Q-NAM問題-3

「Q-NAM問題-1」は攝津個人の言動の総括と謝罪、「Q-NAM問題-2」は柄谷行人の言動の総括の試みだった。この「Q-NAM問題-3」では、Q-NAM問題に関するNAM一般会員の責任問題を考察する。

鎌田哲哉はQのホームページで次のように述べている。
http://www.q-project.org/q_kyoto.html

但し、ここでの「一部NAM会員」とは、やりたい放題やった後で「あれは祭りだった」「まだこんなことにこだわってるの」とうそぶくモッブのことだけではない。ここ一番で弱気な阿諛と沈黙を続けながら、今日聞かれもせずに「自分はNAMに絶望していた」と語りだすNAM幹部/原理との契約で入会した自らの手の汚れに全く触れず、今日後出しじゃんけんで偉そうにNAM批判を始める一般会員/理論的にも実践的にも自分達こそ全てを学習すべき存在でありながら、事もあろうに今なお他人に何かを「散種」する気でいる活動家崩れ(ゴロツキー)、それら全てを含んでいる。有名人?か一般大衆かは関係ない。NAMが解散したかどうかも関係ない。自らの「責任」だけは自省できない傍観者達の増長こそが問題なのだ。一体彼らは、ワイドショーで安心しきって和田某を批判する、スーパーフリーの会員どもとどう違うのか。

私は別の場所で、QとNAMの関係を新日本文学と日本共産党の関係に類比した。だがいまや、あらゆるNAM会員の現状は「文学者の戦争責任」のそれに酷似している、と言うべきだ。戦争責任が不可避的に戦後責任を伴う以上、何より標的にすべきは、「戦中」の愚行や傍観ばかりか、それらを「戦後」にとんずら=リセットして逃げ切ろうとする彼らのせこい根性である。その全貌については別の機会に書きたい。

ちなみに私は、2003年11月28日に公表した「和解の提案━━最善を尽くすしかない」で次のように述べ、NAM一般会員の責任を否定している。
http://associationists.fc2web.com/sets0003.html

 ところで鎌田哲哉さんの文章では、まるでナチス・ドイツ政権下のドイツ国民のように、すべてのNAM会員に責任があるかのような書き方をしています。しかし、わたしは、そのような主張を否定します。責任があるのは、大部分の情報にアクセスし得ており、且つ、組織としての意思決定に関与し得ていた、ごく少数のNAM会員です。もちろん、わたしもそのひとりです。一年前、Q管理運営委員であり且つNAM事務局員であった者として、紛争を平和裡に解決させるべきだったのに、その努力を怠りました。そのことについて、幾ら批判されても、受けいれるつもりですし、謝罪するつもりです。

『NAM原理』第二版から引用するが、見られる通り、NAMは個人主義的組織だった。故に不正高額取引も「告訴」メールも、或いは私がやった「一斉同報メール」も、全て責任主体は個人であり、NAMという組織そのものが責任を負うことはない、とこれまで私は考えていた。

D―1  NAMは、諸個人の自由なアソシエーションである。個々人はNAMの内部で一定のルールに従うほかには、自らの主権を保持する。個々人は他の組織や運動に属してよい。むしろ、そのことによって、他の分散した組織や運動を媒介することを目指すべきである。

 NAMは、諸個人の自由なアソシエーションである。NAMの中に秘密はない。すべての発言は記録され、会員がいつでも参照することができる。個々人はNAMの内部で一定のルールに従うほかには、何の拘束も受けない。個々人は、それまでに所属する組織――企業であれ組合であれ政治団体であれーーを辞める必要はないし、また今後、別の組織に参加してもよい。NAMは無から何かを作り出すものではない。それは、現実に資本=ネーション=ステートが作り出した諸条件、そして、諸矛盾から出発し、それを可能なかぎり組替えていく運動である。NAMは、これまで分散し相互に隔絶し対立しているような運動や組織を媒介し、異種結合し、再活性化することを目指す。しかし、それを果たすのは個々の会員である。

しかし、そのようなNAMの自己規定に関わらず、Q(非NAMの他者)の視点から見るとき、不正高額取引、『Qは終わった』のホームページ公表、「告訴」メール、或いは「一斉同報メール」にせよ、NAMという党派性を帯びたものとして映らざるを得なかったのではないか。NAM組織(或いは、NAM会員であったあらゆる諸個人)はQ及びQ会員に対して、自分が感じるものではなく、他人がその存在を感じ、そして自分が引き受けざるをえないような加害責任を果たさねばならない、ということになるのではないか。NAMは個人主義的な組織であった、或いは柄谷行人が言ったように「アナーキストの組織」だったということ(NAM及びNAM会員の自己規定)は言い訳にならず、NAMにとって他者であるようなQ会員がその存在を感じ、そして自分が引き受けざるをえないような加害責任をNAM(組織)が、そのNAMを対外的に代表していたNAM代表団が、そしてNAM一般会員個々人が負わねばならないのではないか。

(元)NAM代表田中正治は[NAM:2941]【註1】で次のように述べている。

私はNAMを対外的に代表する立場として、「Qは終わった」と
いうエッセイをNAM・HPのフォーラムに掲載された場合、代表
としての責任を負いかねます。

つまり田中正治は、自分がNAM代表として、対外的に責任を負うべき立場にあることを自覚していたのだ。柄谷行人の社会的に影響力の大きい発言が、たとえ個人的発言としてであれ、NAMの見解として看做されること、そしてその「責任」を自分が負わねばならないことを理解していたのである。

今私は、NAM会員を幾つかの層に分けて、それぞれに関してその責任云々を問いたいと考える。

  1. NAM代表団
  2. NAM抜本的改革委員・NAM規約委員
  3. NAM評議員
  4. NAM事務局員
  5. Q管理運営委員であったNAM会員
  6. Q会員であったNAM会員
  7. 非Q会員のNAM会員

1.NAM代表団については、明らかに批判が向けられるべきだろう。

朽木水は、 [NAM:2923] で次のように述べていた。【註2】

端的に言って、そのような「新LETS特別委員会」は認められないのではな
いでしょうか。
--中略--
このように、プロジェクトチームを立ち上げるに際して、そのために、特別な
委員会を設けることを原理も規約も予想していないからです。
--中略--
たとえ、プロジェクトチームの発起人が前代表だからといったような理由でも
って、特別扱いをすることはむしろ原理に反することになると思うのですが。
--中略--
NAMは、こうしたプロジェクトの立ち上げに対して、原理的に平等であるべきだ
と思います。

L採用・立ち上げを特別扱いするべきではないという、「原理的NAM」派(「原理との契約」派)の典型的主張である。しかし、NAM代表団は柄谷行人のNAM退会宣言を受けて、尼崎の柄谷宅を訪問し、「NAM抜本的改革委員会」の設置と『Qは終わった』の『Qは始まらなかった』としてのNAMホームページ掲載を合意する(「Q-NAM問題-2」を参照していただきたい)。

