革命のために


 スガ秀実の『革命的な、あまりに革命的な』は根本的にパラドキシカルである。同 書は、「歴史の必然」(唯物史観)からの自由のなかで運動したニューレフトを類例 がないまで根底的に《肯定》するものであるが、同時にそのこと自体、ある新たな歴 史的パースぺクティヴの構築、すなわち「歴史の必然」の再導入として、遂行される。 結果としてスガの《運動》は、ニューレフトに対する最大限の《肯定》が同時に最大 限の《否定》であるという極めて思弁的な《思想》となる。
 多くの人が洩らすスガが参加する《運動》への違和は、したがって、スガの核心的 《思想》への「否定」には至らず「否認」にとどまる。のみならず、そのこと自体が スガの《思想》においてつねに既に先取られている。例えば三ツ野陽介氏が「革命は 続いているか」[http://www.juryoku.org/mitsuno.html]と書いたが、そもそも他 ならぬスガ自身がつねに「革命は続いているか」と問うており――つねに「正解」を 回避しつつ――、それが既にスガの《思想》となっている。

 私は、スガの芸風から明石家さんまを連想する。さんまが、対象がいかに醜悪でも 卑小でも、アドリブの応酬でいつまでも享楽的に寄り添い続けていく芸は、ビートた けしやタモリがとうに撤退した戦線であり、かといって若手芸人が継承できるもので もないだろう。スガの表現はそれと同様である。たぶん柄谷行人と浅田彰の芸風はい わば各々ビートたけしとタモリに相当するものであって、各々別の意味で根本的に個 人的であるが、明石家さんまの表現もスガの表現もつねに集団的である。そして個人 的な芸と集団的な芸に貴賎は無い。
 80年代の「お笑い」と「現代思想」が並行的であったのは歴史的事実であり、笑い の力と思想の力は速度への希求を確実に交差させた。既に交差は失われたとしても、 沈下する地盤を共有している。そして明石家さんまとスガだけが、80年代以来ずっと、 その都度の周囲の有象無象とともに享楽を追い続けている。

 三ツ野氏は、早稲田大学の「サークル部室移転反対闘争」に触れて、《抗議してい た学生たちの中には、自分が結局は新学生会館に移り、管理の行き届いた綺麗な建物 の中で結構快適に暮らすだろうということを、よくわかったうえでやっていた学生も いたに違いない》と書いているが、そんなことは「わからない」学生もいただろうし、 実際に快適に暮らせない学生も現在必ず存在するはずである。そんな学生は少数?… … しかし、仮にそうだとしても、この場合、多数派と少数派が相互に無関係で成立 するわけではないというのが、スガが批判するコントロール型権力としての「収容所」 の本質である。そこでは、集団Aが「快適」であるからこそ集団Bが「不快」を味わ わねばならない。もちろんA・Bの上位にこそ《権力》は存在するのだが、2者がそ ろって「快適」であることは不可能である場合、両者間の競争が前景化する。そして 実際、各人が各々の場所でディシプリンに励んでさえいれば誰もが揃って「快適」で ありうるという世の中が終わったというのは、むしろ今日の常識にすらなりつつある。 スガはそのような地平での闘争=逃走を問うのである。
 さらに、「不快」を味わうのは必ずしも少数派ではないであろう。私の経験では、 むしろ、いわゆる「運動家」がサークル部室のごとき問題に拘泥するのを避け、他方 で「ノンポリ」にとってそうした問題が突然に世の不条理に触れる契機になるという 傾向が、ある程度に存在する。そして、世の中が全体としてコントロール型になって いくかぎり、誰しも「不快」を味わう確率は上がるほかないはずである。
 また、たとえ60年代の(そして現在の)学生運動家が情けなかったとしても、ひと が学生運動が提起した課題までも暗黙かつ自動的に時代遅れとみなすのは、人間=革 命家中心主義である。そして、とりわけ強調すべきことは、現在の世界情勢がニュー レフトが世界的に活動した時代を反復しているようだということである。だからこそ、 私は「革命は続いている」とは考えないにせよ、「革命は反復している」と考えるの であり、だからこそまずスガ秀実の維持する戦線を確認―肯定し、それからその彼岸 を偵察したいのである。


