雨だ・・・。1996年の交通事故の後ずっと実家で療養を続けている漫画家岡崎京子に見舞いに行ったことが書かれており、私は岡崎のファンだからたまたまこの文章を読んだのだが、読んでからずっと嫌な感じが残っている。最近自らも親になったよしもとばななは、横田夫妻と岡崎の両親の心を「親の気持ち」として同一視し、そこに自らの気持ちを同一化させている。実際、横田夫妻と岡崎両親の心には共通する部分があるといってよいだろうし、またよしもとの気持ちが確かに彼らと共鳴してもいるのだろう。しかし――、「親というものの顔だ。私も今ならそれがよくわかる。」と書くことは、小説家の仕事なのか?
岡崎さんのおうちにお見舞いに行った。会うのは十年ぶりだ。
ずいぶんとお姉さんになって、顔色もよく、チビラくんをかわいいと言ってくれたし、バイバイと手も振ってくれた。「果たしてなべおさみの名字は?」という話題のときには足をばたばたさせてすごく受けていた。受けどころがなつかしい岡崎さんのままだった。やっぱり事故は岡崎さんをうばうことはなかった。
どうしても子供に話しかけるような態度になってしまうが、前みたいにばかなことを話しかけてみよう、今度は。
リハビリを応援し続けたいし、近所なのでまた会いに行こうと思う。
岡崎さんのお父さんとお母さんは、横田めぐみさんのご両親と同じ表情をしていた。娘のためならなんでもします、というきれいな顔だ。親というものの顔だ。私も今ならそれがよくわかる。わかるだけに、子供を誘拐したり殺す人を絶対に許せない。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||