このような経緯には、以下のような問題点があると私は考える。

三権分立、監査委員会云々については分かりにくいだろうからNAM会員全員の投票で採択した『NAM原理』第二版から引用する。

D−4 NAMは、ブルジョア国家において有名無実にすぎない「三権分立」を真に実現する。上記の意思決定機構のほかに、執行機関としてセンター事務局や各種委員会があり、監査機関として監査委員会がある。執行機関はそれぞれセンター評議会によって任命され、監査委員会は直接に全会員からくじ引きで選ばれる。

 意思決定機構は次の通りである。地域系・関心系・階層系はそれぞれ代表者をもち、事務局をもつ。ただし、一つの代表者は、他のセクションの代表者を兼ねることはできない。地域・関心・階層のすべての代表者たちで構成するのが、「アソシエーションのアソシエーション」としてのセンター(代表者評議会)である。さらに、「センター」においても、代表者が選出される。どのレベルでも、代表者は、無記名投票(三名連記)で三人を選んだ後、くじ引きによって決められる。残りを副代表とする。代表者の任期は一年とするが、その間に要求があればリコールされる。
 行政的機構として、センター事務局と各種委員会がある。これらはセンター評議会から任命される。センター事務局は輪番制によって、各地域が担当する。いいかえれば、物理的空間としては、すべての地域が中心となる。
 一方、司法的機構としての監査委員会は、以上の二機関から独立した存在である。したがって、それは全会員からくじ引きで選ばれる。監査委員会は、各地域、センター評議会、センター事務局などに生じる規則違反あるいは対立に対して、公正に対処する。また、代表などに対するリコールは、監査委員会の審議によって決められる。
 NAMは秘密をもたない。ゆえに、重要な議題や争点がすべてのメンバーに知らされ、且つ、いつでも参照できるようにすべての通信記録が保存される。

Q-NAM問題のような紛争、「各地域、センター評議会、センター事務局などに生じる規則違反あるいは対立」こそNAM監査委員会の出番であるはずだった。しかるに、NAM監査委員会は沈黙し、NAM代表団もNAM監査委員会に監査を求めることはなかった。

このように、結局のところNAM原理に忠実に振る舞わず、柄谷行人の提案(というより事実上の決定)を前提してしまったところに末期NAMにおけるNAM代表団の批判されるべき点がある。それは一部NAM会員によるQ攻撃(名古屋でのNAM集会でその実行が公言されていた不正高額取引、関井光男や山住勝広を筆頭とした「告訴」メールの数々、Qとの「契約解除」を煽動した柄谷行人)を制止しなかった組織的責任でもある。

NAMは個人主義的な組織だった。個人の行動を制約するものはなかった。故に不正高額取引や「告訴」メールによる示威等の破壊行為においても、NAM会員である個々人が勝手にやったのだということになり、組織としてのNAMの責任は問われない、ということになるかもしれない。しかし、NAMの他者(外部)であるQ(Q会員)の視点からみるとどうなるか。それらの破壊・攻撃行為はNAMがやっているように見えざるを得なかったのではないか。NAMはそれに対して、組織として制止するなり警告するなりするべきではなかったのか。その点に関して、当時のNAM代表団の判断は適切だったか。

2.NAM抜本的改革委員・NAM規約委員に関しても、明らかに批判の眼が向けられるべきである。そもそも彼らには、何かを決定する権限など何もないはずだった。いわば元老院、「権威」(「権力」でなく)の座としてあるはずの機関であり、[nam-rules:0334]では「新たな規約を作るだけでなく、NAM創設以来の理念を新鮮に保持するための機構」であると謳われていた。

そのような場に集った人々(主に知識人・文化人)が柄谷行人の独走を誰も制止しなかった(できなかった)。僅かに王寺賢太が『Qは終わった』のNAMホームページ(フォーラム欄)掲載に際して、[nam-ml_judgment:0080]【註3】で以下の発言をしているだけである。

 なお、今回のエッセイのホームページ掲載について、柄谷さんに警告処分を出すことをML審査委員会に
要請します。ML上での発言が問題ではない(問題はより大きい)ので、審査委員会で取り上げることが
適当かどうか分かりませんが、NAMとして柄谷さんの言動に対して警告を与えることが必要であると思
います。柄谷さんがそれをうけて「NAMは終わった」などと言い出さないことを心から願っていますが。

しかるに、柄谷行人のNAM退会宣言後、王寺賢太は態度を変え、柄谷慰留に回ったようにみえる。

王寺賢太は、「Q全体会議」555番の投稿【註4】では、柄谷行人のやり口やエッセイ『Qは終わった』の内容を批判しているが、NAMが組織として柄谷行人に警告処分を出すという提案については、以後、結局立ち消えになってしまった。王寺賢太のこの投稿は、NAM退会を宣言した柄谷行人をNAMに慰留することがその主要な目的になっている。「柄谷さんがそれをうけて「NAMは終わった」などと言い出」してしまったからである。

そして王寺賢太は、NAM抜本的改革委員会では、既にQ放棄、L採用を前提(既に決定された事項)として議論を進めることになる。

王寺賢太のみならず、他のNAM抜本的改革委員やNAM規約委員たち、要するにNAMに参加した知識人・文化人も、柄谷行人の強引なQ放棄・L採用の提案に抵抗できなかった。最初から柄谷行人の提案を「決定」として受け入れての議論がNAM抜本的改革委員会だったのだ。(岡崎乾二郎の抜本的改革草案でさえ、Lの採用を前提としていた。)

例えば杉原正浩は[nam-reform:0086]【註5】で次のように述べている。

From: "krtn"
> あからさまに、Q解体を任務とする者なら、Q管理に残ってよいでしょう。

私はそのつもりです。

それがNAM原理の原理原則(既に引用したような)に反する態度であったことは言うまでもない。「NAM創設以来の理念」の保持どころの話ではなかった。NAM規約委員・NAM抜本的改革委員たちは、NAMがそのような非民主的な意思決定過程を経ることになってしまったことに対して責任があるし、間接的には、NAMにとっての他者であるQ会員の迷惑に対しても責任がある。

3.NAM評議員に関しては、NAM原理に規定された最高意思決定機関の一員であったわけだから、NAMが柄谷行人の独走を黙認し、Q放棄・L採用を事実上決定してしまったことに対して、責任があると言わざるをえない。また、一部NAM会員のQに対する破壊・攻撃行動をNAMとして組織的に制止しなかった点でも、消極的に責任があるだろう。

『Qは終わった』のNAMホームページ掲載については複数のNAM評議員たちから反対意見が出されていた。しかるにその多くの者は(全員ではないが)、柄谷行人NAM退会宣言に際し、センター評議会MLその他で柄谷行人への謝罪をしたのだ。その後は、もう誰にも抵抗など出来なかったといってよい。

「[NAM:3175] Re: [議事進行] 「NAM抜本的改革」に関する評議会への提案−3」において福祉系代表の三木和平は述べている。

今日までが質疑応答の期間ですが、まだどなたからも発言が無く、不気味な沈黙が続
いています。問題の大きさを痛感します。

これだけの大きな変革を各関心系内での討議も無く、代表だけの判断で決めるという
のは困難だと思います。私は判断を保留します。

全会員の投票で決定するしかないと思います。

「NAM抜本的改革」を巡って生じていた「不気味な沈黙」、即ち傍観に関してNAM評議員は責任がある。三木和平は、抜本的改革案に関して、「全会員の投票」を提案しているが、それも実現されることはなかった。実現されたのは、NAMの全組織機構解消(解散)に関するNAM正会員の電子投票だった。

