『Q-NAM問題』を巡って

私は、web上に『Q-NAM問題』1・2・3を公開してきた。それ自身が、鎌田哲哉からの『重力03』への「寄稿要求」への応答であったが、鎌田哲哉や西部忠から詳細なコメント・批判をいただき、全面的に加筆・改稿した。それは、以下からダウンロードして読むことができる。

●『Q-NAM問題』最終稿

順序は、以下の通りである。

  1. 『はじめに』
  2. 『Q-NAM問題-1』
  3. 『Q-NAM問題-2』
  4. 『Q-NAM問題-3』
  5. 『補論1.イモケン学派と共同体の問い』
  6. 『補論2.NAM内官僚或いは事務局の問い』

私は自分の原稿を公開するとはいえ、是非『重力03』でそれを読んでいただきたいと願う。そこには『重力』編集会議からの批判的コメントが付されているはずだし、Q-NAM問題を扱う上で重要な他の人たちの原稿も読めるはずだからである。Q-NAM問題を総括するのに私の証言だけで十分なはずがない。他のもろもろの声が必要である。私は先ずこのアソシエーショニストの広場で多数のNAM会員の声を呈示したかったが、呼び掛けに応答がなかったため、構想は頓挫したままである。

私は今後、「絶望の形態」について書くつもりである。それは『屑正伝』と題されている。それは完成しないかもしれないが、参考資料集をアップした。→こちら

NAMでは「絶望の教室」という仇名で呼ばれていた私ではあるが、絶望に居直るのでもなく、安易な(故に容易に幻滅を誘う)偽りの希望を語るのでもなく、王寺賢太が引用していた小林秀雄の言葉に倣えば「生活習慣」を変革することを通じての革命を目指そうと思う。『屑正伝』は、基本的にはフリーター・ニート問題と呼ばれている一群の問題を扱うものとなるだろう。しかし、私はこの仕事を仕上げられないかもしれない。後から来る他者、大江健三郎の言う「新しい人」にこの構想と課題を託すよりほかないかもしれない。

私は、「どうしていいか分からない」という弱々しい声で本稿を閉じるよりほかない。それは鈴木健太郎が私を批判したようなイロニーなどでは全くない。本当に何も分からないのである。端的に言って、途方に暮れている。明快な「答え」など、あるわけはないのだ。少なくとも生きている間は、よりましな解答に向かって、問い続けるよりほかないだろう。


攝津正
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