、NAM内外の選考委員が選考したものである」という意のものである。

これは、同席しておられた関井さんも含めて了解した。

次に第一の、NAMの方向性に関して意見を交換した。

NAMが非常事態的状況にあるということは多少のニュアンスの違いはあれ、
共通の認識であった。NAMは「改革委員会」を作ってはどうかと柄谷さん
から提案がなされた。この委員会の設置に関しては、参加者全員まったく異論
がなかった。

僕は「改革案」について、以下の「NAM抜本的改革委員会」設置提案に
示すような見解を述べた。

・結論。

1)NAMの現状の問題と方向性についての一定の了解。
2)「NAM抜本的改革委員会」設立に関する合意はなされたが
3)柄谷さんのNAM退会表明の撤回はなされなかった。
4)しかし柄谷さんは、「NAM抜本的改革委員会」(NAM内外から構成)
への参加を了解された。

(注)4〜5時間に渡って、NAMの内外の状況を含めて、オープンに真剣に
討論がなされた。柄谷さんのNAM退会意思表示の撤回は実現できなかったの
は残念だが、柄谷さんと関井さんの真意を直接聞き、意見交換でき、充実した
時をもてたと感じて柄谷宅を後にした。今後、柄谷さんには「NAM抜本的改
革委員会」で、大いに手腕を発揮していただくよう切望している。

【註11】 [nam-reform:0082] の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-reform@freeml.com
Subject: [nam-reform:0082] Re: Q大使について
Date: Wed, 20 Nov 2002 08:22:52 +0900
Message-ID: 000601c29022$9e9073f0$0200a8c0@DYNABOOK

柄谷です。

Q大使など、そんなママゴトはいいかげんにしてもらいたい。ただちに、MLリス
トから削除すべきです。

Qが永遠に作動しないことが判明しましたが、それを推進してきたことについ
て、NAMは責任をとる必要はありません。西部らがやればいいことです。こいつ
らは詐欺師です。

しかし、今後、Qに加担することは、詐欺的行為であり、そのことに責任をもつ
ことになります。現在、Q管理その他で働いている人たちは、すぐに、それをや
めるか、NAMをやめてもらいます。QでもLでもいい、などという人と、私は一緒
にやる気はない。私がやめるか、彼らがやめるか、のどちらかです。

私は、NAMをやめて第二次NAMを創ろうと思いましたが、考えて見たら、ロスが大
きい。私のいうことが分からないようなバカをやめさせたほうが、はるかに効率
がいいと思って、NAMに復帰しました。したがって、中途半端な妥協は、二度と
やりません。今後、NAMの会員を絞り込みます。

【註12】[nam-reform:0083]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-reform@freeml.com
Subject: [nam-reform:0083] Re: Q大使について
Date: Wed, 20 Nov 2002 08:38:35 +0900
Message-ID: 000701c29024$cc5462e0$0200a8c0@DYNABOOK

浅輪君、君は、改革委員会をやめてはならない。当面、事務局長もやめてはなら
ない。
生井のような男をやめさせるべきだ。(ML審査委員会での生井の発言こそ、私に
対する名誉毀損であり、除名すべきです。)

王寺君、まあまあ、というような議論は今やめてもらいたい。

柄谷行人

【註13】[nam-reform:0085]の全文は以下の通りである。

From: "krtn"
To: nam-reform@freeml.com
Subject: [nam-reform:0085] 王寺君へ
Date: Wed, 20 Nov 2002 20:00:11 +0900
Message-ID: 000101c29084$022d20f0$0200a8c0@DYNABOOK

柄谷です。

私はNAMに復帰したのは、私がNAMをやめるより、私をやめたい気持にさせた連中
がやめるべきだと考えたからです。この判断が不当かどうか、NAMの全会員にき
いてください。

Qは、何十年経っても、だめです。いまだにそのことがわからない人は、NAMにと
どまるべきでない。(りこうぶったバカが何人いても仕方がないし、NAMにとっ
てたんに有害です。)

次に、それがわかっているのに、Qの活動をするのは、詐欺です。したがって、
NAMにとどまるべきでない。

以上、私のいうことは論理的です。(NAMにとどまらないというのは、正確にい
うと、新NAMには入れない、ということです。)

Q患にとどまって、QからLへ橋渡しをするというが、そんな必要はいっさいあり
ません。NAMが団体としてQに入っている以上、事後処理はQ患でなくてもできま
す。

来週に、Lの詳細、さらに、NAMにおけるLの使い方を発表しますが、NAM内部で
は、今のところ、特に何もしないのだから、帳簿に記録しておくするだけで十分
です。当面、入会者・更新者から円の送金があるとき、彼らにLで払い返し、そ
れを各人のL口座に書いておく。(これを自動化するには、湯本さんのソフトを
使わしてもらえば十分だと思っています。)