非NAMの他者(『NAM原理』と契約していないQ会員)をNAMが「敬意をもって扱」うべきことを訴えていたNAM評議員がいる。生井勲である([NAM:3196]【註6】)。しかし生井勲は、ML審査委員会において浅輪剛博から抗議を受け、すぐに[NAM:3196]を全文撤回する。

上のことは、『原理』と契約した個人であるか否か以前に、そのような礼を失した態
度をNAMが採り続ける限り、アソシエーションなどありえないという意味で、当然の
ことです。非人間的な振る舞いは、NAMにおいてもまた、慎まれるべきです。柄谷流
にいえば、「NAMを反対に読めば、MANだ!」ということです。

僕個人としては、今回のゴタゴタで多くのものたちが無用に傷ついていることに、も
う我慢できません。たとえば、逵さんはたしかにNAM会員でなはありませんが、個人
として尊敬に値するべき人物です。そのような方が、たとえ『原理』と契約していな
いからといって、敬意をもって扱われなくて良いということはありません。「政治的
な振る舞い」という美名のもとに、現在のNAMは余りにも多くの方々を傷つけていま
す。ハッキリいって、現在のNAMの、この程度の組織に「政治」もへったくりもあり
ません。きちんと他人に対する敬意を保ちさえすれば、それで十分なのです。

「『原理』と契約した個人であるか否か以前に、そのような礼を失した態度をNAMが採り続ける限り、アソシエーションなどありえない」「たとえば、逵さんはたしかにNAM会員でなはありませんが、個人として尊敬に値するべき人物です。そのような方が、たとえ『原理』と契約していないからといって、敬意をもって扱われなくて良いということはありません。」というごく常識的な他者感覚を持ち合わせた人物がNAMにほとんどいなかった、しかもただ1人異論を提起した人物すら直ちにその異論を撤回せざるを得ないような異常な雰囲気が当時のNAMでは続いていたといっていいだろう。

4.NAM事務局員については、NAM規約委員会やNAM抜本的改革委員会、NAM website局などのMLを読める立場にあり、或る意味ではNAM評議員より責任が重いといえる。事務局のMLの過去ログは残っていないが、『Qは終わった』web掲載に公に反対したのは2人、柄谷行人NAM退会に関して慰留に反対したのもただ一人だった。事務局長である浅輪剛博がL採用に積極的な立場(「抜本的NAM」派或いは「市民通貨」派の代表的な主張)だった故、事務局内から反対の声をあげにくかったという事情があるにせよ、私を含めたNAM事務局員には内部告発、情報公開の義務があるはずだった。何故なら、重要な討論はNAM規約委員会やNAM抜本的改革委員会といった閉ざされた場でなされていて、NAM一般会員にはその討論の内容を知る術が無かったからである。実際、私はnam-event ML(全NAM会員が読めるML)にNAM抜本的改革委員会のML等を公開するつもりでいたが、パソコンがクラッシュし実現できなかった。結局、多くのNAM事務局員は事態を傍観していたと言われても仕方ない状況であり、そのことの責任はあるはずだ。

5.Q管理運営委員であったNAM会員に関しては、Qユーザーに対して責任を負っていたというべきだろう。私の提案による「超規約的措置」で大量に退職していったNAM会員であるQ管理運営委員たち、また退職した私自身について、Qユーザーに対する責任を中途で放棄したと言うしかない。

6.Q会員であったNAM会員については、nam-event ML、QユーザーMLなどでNAMにおける一連の非民主的決定やQ攻撃行為に対して抗議を行う者が少数だった。Q会員であったNAM会員の大多数は、『NAM原理』第二版を電子投票で採択し、そのようなNAM原理と契約し、且つ、Q規約とも契約していた責任を放棄したと言われても仕方ないだろう。

7.非Q会員のNAM会員については、その多くの者がNAM組織の非民主化を傍観・黙認したこと、そのことを通じて間接的にQへの加害行為に責任がある。Qに入っていなくても、LETSを重視した『NAM原理』第二版がNAM会員の電子投票で採択されていた以上、そのような『NAM原理』と契約した者として、Qをあからさまにいえば潰そうとするようなやり口を認めてよいのか、異議が申し立てられるべきだった。

日本はかつて国策としてアジア侵略をし(軍隊を送り)、現在国策として米英のイラク占領に加担する自衛隊派兵を続けている。これとは違って、NAMにおいて組織的方針としてQ放棄(Q破壊・攻撃)が決定されたという事実はない。(「新評議会」でQ義務化問題を討議するはずが新評議員の成り手がなく、結局抜本的改革案を実施する前にNAMが崩壊してしまった。)しかし、事実上、柄谷行人によるQ放棄・L採用の決定とQに加えられた攻撃(「契約解除」の煽動など)があった。そのことは非NAMの他者=Qから見れば、実質上NAMがやったこととしてその加害責任を問われざるを得ないのではないか。

しかし、正直言って、私は、NAM抜本的改革委員会などの情報に触れていなかったNAM一般会員(Q会員であろうとなかろうと)に当時現場で何が出来ただろうか、とも考える。既に見たとおり、柄谷行人は特殊な戦略を採っていた。「理論」的な知=真理を自らが所有していると思い込ませること(「知っているはずの主体(知を想定された主体)」として振る舞うこと)、つまり市民通貨Lの理論を「まともな知性」を持つはずの人間ならば理解できるはずの事柄として提示することによって、NAM会員による反対意見を封じたのである。誰が自分は柄谷行人より頭が良い、理論的能力があるなどと自負できるだろうか。柄谷行人による末期NAMの実力制覇は「理論」の名において為されたのであって、故に多くのNAM一般会員は黙るよりほかなかったのだ。「(4)NAMは、その組織と運動形態自体において、実現すべきもの(参加的民主主義や多様体的アソシエーション)を体現する。」が原理(NAMの建前)、(Q-NAM問題、より狭く言ってQ放棄・L採用は)「バカがとやかくいう筋合いのものではない。」( [nam-website:0494])「しかし、NAMは根本的に知識人の運動であり、べつにそれを恥じる必要はありません。理論的実践において不徹底であること、たとえば、Qのようなエセ理論を放置しておくことこそ恥じるべきです。」([nam-reform:0007])が柄谷行人の本音(NAMの実態)であった。

そのような事情であったならば、NAM一般会員(Q会員であろうと非Q会員であろうと)には、Q-NAM紛争当時の異常な状況において、何が出来ただろうか。消極的抵抗として、NAM退会を選んだ人たちも多かったことをNAM事務局の会員管理担当者だった私は知っている。だが、そのような抵抗は非力であった。nam-event ML(NAM全会員に配信されるML)、q-discussion ML(Q全体会議)、QユーザーMLで果敢に柄谷行人に反対する発言をした人たちも少数ながらいた。しかし、そのような人たちは孤立せざるを得なかった。「理論」の優位(しかもその「根拠」は明示されず隠されたままだったので、詐欺と言われても仕方ないようなものである)という条件下に、柄谷行人独裁が現出したのである。