 ニューレフト運動は、1956年のフルシチョフによるスターリン批判が唯物史観とい う「歴史の必然」へのスターリンの「裏切り」を定義したことに起源を持つ。スガは、 そのとき同時にスターリンが「歴史の必然」をも超越しうるような「偉大な」主体と なったことに注目する。それは、スターリン主義を否定して登場したニューレフトに とってスターリン自身が持つ歴史を「超越」する力こそが最大の敵であるということ だが、より具体的には、スターリンの死後に却って「収容所」のコントロール装置が 世界化し、更にニューレフト自身すらそれをある程度「継承」してしまったという結 果を指すであろう。
 よく言われるように現在のアメリカはベトナム戦争を反復しつつあるのだろうが、 他方でアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュが世界において占めるポジションは、 むしろ1950年代のスターリンのポジションに似ている。スターリン批判以後に、そし てとりわけ冷戦終結後に、世界で自由主義が「歴史の必然」として支配的となったが、 その代表者であるアメリカ大統領ブッシュ自らが今度は自由主義を「裏切り」、全世 界にコントロール型の権力を張り巡らせようとしており、その事実が「資本の文明化 作用」への疑問をあらためて喚起しているのである。世界市民がこの「裏切り」を批 判することにより、ブッシュは世界史的な主体となった――ただし、今回は「卑小な」 主体である。そしてこの「卑小な」人格こそがアメリカを、世界を導く。
 マルクスはこう書いた。《ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世 界史的人物は二度現れる。と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉 大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と。》(『ルイ・ボナパルトのブ リュメール十八日』) 現在ブッシュに対抗するためには、この卑小な人物がアメリ カ合州国大統領になり、実質的な世界支配者になってしまうという構造、すなわち世 界化したボナパルティズムに対抗する必要がある。――「帝国」(ネグリ&ハート)? 「帝国」こそ、「帝国主義」という「悲劇」の次に来た「笑劇」であろう――スガは 『帝国』をそのように嗤う(「これは反米の書なのか」 [http://www.juryoku.org/suga2.html])。

 60年代のニューレフトは、「反帝・反スタ」の立場を華々しく表現した。スガもこ の立場を維持してはいる。しかし、たんにそれだけならば、それなりの数の者が護持 してきた態度である。そして、現在アメリカ帝国こそが最もスターリン主義的(なら ず者的)になっているのだから、現在の「敵」は一つである。それは今日の社会民主 主義的良識でもあり、その意味では確かにスガの述べる通りニューレフトは勝ち続け てきたのである。そして実質的に負け続けてきた。これに対して、スガが導入するパー スぺクティヴには別種の「裏切り」がある。それは例えば昭和天皇によるものである。 スガは中上健次の『地の果て 至上の時』の解説で、浜村龍造の死に昭和天皇の死を 連想し、主人公の秋幸と同様、われわれが浜村龍造=昭和天皇の死に直面し続けてい るのだということを書いた。
 実際、昭和天皇もまた「歴史の必然」を「裏切った」。すなわち、自らの戦争責任 を問うことができない元最高指導者として生き延びた。それは同時に、われわれの憲 法が明記する「国民の象徴」が何よりも自らをディシプリンしないことを〈選んだ〉 という醜態でもあったのであり、事実として国民への「裏切り」であるほかないだろ う。そして、国民が今後変化するとしても、死者としての昭和天皇はもう変化しない。 これこそが「死者は狡猾である」(キルケゴール)ということにほかならない。真に 「無責任の体系」が完成したのは1989年である。
 スガはこの「裏切り」の前でわれわれは立ち止まり続けているというのであるが、 それは「否認」である。そして「否認」は、スガにとってより直接には、自らのリン チ被害、更に「華青闘告発」の前で立ち止まり続ける意思としてあり、それらの場面 で垣間見えた「裏切り」こそ、それぞれコントロール権力とボナパルティズムに対応 するものであり、また広義の天皇制がその2側面の「綜合」としてあるのはいうまで もない。この「裏切り」を「否認」するスガは、ニューレフト由来の勢力が一般に 「裏切り」を制度・状況・システムとして把握し否定しようとしてきたのと較べて、 大いにトラウマ的であるが、同時に最も享楽的である。
 スガのパースぺクティヴが過去・現在のニューレフト由来の勢力への「否認」とな るのは、この地点においてである。そして、それはスガの《思想》の最も実働的な側 面である。それは、スガ以外のニューレフト由来勢力はニューレフトとしての自らの 履歴を専ら自家消費してきたが、スガだけが自らの来歴を「情報公開」という労働の 対象=生産手段としたということでもある。消費は快楽をもたらすが、われわれが享 楽という強度に至ろうとすれば労働が不可欠である。「情報公開」は、来るべき革命 家に対して「励まし」を与えないが、礎石を与える。

 

