NAMから─において考えるデッサン

現今の世界史的な戦争情況に応じた、大西巨人著作の『縮図・インコ道理教』に、以下のような記述がある。それは、オウム真理教の作品上のもじりである、その「地下鉄有毒ガス殺人事件」をひきこした宗教団体に関して、理髪店の客のほとんどがもらす感想、「どうして、そんな頭のいい連中が、ああいう無茶苦茶をする組織の是認者・安住者であり得たのであろうか」という疑問に対し、大正生まれの雑貨屋の男が答えたものとされる。

<そんなことは、少しも不思議ではない。たとえば、第二次世界大戦中の日本の内閣総理大臣・各国務大臣・軍各級幹部は、一流上級学校の秀才出身である。そのような「頭のいい連中」が、事実として、あの大東亜戦争という無茶苦茶をした組織(皇国)の是認者・安住者であったではないか。>

この作品のおおざっぱな構成は、「遠景」として提出された歴史(事件)に対し、「中景」――上のような庶民洞察・感覚(樋口一葉)から啓発を受けた知識人仲間が、インコ(オウム)教のいち特殊事件にはおさまらない認識がありうることを確認して、「現景」――それを現在の情況にひきつけたうえでより原理的な考察を開始しはじめる、という風になっている。

私がこの小エッセーで書き留めておきたいのも、そんな「現景」においてある(あった)だろう、自身が参加した社会運動(NAM)から、より普遍・一般的に抽出されるべき考察を誘うかもしれぬ、素材と素描である。

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「人は意識しないがそうおこなうのだ」という、マルクスの言葉がある。これは歴史に対しネガティブに認識されたものだが、NAMの民主的・非暴力的と目指された実践は、この歴史認識をポジティブに転換させる装置を、組織制度やプロジェクトとして作っていく運動だったと換言できる、とおもう。つまり、「プログラム」を実装するとされる「組織原則」にあるように、「くじ引き」は代表制の官僚的固定化を防ぐために、「地域通貨」は資本主義の構造がはらむ社会的諸矛盾を揚期していくために。人はこれを使用していれば、その人の意図にもかかわらず、NAMが目指す改革を実践してしまうことになる、「意識しないがそうおこなってしまう」のだ、と。そんな唯物論的装置を、道具仕掛けをまず作ってみせることが運動の枢要だった。
ということは根本(理論)的には、この運動は大衆を操作(支配)する知識人のものだった、とまずは確認できる。そしてそういう意味においても、「社会主義」的なるものの系譜に位置するものだったということはできるのかもしれない。会員のその実践への熱意は、「くじ引き」と民主制度との、「地域通貨」と「資本主義」との解明されたと提示される道筋(論理)を、どれだけ信仰しているかの度合いによってはかられる、とも論理的には言える。会員というよりは、そのプロジェクトの参加者は、NAMとは名のらないNAM的なものの信仰者となる、とされた。それはむろん、株取引に参加している一般市民が、そう名のらずとも資本主義へと加担してしまっている構造と同型である。

それゆえに、というべきか、NAMプロジェクトとしてはじまった地域通貨Qは、単に互酬的な交換を補助する媒体としてだけではなく、「金融(ファイナンス)」としても目指された。というか、狭い対人関係の内にとどまるしかないような他の地域通貨との差異を、そこにこそ創出しようとしたのである。主眼は、団体口座の設置にみられるような、組織(会社)をも巻き込んだ産業連関構造の組み換えだった。「協同組合」の奨励や活動団体をどのような法的形態にするか、などの議論にも、社会主義史的な意義確認を受けてというよりは、上の目的のために法の抜け穴をどう突いていくかという、実践的な手段の模索だったともいえる。これは、呑気にしていると頭のいいずる賢い人にだまされちゃいますよ、と、「投資事業組合」を通した抜け穴システムを作っていた元(株)Livedoorの幹部らの態度と似ている。堀江氏を代表としていた彼らには、日本社会への懐疑・怨恨と、自分たちが「異端」だという意識が明確にあったようである。ある種の若い人たちがそれを支持したのには、社会変革的なものへの待望があっただろう。

しかしNAMは、自ら頓挫(解散)した。立ち上げたプロジェクトと、評議会・事務局という組織制度の中心において生起した、指導者たちと実務者との軋轢という形をとって。そして「くじ引き」や「地域通貨」の試みが失敗したというのではなく、それ以前に、計られた投票に会員のほとんどが解散を選択したのである。これは、何を意味するのだろうか? 論理的には、会員は、その原理で説かれる論理の信仰者ではなかった、ということになろう。俗に言えば、冷めている、ということである。それゆえに、この事実が突きつけてくる論理は、なんで『原理』の論理(道筋)を信じてない者が参加していたのか? になるだろう。