柄谷行人はnam-event MLの「退会しますー柄谷行人」で書いていた。

断っておきますが、私がここで示したのは、Lのアウトラインです。私は、Lに関
して、理論的な根拠を用意しています。だから、この文章を読んで生半可な批判
をする者は、いずれ泣きを見るでしょう。
--中略--
以上で、私は、まともな知性をもつ人なら理解できるはずのことを伝えました。
これを理解できないような人たちともに活動する気はありません。そのような人
たちの、無知なくせに、傲慢で無礼な態度に対応するつもりはありません。で
は、一先ずさようなら。

また柄谷行人は[nam-reform:0085]で述べていた。

私はNAMに復帰したのは、私がNAMをやめるより、私をやめたい気持にさせた連中
がやめるべきだと考えたからです。この判断が不当かどうか、NAMの全会員にき
いてください。

Qは、何十年経っても、だめです。いまだにそのことがわからない人は、NAMにと
どまるべきでない。(りこうぶったバカが何人いても仕方がないし、NAMにとっ
てたんに有害です。)

次に、それがわかっているのに、Qの活動をするのは、詐欺です。したがって、
NAMにとどまるべきでない。

以上、私のいうことは論理的です。(NAMにとどまらないというのは、正確にい
うと、新NAMには入れない、ということです。)

理論の優位を誇示しNAM退会をちらつかせた柄谷行人に抵抗することは事実上誰にも出来なかった。NAM会員個々人の主体性の弱さを責めるべきだろうか。しかし、「理論」=「知」の前に、私たちNAM会員の大勢は屈したのだ。私自身、Lの理論を自分が理論的に否定出来ない以上、柄谷行人に従うよりほかない、と当時考えていた。しかし現時点で考えるとき、参加的民主主義を体現することを謳う組織において、「理論家」の独裁を許すべきではなかった。それはその組織自身がそれに基いている当の理論(NAMの原理)を自己否定することでしかなかった。

では、どうすればよかったのか。私は「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり」(『論語』岩波文庫、p33)という謙虚な態度を貫くべきだったと思う。森谷めぐみはnam-event ML宛てのメールで【註7】次のように書いている。

Lへの飛躍は、わたしのような凡人にはとてもついていけないところですが
当面はNAMとQとの特別委員会を見守り
起こってきた問題の整理、把握に努めたいと願っております。

私はこのような謙虚な認識がNAM会員各人に必要だったと思う。誰も自分がバカだと他人から思われたくないし、自分で自分をバカだと認めたくないから、そのような自尊心が仇になって、「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり」という謙虚な認識に至れなかった。当時、恐らくLをまともに理解できたNAM会員は誰一人いなかっただろうと思う。しかるに、少なからぬNAM会員たちは、実は分からないのに、柄谷行人に追従し、L(の理論)を支持したのだ【註8】。鎌田哲哉のいう「草の根ファシズム」の原型である。

ここに一番の問題があった。理論家が理論的「知」(と称するもの)を根拠に独裁した時、NAM一般会員に出来る抵抗があったとしたら、それは「無知」を積極的な武器とすること以外になかったはずだ。

NAM評議員のなかで柄谷行人退会宣言以後、柄谷行人に謝罪しないことをセンター評議会の場で公言した評議員は([NAM:3073]【註9】)森谷めぐみただ一人である。

わたしは謝罪しません。でもわたしが謝罪しないことで
評議会や事務局の方々に過大なご迷惑をおかけすると
存じます。つきましては、このたびをもちまして
理論系連絡責任者を辞任し
NAMを退会します。

このような暴力的展開にはまったくついていけません。
午前中にフォーラム掲載について反対するメールを
出しましたが、出先からだったので、ちゃんと投稿できませんでした。
再送はしませんが、その中でわたしがNAMという運動に求めた
イメージをほんの少しだけ書きました。今後はNAMの外で
わたしはそれを探求していこうと思います。

何故謝罪しないことを宣言するNAM評議員、いやNAM会員が森谷めぐみただ一人だったのだろうか。ざっくばらんに言えば、知ったかぶりの構造があったのだ。L(の理論)など理解していないのに、あたかも理論的にQを凌駕し得たように思い込むこと、そのことを通じて自分はバカではない、「まともな知性をもつ人」だという自負を持つことが出来る。それが悲惨な思い上がり(ないし思い込み)だったかもしれないにせよ、そのような自己欺瞞を自らに許すNAM会員が多くいたかぎりにおいて、NAMは一挙に柄谷行人に掌握されたのだ。

確かめようがないことだが、多くのNAM会員は紛争自体にうんざりしていたのかもしれない。NAM退会で意思表示をした人たちを含めて、そのような人たちは確かにいたはずだ。QもLもどうでもよく、紛争自体が厭だという人が多数いたのかもしれない。その人たちには責任はあるのか、ないのか。そのような人たちに、紛争にコミットする「義務」があったといえるか。そのような人たちに、当時、現場で何ができたのか。

ともかく、L(の理論)等、分からないものには分からないと言うべきだったし、ついていくべきでないものにはついていくべきではなかった。そんな当たり前の常識的な事柄さえも末期NAMでは通らなくなっていたのである。そのことに関し、NAM会員(Q会員であろうとなかろうと)には明らかに責任がある。それを公然と認め、NAMを批判的に総括して、次の運動に繋げていくことが必要である。

【註1】[NAM:2941]の全文は以下の通りである。

Message-ID: 03bc01c27854$e33d5a30$0400a8c0@COMPAQ
From: "田中正治"
To: "N・・センター評議会"
Subject: [NAM:2941] 「Qは終わった」のNAM・HP掲載に関して
Date: Mon, 21 Oct 2002 01:22:29 +0900

柄谷さん
田中正治(評議会代表)です

「Qは終わった」というエッセイをNAMHPのフォーラムに掲載
提案しておられますが、NAMの原理にかかわるLETSに関
することであり、NAMの内部で論議をつむことが先決だと考え
ます。センター評議会に提案されるか、新しいLETSを立ち上げる
プロジェクトをNAM内で提案し、そこで論議をするかなどの方法を
とっていただきたいと考えます。
現在、NAMHPのフォーラムに掲載することは、事実上「Qは
終わった」がNAMの公式見解と対外的に受け取られると判断
します。
柄谷さんが「Qは終わった」で述べられている見解を持つことは
自由です。僕自身規約委員会での論議を見る限り、さまざまな
瑣末な部分を取り払い、本質的と思われる論争の内容を見ると
柄谷さんの主張に多く共感するところがあります。しかしだから
といってそのこととフォーラムへの「Qは終わった」の掲載という
組織的処置に関しては、区別すべきだと考えます。
「Qは終わった」の内容は、NAMが準備し、船出させたLETS・
Qに対する否定なわけですから、Qに代わるLETSを提起する
場合には、Qを準備し船出させたと同様レベルの組織的手続き
を踏むべきではないでしょうか。
websiteMLがwebsiteに関して最高決定機関であるとの立場
をとっておられると思いますが、そのこと自身はセンター評議会
で了承されているわけではないはずです。