 昭和天皇の「裏切り」としての無責任も、ある享楽的な「自由」を反面教師的にも たらしたものではあった。それは、年功序列的なネーション(共同体)の限界の露出 である。それは国民を象徴した「年長者」である昭和天皇があまりに情けない死を 《選んだ》という歴史的事実が文字通り象徴したことだ。これは、昭和天皇に対する 各個人の意識とはまた別の強固な事実性であって、そもそも1960年代以来、国民経済 の基盤を国民内部の先行世代からの贈与に見出すことは欺瞞的であり、国民経済が過 去・現在の海外での収奪あるいは搾取から成立していることはいかなるイデオロギー によっても隠しようもない事実となっていたのであるが、昭和天皇の死が最終的に、 そして逆説的に、国民に対して「ネーション(国民)から自由であれ」という「義務」 を示したのである。
 また、「無責任」への抵抗が日本だけの課題ではないのは当然である。スターリン もブッシュも既に十分に「無責任」(昭和天皇的)である。そして、丸山真男風にヒッ トラーが「責任」ある指導者だったと考えるのは、全くのアナクロニズムである。指 導者がヒットラーのごとき自殺によってであれ、昭和天皇のごとき「自然死」によっ てであれ、自らの「死」によって歴史に応答するという「歴史の必然」こそ、20世紀 の大量殺人を通過してみれば、逃避(裏切り)でしかなくなったというべきである。 そして自殺が無責任であるとしたら、「死刑」という他殺も同じ論理から無責任であ る。
 日本だけの課題ではない、ということを別な面からいえば、無責任の体系と無縁な ネーションなど無いということである。それどころかネーションこそが無責任の体系 そのものであると言うべきである。ネーション=無責任の体系への抵抗は、対抗運動 の過程での通過点ではなく、アルファにしてオメガである。
 スターリン・ブッシュ・昭和天皇の3人に同時に対抗することが、柄谷行人がいう 「国家=資本=ネーション」に対抗することの基礎的な隠喩である。「国家・資本・ ネーション」をこそ「裏切って」やる必要がある。00年代の真に新しい左翼はこの地 平から出発するほかない。


 ニューレフトであれ知識人であれ、どのみちあらゆる日本国民は結果的に昭和天皇 の死に至るまで「裏切り」(無責任)を許した。それは、秋幸を初めとする路地の人々 の龍造への態度と同様であり、日本国民全員がいわば昭和天皇(浜村龍造)と「象徴 的に」《心中》させられたということも意味する。この時、日本国民は昭和天皇の被 害者であったが、同時にそれ自体、国民のある「責任」が問われざるを得ない歴史で もある。柄谷行人や浅田彰でさえ、政治的事実として、昭和天皇の振る舞いに対して 秋幸のごとく《ちがう》と「否認」することができたのみであった。昭和天皇の死に 際して中上が示した右翼的反応は自作であらかじめこの《心中》をシミュレートして いた小説家のヒステリーではなかったか。
 私が子どもであった時に昭和天皇は死んでいったので、昭和天皇の戦争責任を追及 できなかったことの責任は先行世代とちがって私には無い。私自身は昭和天皇の「裏 切り」というより、彼の人生総体を単純に「否定」したいし、昭和天皇に敗北したこ とを否認してきている先行世代を同じ日本国民として「否認」する。ただし、自分が 後進世代に属するからそのように望む権利を持つのではなく、世代と関係なくそのよ うに望む義務がある、と考える。
 昭和天皇の人生総体を「否定」するとは、日本政府が昭和天皇の戦争責任を認め、 天皇制を廃止することである。単純な、あまりに単純な話である。そして、どう運動 すればその目標に到達できるのか。それができるだけ党派性に囚われれずにできるだ け具体的に検討されるべきである。常識的な、あまりに常識的な話である。この目標 の前で持ち出される党派性は、ネーション=無責任の体系に内属するものでしかあり えない。

 全共闘が敢えて「無責任」を肯定してみたり、そのことが非難されたりしてきたが、 もともと彼らの「無責任」など昭和天皇の無責任の足下にも及ばなかった。昭和天皇 を軽蔑し対抗しようとした三島由紀夫すら敵わなかった。言い換えれば、昭和天皇こ そが日本国民を「否認」していたのである。そして、スガの《思想》=《運動》の限 界は、この歴史的事実を「否認」するにとどまることである。「無責任」に十分に対 抗できなければ、一般にコントロール権力にもボナパルティズムにも十分に対抗する ことができないだろう。

 