(著名人のなかには、創設者の柄谷氏から無理やり、あるいは知らない間に参加者にさせられていた、というのが大概だったようだし、そこでの――『批評空間』の編集方針をめぐってか?――ごたごたが組織立ち上げ後にも持ちこされた、というのが混乱の大きな伏線としてあったようだが、そういう内輪話はここでは省く。「柄谷ファン」だったから、という柄谷氏の解答が妥当かどうかは以下参考。)

東京で開催された第二回目の全国大会での、こんなエピソードがある。それは、各関心系の会議の合間に私と柄谷氏との間でなされた会話である。
私「『批評空間』のシンポジウムに集まる人たちと、NAMに集まる人たちは、ずれてますね?」
柄谷「こんど文章をネット上に移して、Qに入らなければ読めないようにするから、そうすればずれることはなくなる。」
私はびっくりした。私の発言の意味は、それゆえによりマシになっているのではないか、ということで、それゆえに悪い、ではなかったからである。出会う会員との感触からしても、どうも柄谷氏の著作をそれほど読んでいる人たちではなさそうだし、むしろ『原理』をはじめて読んで参加してきた人もいるようだ、もしこれが愛読者しかいない運動だったら、もっと何もおこらないものになるんじゃないのか? シンポジウムでの質疑応答に手をあげる人だって、どうでもいいような重箱の隅を箸でつつくような大学院生みたいな感じだし……。

私が思いおこすのは、赤軍事件に対しての次のような大江健三郎氏の言葉である。――「彼らはドストエフスキーの『悪霊』を読んでいなかったんですね。読んでいれば、あんなことはしなかったと思います」というような。……私は唖然とするのだ。本を読んでれば、そうしないというのか? 理解したとして、そうしなくなるというのか? 読んでたって、するのではないのか? してしまうのではないのか? そんな認識を前提にしてものごとに対処していいものだろうか?

私には、こうしたインテリたちの、読むことの理解と行動との連なりを暗黙に前提している態度は理解できない。というか、信仰しようがないのだ。現日本国憲法において戦争放棄が読まれることからして現日本が戦争に参加していることはありえない、とする多くの現閣僚・官僚たちの偽善的な言い分ほどではないとしても。

(しかし一方、規約委員会という、元老院にあたるようなMLで柄谷氏が孤立したように他の委員に口をすっぱくして言っていたのは、『原理』に従うな、それを機械的に適用するな、ということであった。私は事務員としてそのMLをリアルタイムで閲覧していたのだが、Qを年会費に導入するにあたってのマニュアル作りをしていた事務局では、私が似たような役割を引き受けて孤立していたのである。原理論的に足し算をしたら年会費5万円相当になっていくのに、当時の事務局長は「しょうがないのではないのでしょうか?」と追認し、より原理主義的な事務員は、数十万円でも高くない、と発言し、私はNAMをやめる、と啖呵を切っていったのだ。――理解するとは、どういうことなのか?)

柄谷氏は、NAMが、世界的にも同期的なグローバルな資本抵抗運動に傾きすぎていたと認識して、理論的にもその『原理』で提示してみせた論理(筋道)の訂正を試みている。

(1)「くじ引き」について……それはアテネという歴史地理的な「亜周辺」という特殊条件に準拠しているものであり、ヨーロッパに封建制度が成立したのも、そこから民主主義が発生したのも同じ構造による。(……それゆえ、その偶然性導入の技術は普遍化しうるものではない、ということか? 私見では、日本での意思決定に「じゃんけん」が普及しているのも、「亜周辺」位置としての、封建・民主制の残滓と言いかえられる。しかしそれ以前に、「くじ引き」が官僚固定化をふせぎ権力争いを無力化する、という前提認識への疑義は、すでにNAM内メールで提示されていたことである。現在の自民総裁選を考えてみればいい。誰がなっても代わり映えせず、むろんくじに外れたものも協力しそうだ。もともとが順番という風潮だったのだし。この民主的な協調はいいことか? ほんとうに偶然性が導入されるところでの「くじ引き」は、むしろそれにはずれたものとの権力争いを激化するのではないのか?)
(2)「地域通貨」……それは資本の論理構造だけにおいて考えだされている。たとえ普及に成功しても、それは脱税になるので、国家が介入してくるだろう。資本と国家は別々の原理に従っているので、地域通貨を使っていれば、資本と国家に抵抗している、ということにはならない。(……ここら辺は、経験的にも検証しうるような範疇にはない仮説なので、理論上の正鵠性は不透明である。ただ一般会員の実践上で言えることは、もともとQを使っていれば資本と国家に抵抗しえる、などと考えてはいなかったということである。それは単純に、人間関係を、ネットワークを形成していくツールとして受容されていたのではなかったか? やってみてそれに問題が実証されてきたなら、またそのネットワークを生かして次のことをやればいいと話し合われてもいたのである。また手順的には、むしろその地域通貨を売春で使ってみて、もしそれが違法ということであるならば、国家がそれを通貨として認めたことになるのであるから、これで税金も払えるのか、と詰め寄る戦術性をも予想していた。そしてそのことは、国民総生産の10%にでも地域通貨が食い込めれば国家予算上でも無視できない存在になるので、対国家的にも政治実質的な発言力が獲得できるだろう、という組織上うたわれた戦略性にも合致していた。)