私はNAMを対外的に代表する立場として、「Qは終わった」と
いうエッセイをNAM・HPのフォーラムに掲載された場合、代表
としての責任を負いかねます。

【註2】 [NAM:2923] の全文は以下の通りである。

Message-Id: 5.0.2.7.2.20021018144430.03947a30@pop3.norton.antivirus
Date: Fri, 18 Oct 2002 15:00:46 +0900
To: nam21@freeml.com
From: Kuchiki
Subject: [NAM:2923] Re: 「新LETS特別委員会」設置について2

田中正治 さんへ

こんにちわ、朽木 水(法律・東京・非学生)です。

ここのところの急展開の議論についていけず、本来なら、代表を補佐する役目
を果せず、申し訳ありません。

で、今回の「新LETS特別委員会」設置の提案については、さらに申し訳な
いことをここでコメントさせて下さい。

まず、私は、一般に事態が混乱した時には、原点に戻ることが大切だと考えて
います。それは具体的には、NAMの原理に戻ることであり、その原理を具体化し
た規約(今、作成中ですが)に戻ることだと思います。

そのような立場で見た場合、今回提案された「新LETS特別委員会」という
のは、原理や規約からみて、どういう置づけになるのでしょうか。

端的に言って、そのような「新LETS特別委員会」は認められないのではな
いでしょうか。
というのは、

>浅輪さんが> しかし、すぐにでも新しいLETSは作られるでしょう。
>と >新しいLETSに関してですが(僕も間接的には多少概要を聞い
>ています)、センター評議会の下に「新LETS特別委員会」設置し
、 >そこでまず集中討議をするのが適切ではないかと考えます。

このように、プロジェクトチームを立ち上げるに際して、そのために、特別な
委員会を設けることを原理も規約も予想していないからです。

ではどうするのが相応しいのか。
それは、今回もまた、田中さんが最後に言われたように、端的に、

>なお柄谷さんが「新LETS特別委員会」でなく新たに「プロジェクト」
>を提案することは自由です。

でいけばいいのではないでしょうか。

たとえ、プロジェクトチームの発起人が前代表だからといったような理由でも
って、特別扱いをすることはむしろ原理に反することになると思うのですが。

また、私自身は、前から、マルチLETSで行くべきだろうと思っていましたか
ら、Qのほかに、Q2とかQ3ができていくことには基本的に異論ありません。し
かし、そのようなマルチLETSプロジェクトチームの立ち上げのうち、或る場合
だけ特別委員会を設け、そうでない場合には設けないという区別はできないと
思います。
NAMは、こうしたプロジェクトの立ち上げに対して、原理的に平等であるべきだ
と思います。

あとは、そのプロジェクトチームがいかに多くの人たちの共鳴・共感を得られ
る内容かで自ずとその評価や扱いが決まっていくのだと思います。

以上の意味で、今回の田中さんの提案に反対します(ゴメンナサイ)。

【註3】[nam-ml_judgment:0080]の全文は以下の通りである。

Date: Sun, 20 Oct 2002 19:29:31 +0200
Subject: [nam-ml_judgment:0080] Re: [nam-q-evaluation] Fw: 掲載に積極的に賛成です。
Cc: nam-ml_judgment@freeml.com,nam21@freeml.com
To: nam-q-evaluation@egroups.co.jp
From: kenta ohji

王寺です。規約委員としてこのMLにオブザーバーとして登録されています。

[nam-q-evaluation]、[NAM]評議会、ML審査委員会に同報します。 On 2002.10.20, at 18:57, HIROSE Youichi wrote:

 NAMは組織としてQの義務づけを会員に課し、またQそのものをNAMのプロジェクトとして推進してきました。
ここでNAM内部でのなんらの討議の経ないまま、柄谷さんの一存で「Qは終わった」などNAMの公式の
ホームページ上で公言することはできないはずです。Qの問題点は何か、それは今後乗り越えの不可能
なものか否か、そういった検討はいまだNAM内部のどこでもなされていないと思います。

 したがって、ホームページからの柄谷行人「Qは終わった」の即刻削除を要望します。

 なお、今回のエッセイのホームページ掲載について、柄谷さんに警告処分を出すことをML審査委員会に
要請します。ML上での発言が問題ではない(問題はより大きい)ので、審査委員会で取り上げることが
適当かどうか分かりませんが、NAMとして柄谷さんの言動に対して警告を与えることが必要であると思
います。柄谷さんがそれをうけて「NAMは終わった」などと言い出さないことを心から願っていますが。


>  フォーラム編集長の廣瀬と申します。
>  こちらには初めての投稿となります。
>
>  現在討議中の問題に関して、編集局の関井さんから、このMLに、以下のメールを投
> 稿するよう依頼を受けましたので、転送いたします(関井さんはこのMLに登録されて
> いるアドレスの都合で、現在、このMLには直接投稿できないということです)。
>
>  また、柄谷さんから、event-MLに投稿された提案とほぼ同内容のエッセイ「Qは終
> わった」を、フォーラムに掲載するよう、依頼を受けました。編集局では、この提案
> を積極的な問題提起と受けとめ、先ほどフォーラムに掲載いたしました。
>
>
> ----- Original Message -----
> From: "Mitsuo Sekii"
> To: "HIROSE Youichi"
> Sent: Monday, October 21, 2002 12:53 AM
> Subject: 掲載に積極的に賛成です。
>
>
>> 編集局の関井です。
>>
>> 新しいエッセイをFORUMに掲載することに反対する意見が出されていますが、Qに欠
> 陥
>> がある以上その事実を隠蔽すべきではないでしょう。積極的にエッセイを公表すべ
> き
>> です。このエッセイの意味はそれほど重要な意味を持っています。
>>
>>
>> 関井光男

【註4】「Q全体会議」の555番の投稿の全文は以下の通りである。

--------------------------------------------------------------------------------
件  名 : 阿Qの徒より慰留申し上げます。
差出人 : kenta ohji
送信日時 : 2002/10/25 20:51
--------------------------------------------------------------------------------
「革命も悪くないぞ」と阿Qは考えた。
「こん畜生どもをカクメイしてやる、憎い野郎どもを.....おいらだって、革命党に入れるぞ」
ー魯迅『阿Q正伝』



柄谷さん、

 阿Qの徒、ピョンヤン系官僚、と思しき王寺です。

 柄谷さんのNAM退会のメール、まず非常にユーモラスで爆笑してしまいました。柄谷さんの
言っていることについてはほぼ異論はありません。柄谷さんの退会を含め、いくつかの点を除いて、と言
うことになりますが。柄谷さんを慰留したいと思い、このメールを書いています。

 まず、

「私は、あからさまに私の発言を妨げた人たちだけでなく、何だかんだといいなが
ら、民主的手続きがどうのこうのといいながら、私の提案をこれまでぐずぐずと
放置してきている人たちに抗議して、NAMを退会します。」

 僕も、自分のやっていることがどうにも官僚的かつ悪しき形式主義でもういかんともしがたいという自覚は
十分にあり、その点について柄谷さんの腹立ちは十二分にわかります。しかし、柄谷さんの提言について
は、Qのオフ会のときからこれまで僕はそれを最大限汲み取ってきたつもりです。