 例えば、近年の学校教育での日の丸・君が代の凄まじい強制は、どうみてもコント ロール権力の典型である。にもかかわらずスガはそれに対する抵抗に冷淡である。ス ガは専ら、抵抗運動の代表を買ってでた大学教員どもの中途半端な政治性を揶揄する だけである。しかし、これは党派的な、あまりに党派的な態度である。別に、小異に こだわらず大同につけ、というような《運動》論を突きつけたいのではない。揶揄も 間違いではない。たんに、コントロール権力への対抗という自らの《思想》が対象化 しうる現実を「否認」するということが情けないのである。いわゆる「進歩的教員」 がサークル部室問題では「体制的」、日の丸・君が代問題では「反体制的」になるの は確かに欺瞞的だが、むしろ強調すべきは、学校での民主主義からもともと排除され ている学生はいずれの場合でも現実として同じく被抑圧者であることの方である。い ずれの問題も学生にとって同じくコントロール権力の発現であり、だからこそ、学生 にとって日の丸・君が代強制に対する違和も、サークル部室問題と同様、「ノンポリ」 が突然に世の不条理に触れる現実的契機の一つであるのだ。
 また実はスガが揶揄する者たちは、日の丸・君が代の強制をむしろディシプリンの 問題と捉えてきたのであり(例えば石田英敬の文章を参照。 [http://www.nulptyx.com/pub_kimigayo.html])、だからこそなおさらスガの党派 性が情けないのである。日の丸・君が代がディシプリンされるとすれば、それらによっ て表象=代表されることの強制だが、日の丸・君が代によってコントロールされるこ とは、むしろ生徒や教員が(昭和)天皇(制)を表象=代表しなければならないとい うことである。実際、日の丸・君が代の強制は、昭和天皇の死後にこそ、死者である 彼を表象=代表しようとするように、新しい世代を動員して強化されてきたのである。  そうであってみれば結局、「昭和天皇の死」(無責任)を「否認」するだけで済ま せることが、スガ秀実という絶対的な1968年派に決定的なアナクロニズムを招いてい るのだと結論せざるをえないのである。またスガは1994年に批准された「子どもの権 利条約」について、子どもへの保護主義とみなして誤解みなして冷笑しているのであ るが(『大衆教育社会批判序説』)、他ならぬ「子どもの権利条約」こそが子どもの 自己決定権(自己代表権)を保障し、大人による子どもの代表というボナパルティズ ムを超克しようとしていることを知らないのは、冷笑されうるアナクロニズムである ほかないのである。

 

 では、スガ秀実が「気持悪い」と揶揄する高橋哲哉はどうか。高橋はいわば1945年 派であり、《政治的権利の取得はそれに応じた政治的責任を発生させるということで もあります》(『戦後責任論』1999年)と述べた上で、「日本国民として」昭和天皇 を含む日本国家の戦争責任追及を主張した。しかし高橋は戦後の日本国民が「政治的 権利」を実質的にどの程度に持ってきたかに関して、あまりにもナイーヴであった。 そして、それはとりわけ冷戦後、就中1999年以来2004年までの政治の成り行きを眺め たときに明瞭であり、だからこそ疑わしいのは、高橋が昭和天皇が生きている時代に なぜ『戦後責任論』を書け(か)なかったのかということである。すなわち高橋は、 「昭和天皇の生」(無責任)という時代があったことを「否認」している。これは、 高橋(に限らず今日の1945年派=「戦後民主主義者」の少なからざる部分)が、むし ろ「冷戦後民主主義者」であることを意味する。そこには旧68年派も多く含まれるだ ろう。このことはそれ自体、ある程度は「ボナパルティズム」である。
 また高橋哲哉は未来(若者)に対して知識人的に「呼びかけ」をもするが、それは 「応答」を強要してしまうものである。他方スガは未来への「呼びかけ」を全く禁欲 し、つねに若者と共に現在のみを生きようとする。しかし本来あるべきは、未来に対 して「応答」の強要をせず、なおかつ未来に対してポジティヴに「呼びかけ」をする ことである。この「呼びかけ」は三ツ野氏がスガに求めた敵と味方とを区別する規則 (rule=実定法)ではなく、敵をも味方をも動かす原理(principle=自然法)であ る。私は別に「NAM原理」を暗示したいのではない。

 

 たぶん1945年派と1968年派の対立は、戦前の労農派と講座派の対立を反復している。 すなわち、労農派と講座派が明治維新を革命とみなすか否かで対立したように、1945 年派と1968年派は敗戦をどう捉えるかで対立するわけである。そして、どのみちアカ デミックスタンダードもしくはアメリカンスタンダード以上ではないウォーラーステ イン的なバイアスから離れて世界史を見れば、一方で「1945年」には確かに「国家」 に大きな転換があり、他方で「1968年」には確かに「資本」に大きな転換があったと みなすのが妥当である。
 1945年派は代表制を「擁護」し、1968年派は代表制を「否認」する。しかし、それ はいずれも現在までに形成された代表制の枠組みの内部での議論である。「無責任の 体系」を根本的に克服することは、新しい代表制原理を創造することによってしかな されえないのではないだろうか。


鈴木健太郎
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