地域通貨論(2003) 二、地域通貨(地域交換取引制度)の具体的な展開のために

二、地域通貨(地域交換取引制度)の具体的な展開のために

 ここまで、地域通貨とLETS、さらに寄付を募りやすくして、レシートを信用流通させるコ ミュニティーウェイとの違いについては自明のこととして書いてこなかったが、その導入に際 してのもっとも簡単なやり方について触れることで、その分類を同時に試みたい。
 ここでは、具体的に一番流通させやすい地域通貨の方法について書いておく。

A、会場内地域通貨のすすめ

 最も簡単に、地域通貨を導入するには、まず自分の労働に対して、または場の創出に対し て、円か地域通貨を要求する(もちろん友人関係から始めてよい)のがいいのは無論だが、イベントを開く余裕があるのなら、会場内地域通貨が手っ取り早いと言える。(ここでやっておきたいものに、地域通貨入門ゲームがある。それは商売を複数でやらせてみて、利子のある社会では必ず「イス取りゲーム」のようにどこかの店の一つが銀行の取り立てで潰れるのに対して、LETSではどの人や店も潰れないというものである。このゲームに関しては北斗出版の『地域通貨入門』を参照)。
 会場内地域通貨は基本的に、入り口で円と食券を交換し、会場内で取り引きをするものだ。
 ここではその商品、人間の雑多性、取り引きの多様性が望まれる。
 以下、番外編として、会場内で地域通貨について質問された時のことを想定した受け答え 例を書いておく。


番外編。地域通貨Q&A

Q 地域通貨って何?
A 国民通貨以外の交換システムのことです。

Q どんな種類があるの?いくつぐらいあるの?
A 通帳式(LETS)、手形式、減価式、レシート式、紙幣式など、ほぼ4種類くらいのやり方を組み合わせているが、いろいろある。技術的にはコンピューターを使ったもの、携帯電話、ICカードを使ったものもある(どう相互交流をするかが課題)。日本では200個以上の地域通貨があると言われている。地域限定型と全国式がある。全国式のことを市民通貨と言う人もいる。

Q なぜ必要なの?
A 国民通貨がなければ交換ができないのは不都合。利子がつかないから、お金を溜めておく意味がない。交換が促進される。
 本来の投機目的以外のお金の使い方ができる。循環型で持続可能な世界をつくることができると言われている。

Q クーポン券やポイントカードとどう違うの?
A ひとり一人に貨幣の発行権があるのが違う点。これはLETS式や手形式の場合。
  ポイントカードは、お店がお客の情報を一括して管理するけど、地域通貨はひとりひとりが横につながっている。

Q 閉じられた共同体をつくることにならない?
A 数値を導入するので、べたべたした関係を外から見てもスッキリさせることができる。一対一の契約、交換を公共に開くのが地域通貨の基本。
 日本では、農村共同体、地域共同体、企業共同体が壊れていったので、それを意識的に再生させなければならない。
 国民通貨だって、本当は閉じた共同体だと思うけど、みんな意識してないだけ。

Q 歴史は?
A 理念を持った地域通貨は、1930年、オーストリアで、ゲゼルのアイデアを減価式(スタンプ式)として実現。成果を挙げたが国に禁止された。通帳式のLETSは、1982年、カナダでマイケル・リントンがLETSをはじめた。
 日本では、1999年『エンデの遺言』が放送されて広まった。
 江戸時代の「結」や大福帳に起原を求める人もいる。
 パリ・コミューンで影響をもった、イギリスのオーウェン、ついでフランスのプルードンの交換銀行が地域通貨の考え方の論理的な起原かもしれない。とくにプルードンの考え方はゲゼルに受け継がれている。

Q 税金は?
A お店などは、普通のお金と考えて、その分も払っている場合が多い。
 映画館などは、地域通貨分を割り引きと考える場合がある。

Q 問題点は? これからどうなるの?
A なかなか広まらない、多様性がないなど問題がある。
 LETS の場合は市を開く必用があるし、紙幣式も運営が大変。コンピューターを使ったものは、子供やお年寄りには広がらない。これからはICカードを使ったり、携帯電話を使ったりするのが広まるだろう。ICカード式だとお店のクーポンとの連動が簡単になる。技術各差をどう飛び越えるか?は考え方も含めたこれからの問題。
 国民通貨が民主的に運営されなければ、世の中はよくならないけど、地域通貨を使ったつながりが協同組合に発展したり、助けたりすることになるとも考えられる。