 ただし、僕は「Qは終わった」については、内容・やりくちともに感心しなかった。王寺のクソ小学生が、
とお思いでしょうが、以下柄谷さんへの苦言を書きます。


 まず内容について、

 僕は「Qは終わった」は内容が貧弱で、論理的なつながりのよく分からない文章だと思いました。
理論的な欠陥があるといいつつ、何がその理論的な欠陥であるかについての指摘さえない。理論的な
批判に値するようなQ固有の理論などないと言ってしまえばそれまでですが、例えば浅輪さんがどこかで
指摘されていたように、貨幣は流通しなければ意味がない、それだけのことすら言っていない。柄谷
さんにとってQ(=西部さん)が終わったということを宣言する役割のつよい文章であったからこ
そ、q-discussionの反応もその「パフォーマティヴ」な側面に集中したのではないかと思います。

 僕個人は、Qの「無理」は貨幣の流通のみならず、不特定多数の人と売買される物品と流通する貨幣
という経済的な流通に関わる場そのものをゼロからつくり出そうとしたところにあったと思っています。またQ
がLETSという均衡システムを導入している以上、それが存在するだけでひとりでに広がって行くような
性質のものではないことは明らかです。(使っている人が分散していようがいまいが閉鎖系・均衡系には変
わりないのだから。しかしこんなことは、僕は柄谷さんにはQが始まるずっと前に言いました。)しかし、NAM
はLETSをそれがゼロサム原理という均衡のシステムを備えているが故に資本への転化を防止しうる貨幣
として評価し、原理の中でその拡大を資本性に対する対抗運動の主軸として唱ってきた。それなら
ば、NAMという多次元の社会運動がQの拡大のダイナミズムをもたらすほかない。Qは放っといても拡大
しない、それは原理的に言って当然のことだし、最初っから分かっていたことです。それは別にQだけの
責任ではなく、QにのっかりながらNAMが十分に活動を展開できていないことにも責任の一半はある。
いずれにせよ、一年くらいでQが爆発的に広がることを望むのは、理論的にも実践的にも無理、それは柄谷
さんもよく分かっておられる通りです。

 経済的な流通に関わる全てをゼロからつくり出す「無理」に留意して、場所、ものを言わば既成の
資本制市場に寄生しながら地域貨幣の流通を提唱しているLの方向はいいと思います。このままではQは
ハイパーヤマギシズムの道を歩む可能性があるから。しかし、それも使いやすいLETSだからといって
放っといたら拡大するかと言うとそんなことはあり得ないと思う。繰り返しますが、閉鎖系・均衡系で考
えられているLETSのつくりだす経済網がそれ自体で拡大を目指すことなんかあり得ないんだから。
貨幣を作って放っておけば、みんなが興味を持って乗って来るかっていうと、そんなことはないでしょう。
ここでもまた「啓蒙」および諸活動はどうしても必要になって来るだろう。しかも、資本制市場
になかばのっかって拡大を図ろうとした場合、資本と国家への対抗運動にどう結び付けるのか、といった
課題が残ると思う。Qが出発したときに、それを資本制市場のcomplementとしてではな
く、alternativeとして考えなければ行けない、と言っていたのは他ならぬ柄谷さんだったと思います。
もうけにさとい商売人が、地域貨幣をcomplementとしてではなく、alternativeとして活用
するところにまで手を延ばして行くにはLが相当広がることが必要であり、そしてそれが相当広
がるためには多大な労力がいるはずです。そしてさらにそれに成功したところで、アルゼンチンのRGT
のように(最近、合法化の影響で約半数の定期市市場が閉鎖に追い込まれた)国家の規制と衝突
するという問題も出て来るでしょう。

 とはいえ、僕はLを退けると言っているのではない。Qの現状では資本と国家に対する対抗運動としては話
にならんというのもその通りだし、もっと使える通貨を考えないとダメだ、というのもその通りだと思
います。しかし、なにか新しいLETSを生み出せば、それで一挙に資本制が転覆するかのように
語ったのでは、一つの幻想からもう一つの幻想に乗り換えただけと言わざるをえないと思う。その点、僕は
山城むつみさんがかねがね主張してこられたように、「生産諸関係の変革」こそが重要だ、それにとっ
てLETSは重要な補助となる、という認識が必要だと思う。それは地域貨幣の拡大のためにも必要だと
思う。幻想を幻想によって糊塗するような態度は実践とは無縁であり、それを出発点にしたのではNAM
の新しい活動など覚束ない。それは柄谷さんがずっと主張してこられたことだと思います。しかも柄谷さん
一人だけさめていたのではだめだ。だから、NAM会員が幻想を駆逐するためは、NAMのなかでの討論が
必要であると思います。まあ、話せば分かるとは言いませんが、すくなくとものっけから暴力に訴
えるのはさけて、ひとまず話してみることは必要ではないでしょうか。僕は柄谷さんと一緒にそれらの実践
をやりたいと思っています。


 つぎにやりくちについて。ちょっときついこともいいますが聞いて下さい。

 柄谷さんはQのオフ会への介入、Qの放棄の宣言(規約委員会)、そして今回の大会の宣言に至るまで、
常に対立の場に曝されると対立の場自体をひっくり返す「ちゃぶ台返し」のような形で自己肯定
してこられた。それについては僕は全く感心しなかった。


I)Qのオフ会への介入

 僕は、ここでの柄谷さんの姿勢を支持しています。Qの理論的な問題以前に、Q管理委員会の運営に、
登記人をはじめとするQハイヴの実動メンバーへの配慮を欠いた側面があったのは事実だと思います。
しかし、一方で柄谷さんの言動に、個人への暴力的な中傷や事実確認を欠いた不用意な発言
があったことも事実でしょう。僕は、人はそういう勇み足をするものなんだから単にそれについて謝
ればいいではないかと思ったし、柄谷さんにもその旨私信を書いたことがあります。柄谷さんが自分の非
を認めさえすれば、Qハイブの運営の非人間性に対する柄谷さんの批判
はすんなりうけいれられるのではないですか、と。

 しかし柄谷さんはその謝罪をしなかった。しかも、Qハイヴの幹部(宮地さんと穂積さん)に対する批判
(中傷)は、実は西部さんに対するもので、自分は西部さんに対しては自分は辛抱強かったのだと、
自己正当化につとめられた。規約委員会では批評空間のことまで持ち出して西部攻撃につとめた。西部
さんに対する腹立ちがあったのはわかります。僕も、経済学の用語で扮飾して自分の主張を権威
づけるような西部さんの物言いには嫌なものを感じた。しかしそれで柄谷さんの「暴言」を肯定
されたのでは困る。「ちゃぶ台返し」の1)です。


II)Qの放棄の宣言

 暫くして、柄谷さんは今度はQは理論的に誤っていた、としてQの放棄を宣言された(規約委員会)。僕
はこのときはある意味で、ああこの人は全く理論家なんだなと思って少しおかしかったし(今日のメール
と同じような意味であれはユーモラスでした)、嬉しくもあった。つまり対立が生まれたときにその対立が生
まれてくる基盤にさかのぼってその基盤自体を理論的に批判しようとしているのだなと、好意的に受け止
めていました。やってくれたらいい、と。しかし、規約委員複数からのQ批判の展開の要請にもかかわらず、
柄谷さんはそれをしなかった。これは強調しておきます。柄谷さんは、NAMのほかのメンバーが、柄谷
さん頼むよ、おれたちゃあ聞くよ、と言ってるときに提案をしなかったのです。
 
