戦闘について

 木の上の世界が悲しいのは、地上の世界の人がそのことを知らないからである。路上に覆い被さる二の腕の太さもある枝を自身の片腕ひとつで支え、通り過ぎてくれるのを待つ。ほとんどはこちらに気づかない。気づいても、むしろ珍しいそうに見上げて立ち止まってしまう。なかには言う人もいる、「プロだからな」と。体力の限度は、秒読みにはいる。植木屋の自分が落ちて死ぬより、人を殺してしまうのではないかと想像してしまうほうが恐ろしい。……その他人の事情を知るということに無関心なのが平常であるのが、こちらを悲しくさせるのだ。しかしこれは、論理的には撞着矛盾ではないだろうか? 他人がこちらの悲しいことを知らないから悲しい……しかし、この悪循環を生きているのが現実だとしたら?

 日本の国内治安を脅かしているものたちと指弾される中国人の、「プロ」の犯罪集団はもと紅衛兵だという説がある。大衆から孤立し、時勢に生き遅れた彼らが自暴自棄的なサバイバルを試みているというのである。大人たちの政治的な権力闘争に利用された彼らは、「再教育」という名目で農村や辺境へ「下放」されたわけだが、実際は中学卒業生である彼らの「分配問題」、すなわち失業の処理として実行されたとされる。人民の中で青春時をつぶした彼らのすれっからしさは、凶悪極まりないと言われる。

「コロンビア人は、ほんとうはやさしい。アメリカに行って帰ってきた奴が無茶苦茶なことをするんだ」と教えてくれたのは、友人のマリオが経営していた歌舞伎町のラテンクラブのバーテンの男である。彼の出身地であるテムジンでは、一時期男の平均年齢が二十歳をくだったと統計されるぐらい、マフィアと若者同士のギャング抗争が激しかった。日本にはそう容易には入国できない彼の国からくる女たちを護衛していたのは、アメリカとの国交が断絶されたために日本への移民の流れができたとされるイランからの男たちだった。しかし当時、上野や代々木の公園に大勢で集まり情報交換していた彼らの多くは、もはや日本の若者ではできずやりたがりもしないプレス工場で働き、自動車の部品などを作っていた。下請けの並ぶ千葉の国道沿いの病院では、指や手を失くした中近東からの者たちで日々あふれていたという。そうしたなかのある者たちが、偽造テレカや薬の売人のグループを作っていったのだろう。私が歌舞伎町の店に関わっていたときは、新宿と渋谷のグループとの抗争がはじまったときだった。渋谷の奴がきた、と携帯で連絡が入れば、店で酒を飲んでいた男たちが背中からアラビアの長刀を抜いてはさっと走りだしてゆく。店で談笑している日本の客はそのことに気づかない。マリオやバーテンの男はそんな日本人客を今日はおしまいだと自然なように言って追い出す。シャッターを閉める。街で血なまぐさい事件をおこしたあとで、イランの男たちが逃げ帰ってこられると困るからだ。店のドアは、彼らがナイフで切り刻んだ跡があちこちにある。そして実際、酔いつぶれて自制が切れるとき、徴兵制で鍛えられた彼らはカンフー劇よろしく長刀をふりまわし、店のものはそれを素手で掴んでは応酬していたのである。

 自衛隊員が行く世界とはどんな世界なのだろうか? 一時帰国したアメリカの兵士がインタビューに答えていた。テロリストを追って角をまがった、そいつは人込みに紛れてみえなくなった、しかしその人込みの顔がみんな、こっちを見て笑ってるんだ。自分がなんでここにいるのかわからなくなる、だから、考えないようにしているんだ……。「判断」は、自衛隊員各自に任されている(負わされている)という。それは、国際法的な観点からなされねばならず、「誤想」して撃ってしまった場合には、日本国の刑法で裁かれるのだという。これは、上官の責任を「国際的」に免除した、いわゆる「天皇制」と広義に批判されてきた暗黙の制度を合法化するものである。しかし、「判断」は各自に任されているのだ。ならば、高校のインターハイにも出られないサッカーチームがセリエAのチームと試合をするぐらいの開きがあるだろうから、身の危険を感じたら丸腰になったほうがいいだろう。最近なされた日本代表とイラクとの試合でも、監督のジーコは言っている。「危険な場面で判断が遅くてボールを奪われるのは、予選では絶対に起きてはいけないことだ」(読売新聞)重たいものは捨て置いて、素手で人道復興支援という活動をしたほうがいい。赤い日の丸の中に「9」とでも書いておけば、なぜ日本の自衛隊員がここにいるのか、身をもって世界に広報できるはずである。それは、各自の「判断」として防衛庁長官からも、総理大臣からも許された「命令」でありうるのだ。


菅原正樹
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