Qの価値は疑わしいので、Lにそのまま置換できません。Qの処理は、Qの内部で
やってもらうほかないでしょう。たとえば、Qで会費を払った人は、あらため
て、NAMに円で会費をはらい、Lをもらうことになります。その人の、Qの赤字
は、NAM団体がその人にQで払って解消します。

それ以外の、投げQなどは、いいかげんな遊びですから、L=円に換算できませ
ん。文句をいう人があれば、NAM団体が、各人の黒字と赤字の処理(清算)を引
き受ければいいでしょう。もちろん、NAM団体は、(最後に赤字であればそのま
まで)ずっとQにとどまればいいのです。

Qに交換価値がないのは、Qの責任であり、このような理論を考えた者の責任で
す。Qで黒字であっても赤字であっても、社会的には、何の意味もない。Qの人た
ちの約束にすぎません。外に通用しません。

あからさまに、Q解体を任務とする者なら、Q管理に残ってよいでしょう。そうで
ない者が、いつまでもとどまる理由は何か。Q患者だからでしょう。責任がどう
のというが、私には理解できない。たとえば、西部が責任をとらないというが、
NAMの諸君が実働をやめてしまえば、彼らが何とかするほかないはずです。なぜ
そうさせないのか。たぶん、みなさん、Qでやりたいのだろう、と思うほかな
い。それなら、NAMをやめて、そうしてもらいたい。

NAMはただちに、Qとの絶縁を宣言すべきです。誰が、これに反対するのか。

改革委員会の仕事は、すばやく片付けるべきです。もちろん、手続きを踏んだほ
うがいいだろうが、遠慮する必要などありません。断行すべきです。評議会や事
務局がぐだぐだいうなら、私は、全会員・賛助会員に直接訴えます。それが民主
的なやり方です。(こっそりと、私のエッセイを消してしまうような連中が民主
的なのか。)

われわれは、新たなNAMとの契約を訴えます。文句がある人は、契約しないし、
こちらもそれを認めない。
あらためて、NAMの外にも訴えます。新しいNAMには、新しい人たちが来るでしょ
う。

【註14】「Q退会のためにー柄谷行人から」の全文は以下の通りである。

To: nam-event@egroups.co.jp
Message-ID: 000401c2975d$d928aef0$0200a8c0@DYNABOOK
From: "krtn"
Date: Fri, 29 Nov 2002 13:14:39 +0900
Subject: [nam-event] Q退会のためにー柄谷行人から

柄谷行人です。

近いうちに、NAMは、Qと絶縁することを表明します。しかし、NAM全体の改革が
進んでいるため、そのような表明が遅れています。一方、すぐにでもQをやめた
い、というNAM会員・賛助会員がかなりいます。私は責任を感じて、そのような
人たちのために、以下のような提案をします。

Qを退会するには、Qのサイトにあるアドレスをクリックして、Eメールを書き、
退会を通知するだけでよいのです。

なお、その際に、次のようにいうと、お金をとりかえすことができます。

「Qとの契約を解除します。直ちに会費を返却してください。さもなければ告訴
します。」

つまり、たんなる退会ではなく、契約を解除するのです。

Qで買えるものがあるなどというのは、輸送費や運賃などを無視した机上の話
で、実際は、何もできません。西部忠は、Qは、これから始まるといっています
が、何年たっても始まりません。

しかし、大事なのは、西部忠本人が、「Qが始まっていない」ことを認めたこと
です。つまり、会員が、この一年間、会費だけ取られて何のサーヴィスも受けら
れなかったことを。

これは不作為であるにしても、詐欺と同じです。そして、今後もそうするなら、
明瞭に詐欺となります。

このような契約は解除し、会費返済を要求してよいのです。返却しない場合、
「Q被害者の会」を結成し、告訴する用意をしていますので、連絡してくださ
い。弁護士もいます。

また、Qによる被害を世の中に宣伝しますので、すでに退会した人も申し出てく
ださい。

しかし、以下の理由でやめられないという人がいます。

(1) 赤字がある。
(2) 黒字がある。

(1)と(2)に関して、本来はNAM団体が精算の手続きを引き受けるべきです
が、それには時間がかかるので、私が個人的に代行し、後日清算します。

(1)の場合、私の口座(ニックネームkkrtn)に対して、登録内容を「退会の
ため」とし、赤字分をwantしてください。(wantというのは、馬鹿げた英語です
が)。
(2)の場合、私の口座(ニックネームkkrtnに、登録内容を「退会のため」と
し、黒字分をofferしてください。