 そして出てきたのが「柄谷行人の提案」ですが、それには規約委員会での発言以上の「理論的な批判」の
展開はなく、西部さんへの攻撃が加わっていただけだった。柄谷さんにとってそれを宣言することが必要
だったのは分かりますが、それはユーモラスなものではありませんでした。しかも、それを柄谷さんはNAM
評議会や規約委員会で議論にかけることが十分にできたにもかかわらず、いきなりnam-eventに
投稿し、しかもML上での下らない議論にはつきあわないと一方的な宣言をした。これも第二の強調点
ですが、提案を出したときに柄谷さんは議論を最初から拒否したのです。
 柄谷さん、ボナパるなあ、というのが僕の印象でした。これはNAMの他のメンバーに対して、またQ
のなかで柄谷さんの意志を最大限にくんでこれまで議論を続けてきたメンバーに対して傲慢な態度
だったと思う。これが「ちゃぶ台返し」の2)です。しかし、僕はそれに対して批判をしましたが、(柄谷さんは
最初から議論を拒否していたとはいえ)NAMの内部での議論ならばやればいい、と思っていた。

 しかし、柄谷さんはさらに、同様の文章「Qは終わった」をWebに載せることを提案された。僕はNAMがQを
公式に推進してきた以上、それをやめるという決定はNAMの総体でなされるほかないと思います。それが
非個人主義的でNAM的でないと言われるなら、NAM総体でQへの加入を義務付けたその決断が既
にそうだったと言うほかない。そして、代表からの取り下げ要求にも関わらず、エッセイは掲載された。
「ちゃぶ台返し」の3)です。(ただし、いろいろと連絡の齟齬もあったようなので、これを柄谷さん一人の
責任として言うのはやり過ぎかもしれません。)

 これに対して、評議会が即刻取り下げの要求をし、強制的にエッセイをウェブから消去した。


III)NAM脱退
 
 それから、「退会します」のメール、

 「私は、あからさまに私の発言を妨げた人たちだけでなく、何だかんだといいながら、民主的手続
きがどうのこうのといいながら、私の提案をこれまでぐずぐずと放置してきている人たちに抗議し
て、NAMを退会します。」

 僕が、柄谷さんの発言に対してピョンヤン官僚的に振る舞ってしまったことは、申し訳ないと
思っています。
 
 にもかかわらず、これは問題のすり替えだと思います。匹夫不可奪志。また「NAMがQを公式に推進
してきた以上、それをやめるという決定はNAMの総体でなされるほかない」。柄谷さんは自分の提案が受
け入れられていないとおっしゃっていますが、しかし柄谷さんは「提案」そのものを真っ当
にはされてこなかった。これが「ちゃぶ台返し」の4)です。

 もう一度繰り返しますが、柄谷さんは1)規約委員会で提起ができたにもかかわらずそれをしなかった。
僕は批判の展開をお願いします、と言いました。聴衆が待っているのに、柄谷さんは講演をすっぽかした。
2)「柄谷行人の提案」は、Qへの断絶の表明とLの紹介なき顕揚があっただけで、まともな議論の提起
ではなかった。そもそも、柄谷さんは最初から議論を拒絶するかたちでメールを投稿された。3)柄谷さん
がQの批判とそれにかわるLETSの提起を多少なりとも丁寧にしたのは「退会します」のメールが初
めてだと思います。しかし、そのメールはまさしく「退会」のメールだった。
 これでは提案を受け入れるも何も、最初から議論にならないじゃないですか(笑)。たしかに特別委員会
だの何だのやけに時間はかかったけれども、NAMのなかでQの問題点を巡る議論とあらたなLETSの
プロジェクトを立ち上げようという提案は、すでに「柄谷行人の提案」以前に田中正治さんから評議会に出
ていました。なんかようやくMLも動きだすようだから、そっちで柄谷さんの提案を議論
することはできませんか。

 
 以上、ちょっときついかもしれませんが、柄谷さんへの苦言を列ねました。柄谷さんは今回一貫して対立・
紛争の場そのものを「ちゃぶ台返し」のようにひっくり返してこられた。それは柄谷さんの理論家としての
姿勢をよく示していると思いますが、今回に限って言えば対立以前の場にさかのぼって場所自体を問
うという柄谷さんの振る舞いは十分に理論的な表現をとっていないし、悪い意味でパラノイアックな
自己正当化の役割しか果たしてこなかったと思います。その結果、柄谷さんの提言の持つ正当性さえ
見失われてしまうがあってはならないと僕は思っていますが、同時に多くのNAM会員にとってそれが見失
われることも今回の柄谷さんのやり方ではやむを得ない。くどいようですが、もう一度繰り返しておけば、
今回の一連のQ批判において、柄谷さんは他人からの異論はもとより賛意をさえ拒絶するような「絶対」
的な物言いしかされてこなかったのだから。もう一回「提案」ないし「対立・紛争」の場所
までおりてきてはもらえまいか、というのが僕の希望です。

 僕には、西部さんに対する怒りが、あちこち混線して柄谷さんが「倫理的に」脱線しているように思
えます。僕が、ほとほとピョンヤン官僚的でいやんなるな、と思いながら、こりゃあいかん、とギフン
にかられたのは以上のような理由です。ギフンなんかクソだ、と言われるかもしれませんが(笑)。

 僕は、柄谷さんに個人的に大きな敬意と信頼感を持っています。それに僕は柄谷さんのことが基本的
に好きですから、今回の柄谷さんの一連の「ちゃぶ台返し」にしたって、それでは通るものも通らないよ、
と思いながらも、まあ一方で柄谷さんのふるまいをおもしろがってみていました。逆に、だからこそ、僕
がNAMにとって不当であると思われることを意をつくして説けば、それを理不尽にはねつける人
ではない、と柄谷さんのことを思っています。以上、うだうだと駄弁を列ねた理由です。「この山から降
りて行こう!あの下界に向かって行こう!」位の気持ちでNAMに戻ってきてもらえればと思います。

 「それではひとまずさようなら」。

 王寺賢太

【註5】[nam-reform:0086]の全文は以下の通りである。

Date: Wed, 20 Nov 2002 20:32:47 +0900 (JST)
Message-Id: 20021120.203247.840824362.lutsch@bc.wakwak.com
To: nam-reform@freeml.com
Subject: [nam-reform:0086] Re: 王寺君へ
From: 杉原正浩 "lutsch"

杉原正浩です。柄谷さんへ。

From: "krtn"
> あからさまに、Q解体を任務とする者なら、Q管理に残ってよいでしょう。

私はそのつもりです。

> 責任がどう
> のというが、私には理解できない。たとえば、西部が責任をとらないというが、
> NAMの諸君が実働をやめてしまえば、彼らが何とかするほかないはずです。