 会場内地域通貨の次のステップとして、それを会場外に広げる考えと、会員制にしてLETSにするやりかたがある。ICカードならクーポンとLETSは一つのカードで使える。
 以上のやり方を整理すると、消費者側から(下から)の組織化と、生産者側(クーポン発行)という(上から、売る側というべきか)二つの方向からの思考が必要となるということだ。技術的な問題より、考え方の複眼的思考(構造主義的なマルクスの思考と相互主義なプルードンの思考)が両方必要である。
 リントンもかつてこのことを指摘していた(rから後述するCCSPへの流れがこれにあてはまる)。
 消費者からの組織には、セミラティス構造が対応している(セミラティス構造には売る 側からの視点も併存)。
 また、クーポンなど生産者からの視点は、ツリー状になる。
 円を担保にしたコミュニティーウェイは、LETSよりも全国規模になりうる。
 また、マイケル・リントンのアイデアからなる、携帯電話での送金が可能な、LETSサー ビス(comunity currency service provider)は始まったばかりであり、その可能性を見守 ってゆきたい(技術母体と運営主体とが、未分化なものになりがちな日本の地域通貨の 傾向の中では、その分業を前提としている点が、技術的な面以上に興味深い。ただ、ファク ス、郵便、PC、カード、携帯電話、手書きといったメディアの複合的使用を状況によって使 い分けるやり方は、関係性の物象化という面で、模索すべき課題である)。
 こうした導入に際してもっとも身近なイベント型は、江戸時代の用語でいえば「連」とい うことになる。さらに地域通貨にあたるのは「結」、信用組合にあたるのが「講」である。それらは、川を使った物流、交通の中で「はぐくまれた」ことを忘れてはならない。
 以下参考までに、LETSの公開リストの例を挙げる。

No.(名前とメールアドレス)、提供できるもの、ほしいことやもの、取引回数、収支 
1        渡邊ユリカ       イラスト    肩たたき      0 +-0 
2        間宮俊賢                HP製作    ゾクゾクスタッフ   2  +600
3        関本洋司         歌      牧師さん      2  -600
4    信太画伯         漫画      米        0  +-0

(*)は希望者のみ公開。

もちろん、これに付け加えて、単位名の契約による共有が前提となる(後述)。また公開する情報は、任意でよいし、円との併存を考えなくともいいかも知れない。ただし、売り買いのリストは、会員に共有されるべきだと考えられるのは、欲しいもののリストが共同購入及び消費協同組合に、提供できるもののリストが生産協同組合への布石になりうるからである。大量生産による商品よりも持続可能な生産物、加工物、加工技術のやり取りが望ましいが、最初から高望みはできない。なぜなら、そうした地域の持続不可能性という危機(特に日本では)の元にLETSの必要性が生じてきているからだ。

B、よくある間違い

 地域通貨導入に際して、先に書かなかったが、最も重要なポイントとしては、みんなでその名前を考えることからはじめるべきである、ということだ。地域通貨は、そもそも「委員会の論理」(中井正一)である、ということが言える。その際、そもそも日本では農村共同体及び会社共同体が壊れてしまったという認識が必要であり、個々人の反発を矯正しようとするべきではない(むしろ互酬制を分節化するという意味で、地域通貨に反発していた「個人主義者」の方が後に協力的になるケースが多い。地域通貨はそもそも呼び名からして、「通貨」ということから検討されなければならない。物々交換を交通整理するものだ、というのがLETSについての的確な説明であろう)。
 よくある間違いは、一つの分野に特化した地域通貨を作ろうとすることである。(埼玉の例、前橋の例がある)。出来れば、農業を含めた、三種以上のサービスが最初から登録されていることが望まれる。立ち上げる際の人選が重要となるのだ(ここがロドスだ、ここで飛 べ!)。
 また、商品よりも、持続可能な労働主体が想起されるべきである。(ここで冒頭の商品よりも人間が大事だという冒頭の提案に即して言うならば、個々人の売り買いのリストの提示と公開が、何よりの自己紹介を兼ねており、LETSの命であると言っても過言ではないということを確認しておく。また個々の売り買いのリストにおけるプラマイゼロがLETSの出発点であり、商品ではなく人間から分析が始まらなくてはならないという冒頭の発言の根拠となるものである)。
 ただし、地域のただ一つのサービスにその地域通貨が特化されていても、埼玉県小川町など(生ゴミと野菜交換券)のように自覚的に運営するならば、突破口(バリュー・スライサー)となり、さらなる基盤となり得るかもしれない。
 また、自治体と協力するならば、キューバにおける自給自足した都市計画のような全体的ビジョンが欠かせない。
 キューバの場合は、アメリカによる経済封鎖の中で、ドルがその対抗相手ということになり、他の国と事情が違うことは無論だが、その目指す方向は他国でもモデル足り得る。
 コミュニズムは「各人が必要に応じて受け取る社会システムである」(TC,p437)、という定義を借りるなら、LETSは、「各人が必要に応じて交換する社会システムである」と言えよう。交換の遍在が、そしてその顕在化がひどく望まれているのだ。
 そして、一般の地域通貨に関して言えば、福祉を含めた、地域で子供を育てる女性からの立場がないと、持続可能とは言えないことも追記しておく。(ここで持続可能な循環循環型社会の必要性の認識が不可欠である)。
 今まで、利子の問題には触れてこなかったが、利子の不合理さを体感するには、先に触れたLETSの体験ゲームはかなり有効だと思う。そして、もし政治的強制力を働かせて利子のない社会を作ったとしたら、禁酒法のように裏金融をつくり出すことになるだけだろうということも指摘しておきたい。実際、コーランで利子を禁止しているため、ユダヤ資本がイスラム資本に代わって金融業を発展させる結果となったと言われている。金融のあり方については、地域再投資法の制定が不可欠であるが、これは、アメリカのシカゴで成功したもので、金融を審査することで、資産がある特定の地方から流れないようにするものである。