論理(筋道)は、ころころ変わるのかもしれない。ああいえばこういうのが、トランスクリティークなるものなのかもしれない。しかし、論理が変節するまえに解散を会員が選んだのはどうしてだろうか? 組織存続中に原理論が変更されたとしたら、会員はどうしたろうか? 解散の選択は、「これからは前衛党のようなものになる」との、どたばた劇の中での創設者の発言があったあとにおいてである。

柄谷氏はNAM実践中、どこかの雑誌で述べていた。私は大和魂が必要だとおもうのです、と。この魂は、特攻精神で物事を行うという右翼的な意気込みとしてあるだけなのだろうか? その古典的な意味は、<実務を処理する能力>のことであり、<たをやめ(手弱女)ぶり>である。女が持ちすることだとされているものなのだ。なよなよと変節しながらも日常処理をこなしていくとされる女たちの。それが、近代の男の論理に絡め取られるとき、死んでもあなたについていく演歌(特攻)のような女になるのかもしれない。だとしたら、ついていくことをやめた死んでもついていく魂の選択が意味するものとは? そうおこなわないが意識しているものとは? いやそもそもにおいて、「青春を返せとはいわせない」と説かれる一方で、「漸進的」だとされる道筋だった。(……Qに対しても、表向きには「漸進」と言っていながら、その管理運営者たちには、外国のジャーナリズムの評判を意識してか、普及のための具体策アイデアがない、ということを揚げ足とりのように引き出して攻め寄っていた、のが見受けられた。そしてNAMにおいては、会員が100万人になったときのことを考えておけ、というような抱負だったのが、そうもいかないと悟ると、自身ではアイデアがないので黙ってやめていった元芸術系代表のところへ相談しにいき、組織に残りそうな会員たちには「前衛党」でいこうと態度(戦術)をかえる。――これは「頭」と「手」の分裂なのか、二股なのか、二刀流ということなのだろうか?)

NAMは何もしないと、組織理論(頭)とその実践プロジェクト(手)との区別・関連でいわれたが、その途上、そしてとくには解散後において、少なからずの者の病気・失業があり、そして自殺者もでたときいている。これは犠牲者が少なくてすんだ、ということなのか、何もしなかったから、ということなのだろうか? それとも他の意味が生成してきている、ということなのだろうか? 知識人と大衆、という通念的な区別の狭間に、よくは見えない動きや動かない動き、があるということだろうか? 解散という投票結果には、最近ネットワーク技術の改革に呼応してとみに注目されているような、『「みんなの意見」は案外正しい』(角川書店)、とされる、集団的な数学的現実があったということ、なのだろうか? 解散後、柄谷氏自身がその系列の数学本(『複雑な世界、単純な法則』草思社)を取り上げて新聞の書評を書いているが、前もって敢えて「投票」という手段を提示してみせたわけではないようだ。というよりむしろ、創設者本人が、この組織の分裂解散という特殊(歴史)的な問題を、より普遍・一般(空間)的なレベルにおいて捉え返そうと、事後的に、構造主義的な構えをとることになった、ということかもしれない。だとして、それはとりあえずは妥当だとしても、充分な対応なのだろうか?