ところで、さらに、次の理由でQをやめられない人がいます。たぶん、これが最
も多いと思います。

(3) 操作の仕方がわからない。

やり方がわからない人はQ管理運営委員会に問い合わせるべきです。
彼らは責任を持って使い方を教える義務があります。
それを怠った場合は契約解除の理由にもなります。

Qについての問合せ先

登録についてのお問い合わせ:mailto:registry@q-project.org
デモ版・その他Winds利用上のお問い合わせ:mailto:support@q-project.org
「地域通貨Q」についての一般的なお問い合わせ:mailto:info@q-project.org
URL : http://www.q-project.org/

-------------------------------
債務不履行:債務者がその責めに帰すべき、事由(故意、過失)によって債務の
本旨に従った履行をしないこと。(約束を破ること) 履行に遅れた履行遅滞、
履行することができなくなった履行不能などがある。
「履行遅滞」「履行不能」「不完全履行」

民法
第四百十五条   【 債務不履行 】
債務者カ其債務ノ本旨ニ従ヒタル履行ヲ為ササルトキハ債権者ハ其損害ノ賠償
ヲ請求スルコトヲ得債務者ノ責ニ帰スヘキ事由ニ因リテ履行ヲ為スコト能ハサル
ニ至リタルトキ亦同シ


第四百十六条   【 損害賠償の範囲 】
第一項 損害賠償ノ請求ハ債務ノ不履行ニ因リテ通常生スヘキ損害ノ賠償ヲ為サ
シムルヲ以テ其目的トス
第二項 特別ノ事情ニ因リテ生シタル損害ト雖モ当事者カ其事情ヲ予見シ又ハ予
見スルコトヲ得ヘカリシトキハ債権者ハ其賠償ヲ請求スルコトヲ得


第五百四十一条   【 履行遅滞による解除権 】
当事者ノ一方カ其債務ヲ履行セサルトキハ相手方ハ相当ノ期間ヲ定メテ其履行
ヲ催告シ若シ其期間内ニ履行ナキトキハ契約ノ解除ヲ為スコトヲ得

第五百四十三条   【 履行不能による解除権 】
履行ノ全部又ハ一部カ債務者ノ責ニ帰スヘキ事由ニ因リテ不能ト為リタルトキ
ハ債権者ハ契約ノ解除ヲ為スコトヲ得

【註15】「Q退会のためにーその2」の全文は以下の通りである。

To: nam-event@egroups.co.jp
Message-ID: 000101c2a0ce$9ce69720$0200a8c0@DYNABOOK
From: "krtn"
Date: Wed, 11 Dec 2002 13:34:32 +0900
Subject: [nam-event] Q退会のためにーその2

柄谷行人です。

先に、「Qを退会したい人のために」、そのやり方を書きました。
しかし、その後、つぎのようなことがわかりましたので、退会の際は、注意して
ください。

1)、退会したあとも、個人情報と履歴がそのままQのサイトに残ります。退会
者が出ることを想定せずにソフトが作られたのです。しかし、これは悪質です。
退会した人も厳重に抗議すべきだし、今後、やめる人も、あらかじめ要求すべき
です。

2)、事務所をもたなくなったQでは、一個人が会員の資料を預かるようです。
退会者は資料の返還を要求する権利があります。

3)、 また、私は、退会するさい、次のように書くと、お金をとりかえせると
書きました。「Qとの契約を解除します。直ちに会費を返却してください。さも
なければ告訴します。」 Q管理委員会の大勢は、返却を考えているようです
が、西部がひとり強硬に反対しているため、遅れています。

それゆえ、あらためて返還を要求する必要があります。さらに、Q-userに、返
却要求のメールを出してください。
Q-userに書くと隠せないので、最も効き目があるようです。

4)、 また、Qでは、会計内容がいつまでたっても公開されません。その公開
を要求してください。

ところで、以上のことがみとめられない場合、告訴しますが、その前に、告訴よ
りもいやな手段に訴えます。

ーーーーー

以上のことから、「退会のしかた」に関して、先日の意見を訂正します。

退会したいのに、赤字がある場合。

赤字があっても、、無視して退会してください。「契約解除します」というだけ
で、結構です。
そして、遠慮なく、会費、資料などの返還を要求してください。

Qの価値は、せいぜい、1円=1、000Qというところです。したがって、遠
慮する必要はありません。

攝津正
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