C、Multi-LETSに関して

 異なる複数のLETS間の取り引きであるMulti-LETSに関しては、冒頭の考察に戻ってしまうが、思想的に、あるいは体感的にアナーキズムの概念的再検証が必要になる、というのが筆者の意見である。また、ある意味LETSはMulti-LETSを想定したもの以外はあり得ないと言 うことでもある。つまり、LETSの必然性は、現代の多重所属的コミュニティーの必然性であり、そもそもLETSというものが、「マルチ」な個々人の取り引きを想定するものだからであり、LETSそれ自体がマルチなものなのだ。ただマルチという言葉は、超越的な一点が多元論 をささえる一対多の構図のそれを想起させる点で、適格な名称ではないと思う。個々の取り引きの場においてあてはめるならば、インターナショナリズムによって超越的概念が人と人を繋ぐのではなく、トランスヴァーサルに一回一回飛び越えなければならないということ だ(サッカーにおけるポジションチェンジを想起せよ)。
 これらを概念的に捉えたいのならば、まず、自律した地域同士が連合すると考えればいいのではないだろうか?それが現在ではまだ無理なら自律の仕方そのものを交換すると考えればよい。Multi-LETSという名称よりも、前述したように、Trans-(versal-)LETSのほうが呼び名としてはいいかも知れない。
 それらはまた、言語とのアナロジーを使えば、「言語Aから言語Bへ移行する言語X」(パゾリーニ)ということになり、その国内的異国性、二重構造化という生成を自覚的に顕在化させることを意味する。これは単に外国語を話せと言うことではなく、文学的に言うならば、積極的に自国語の中で「どもる」ことで、社会が仮面の下に隠そうとする偽りの安定性を揺さぶろうということでもある。(この場合、LETSでは国民通貨の場合隠蔽されがちな「搾取」も顕在化するということを再度指摘しておきたい。ここで、LETSで取り引きされるからと言って、過度の倫理性を期待するのは間違いではあるが、ゆっくりだが着実に対人間関係において信用を作り、世界を変えてゆくのがLETSであると確認しておきたい)。
 地域特定型の地域通貨と、地域を特定しない市民通貨に関しては、どちらも共存可能であり、そのどちらをも使い分ける能力が望まれる。ここにこそTrans-LETSの意義がある。また、異なる地域通貨同士の連合(統合ではない)が、市民通貨への展望を開くものであると筆者は考えている(そもそも日本では「円」を市民通貨にする視点も必用であるし、地方発行、運営によるそれは非現実的なものではない)。
 そして、失敗と言うことでさらに言えば、失敗を第三者に公開しないことが、最大の失敗であると言っておきたい(連合ヘの第一歩でもある)。今日望まれるのは、WEBを通じて、または実際に会うことによって、地域通貨の失敗例を情報として共有することなのだ。
 もうひとつTrans-LETSの必然性と言うことでつけ加えるならば、地域の危機の表明として地域通貨は作られるのであるから、その地域にはすでに多様性とその可能性が失われている場合が多い。これは個人のTrans-LETSだけでは対応できない問題でもあり、地域通貨間の組織的な連携が必用とされる所以でもある。
 また、地域(国家)を超えた地域通貨ということで言えば、 「大地を守る会」の藤田社長にインスパイアされたものとして、中国(大豆)と韓国(麦)と日本(米)の農家が参加し、相互交換するというLETS構想が筆者にはあることを追記しておく(韓国の地域通貨につ いては調査中である)。この計画は、農業に特化したものだが、すべての国が、生産-消費体制を維持したものなので、バリュー・スライサー足り得るものだと思うし、何よりアジアの今後のあるべき姿を経済面から支えるものである。またこれらは、国内の異言語間の取り引きを試みる中で、何も遠い将来ではなく、今すぐ摸索が可能であろう。


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関本洋司
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