「こんな女には、徹底的に冷淡にすべきだ」……私がNAMから手を引こうと反射的に思ったのは、まずは規約委員会でのそんな柄谷氏の発言に、ほとんどの中心委員が首肯したMLを読んだときである。理論系のMLで問題というよりしつこい発言を繰り返した女性をどう罰則処置するかの魔女狩り裁判のようなやりとり。あの女は病人だ、だから排除しろ、というような呼応が、福祉だの文学だのをやっているという人たちから連呼されたのである。のちに、そのときの件で他の事務員と話し合う機会があったが、その女性の通るわけもない発言など無視してればいいのに、あんなところで顔をだす奴のほうがどうかしてる、と同じ土建業にたずさわる者どうしの感覚でか、同意見だった。Qプロジェクトを立ち上げた西部氏への攻撃は――(私の記憶が確かなら)――この裁判の続きのように始まり、柄谷氏の執拗な発言に気持ち悪くなって耐えかねたように、王寺氏が「もうこういうのやめよう」と打ち切ったのだ。

(しかし、「こんな女」とはどんな「女」なのか? 文脈からすると、柄谷論を自費でだか出版した女性のような、ということらしかったが……。今は私の女房となっている「こんな女」の父親は、水俣病を起こした会社チッソの役職員で(だった)、彼女はその家庭の中で、両親をいつ金属バットで打ち殺してもおかしくなかったといい、もう少し年齢が上だったら赤軍に参加していたかもしれないともらしている。しかし遅れてきた彼女が選択したのは、ダンスという身体表現だった。柄谷氏への「こんな女」への嫌悪・抑圧には、個人的な性向や洞察を超えて、『彼女たちの連合赤軍』や『おたくの精神史』の大塚英志氏の社会学的考察をふまえると、興味深いことではある。『批評空間』での編集方針をめぐってあったらしい何やらのなかには、サブカル的なものを含めるのか、アカデミズム一筋でいくのか、というのもあったようだからである。そして編集長の内藤氏は、どうも前者の抱負だったらしく、それは弾圧された……と推論できる当事者たちの会話に私は接したことがある。)

Qの問題がNAMに波及しはじめたころ、「こんな奴に支配されているNAMはおわりだ」との柄谷氏のコンピューター系でのメールが評議会に転送された。その文脈上、他人(西部氏)に「ばか」というような発言は名誉毀損にならないのか、などといっている無知な者、ということなので、これは私の(評議会でのメールへのあてつけの)ことだと合点し、いまが足を引っこ抜くチャンスだとばかりに私はとっとと謝罪し以後謹慎した。――(警視庁幹部のヤクザ者の息子からおそわったことでは、喧嘩のときはとにかく相手につばきを飛ばせ、そして「ばか」という言葉をひきだせ、唾はなんの罪にはならないが「ばか」という言葉は名誉毀損になるから金をふんだくれる、それが大人の喧嘩だ、という話だったので。)――とくに事務局MLは部外者には閉じられていたので、私が「支配」者であるかのような印象(誤解)を柄谷氏は抱いたらしいが、私は「支配」していたのではなく、人間関係的な力学上のかすがいの位置にいただけである。(と自身でも洞察していたが、それゆえ、私が手をひけば、その関係におけるかぎりでのNAMは実質上つぶれていくことはその時点で予測できた。)NAMを「支配」したい人たちは、ほかに幾人もいたはずである。私にチャンスをくれた転送メール自体、そんな「悪意」の仕業だっただろう。その頃は、裏メール、党派作り的なメールのやりとりが跋扈していたはずである。(それ以前においても、私にもきたそんな類のメールを私は公的に暴露し動きを牽制した覚えがある。)四谷の事務所になにかのついでにいっても、昨日の会議者が忘れていったメールのプリントには、表向きとはちがう、とんでもない下克上の野心が書いてあったりしたのだ。政治家やヤクザ者からすれば手の内がまるみえの、下手な物まねのようなグループに、政治や世の中が批判できるのだろうか?……誠実なのが一番の戦術性だというのに。私は大西巨人氏が一番評価するという、有島武朗の小説『在る女』での、世故にたけた船舶事務長の倉地が朴訥な青年を評して言いもした言葉を思い起こす。――「あの男はお前、馬鹿にしてかかっているが、話を聞いていると妙に粘り強いところがあるぞ。馬鹿もあのくらい真っ直ぐに馬鹿だと油断の出来ないものだ。もう少し話を続けていて見ろ、お前の遣り繰りでは間に合わなくなるから。」

大西氏の著作は、インコ(オウム)と(天皇制)国家との「近親憎悪」という批評をめぐる言葉を、在り方をめぐっての考察だった。上のような組織のいきさつなどほぼまるで知りえなかっただろう一般会員が「解散」を選択したのは、私には聡明なことだったとおもう。(オウムも天皇制国家も解散していない。)その聡明さが、各会員の意図を超えた数学的なからくりだったかもしれないとしても。しかしだとしても、目前の社会的・世界史的現実は少しも変わっていない、ということは言うまでもなく、参加者内部の各々にかぎった話であっても、NAM的なものが大和魂に支持される「遺伝子」だとしたら(私はそう思うが)、そのなよなよしい気概の落とし前もつけられているわけではない。

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菅原正樹

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