西部さん自身は決して責任を取らないでしょうね。

したがってこの「彼ら」には西部さんは含まれません。氏の無責任さと卑劣さ
は度を越していますから。

杉原正浩 "lutsch"

【註6】[NAM:3196]の全文は以下の通りである。

Date: Fri, 22 Nov 2002 23:02:44 +0900
Subject: [NAM:3196] Re: 浅輪さんへ
From: "I.namai"
To: nam21@freeml.com
Message-ID: BA046813.C01%namai-isao@msj.biglobe.ne.jp

生井です。

on 02.11.22 1:01 PM, Asawa Ta at info@nam21.org wrote:

> 浅輪です。
>
> 簡単に言うと、今回の吉永さんの事件の一端は、私の個人情報の扱いが、ちょっ
> とずさんだったことによりますね。だから、個人情報の扱いはこれからはものす
> ごく慎重に行いたい、それが守秘義務です。
> 状況が変化した、というのも、これも個人情報なので、言えませんが、端的に言っ
> て、評議会員は、これらを一切憂慮せずに決定なさることが出来る状態にしまし
> た、
>
> と、言えば、分かってもらえるでしょうか。。。

ちっとも分かってもらえません(笑)。

が、浅輪さんを苛めていても仕方ないので、逵さんには先日ML削除をしたことの事情
説明を行ない、これから再登録するに当たって、その理由をきちんと説明して下さい。
評議会に説明できなくとも、少なくとも逵さんにはきちんと説明するべきです。一番
不快な思いをしているのは、逵さんであろうからです。

上のことは、『原理』と契約した個人であるか否か以前に、そのような礼を失した態
度をNAMが採り続ける限り、アソシエーションなどありえないという意味で、当然の
ことです。非人間的な振る舞いは、NAMにおいてもまた、慎まれるべきです。柄谷流
にいえば、「NAMを反対に読めば、MANだ!」ということです。

僕個人としては、今回のゴタゴタで多くのものたちが無用に傷ついていることに、も
う我慢できません。たとえば、逵さんはたしかにNAM会員でなはありませんが、個人
として尊敬に値するべき人物です。そのような方が、たとえ『原理』と契約していな
いからといって、敬意をもって扱われなくて良いということはありません。「政治的
な振る舞い」という美名のもとに、現在のNAMは余りにも多くの方々を傷つけていま
す。ハッキリいって、現在のNAMの、この程度の組織に「政治」もへったくりもあり
ません。きちんと他人に対する敬意を保ちさえすれば、それで十分なのです。

以上はつまらない説教ですが、最近NAMが忘れていることだと思うので、つまらない
ことを承知で書きました。

逵さんには事情を説明し、逵さんが再登録を了承する場合にのみ再登録することを提
案します。もちろん、逵さんがその際に知り得た情報については、「守秘義務」があ
ることを納得していただかなければなりませんが。

【註7】森谷めぐみのnam-event ML宛てメールの全文は以下である。

Message-ID:3DB6B67B.5A5AFD58@nifty.ne.jp
To: nam-event@egroups.co.jp
From: megumi moritani
Date: Wed, 23 Oct 2002 23:47:23 +0900
Subject: Re: [nam-event] 謝罪いたします

森谷です。イベントで書くべきではないですが
気になったので、一言だけお許しください。

岡部さんが謝罪、辞任される必要はないと思います。
削除の件、あの時点では当然のことをされたと思います。

岡部さんのセンター事務局員としての着実なお仕事ぶりには
いつも敬意を感じてきました。反面何もしていないに等しい自分を
恥じておりました。

憶測するのは僭越だし危険ですが
柄谷さんには別のお考えがあったのだと思います。
新しい何かをはじめるには既成の組織にいてはできないし
お互いに縛りあうことでこれ以上ごたごたを
重ねることもないというところではないでしょうか?

Lへの飛躍は、わたしのような凡人にはとてもついていけないところですが
当面はNAMとQとの特別委員会を見守り
起こってきた問題の整理、把握に努めたいと願っております。


NAMセンター事務局 wrote:

> 柄谷様、フォーラム編集局、
> ウェブサイト局、システム局、センター評議会、NAM東京事務局、NAM会員の皆様へ。
>
> 岡部誠信です。
> この度のエッセイ削除の件、私のセンター事務局員としての
> 独断的な越権行為であり、深く反省しております。
> ここに謝罪させていただきます。
> (謝罪が遅れたこと、重ねてすみません。)
>
> 私の感情的で愚かな行動から、フォーラム編集部をはじめ、
> 各局、センター事務局の皆さんへ迷惑をおかけしたこと
> まことに申し訳なく、NAM内の各局の皆さんの協業システムに
> 混乱をおこしたことをあやまります。
>
> また、一連のメールの中で、たぶんに感情的な言動を繰り返してしまい、
> 柄谷様をはじめ、各局、会員の皆様に大変不快な思いを与えてしまったことを
> 率直に認め、今後繰り返さないことを約束いたします。
>
> 今回のような行動を起こしてしまったことについて、
> 私ごときの知力はもちろん、人格では、なんら今後のNAMの活動のために
> なるようなことが行いえないことを、あらためて認識し、
> NAM内のセンター事務局の仕事、東京事務局の仕事について、
> 本来請け負った仕事を途中で投げ出す事は私の信条に反しますが、
> 互いの信頼関係の中で仕事は行うものであり、
> 私はそれを自らやぶったのですから、
> 辞任することで、その責任をとらせていただきたいと思います。
> また、NAMを除名していただいてもかまいません。
>
> 短い間でしたが、各局・会員の皆様の助力があってこそ、
> 事務局員の仕事がわずかながらでも出来た事、嬉しく思っております。
> ありがとうございました。
> このようなかたちで、御恩をお返しできなくなり、
> やり残した仕事まで作り、最後まで迷惑のかけどおしで終わってしまったこと、
> 申し訳ありません。
>
> 浅輪さんをはじめ、みなさんすみません。

【註8】例えば攝津(私)は当時次のような私信を柄谷行人に送っている。

Date: Fri, 22 Nov 2002 01:06:50 +0900
From: 攝津正
To: karatani
Cc: "mamoru hiruta"
"飛弾五郎"
Subject: Re:

柄谷行人さま
(CC.飛弾さま、蛭田さま)

攝津です。

休養をとっていたため、お返事が遅れてすみませんでした。

Lをくわしく御説明頂き、本当にありがとうございました。大変魅力的で、Qとは比較
にならない具体性をもっていると思いました。

私は、Qの失敗の悲しみから、これまでLの提案には全く心を閉ざしていましたが、昨
日頂いたメールを読み返し、Lなら、Qにできなかったことができるかもしれないと
思いました。

自分にできることがあるかどうかも分かりませんが(青山さんのようにNAM的事業を
起こすことも、大和田さんのように他団体とつながることも、田口さんのように研究
成果を発表することも、私にはすぐにはやれないでしょうから)、もし許されるので
あればぜひNAMを続けたい、NAMに残らせていただきたい、と心より希望しています。
QのためにNAMを辞めざるを得なくなるのなら、なんのためにQをやってきたのか分か
りませんし、Qとともに心中する価値はQにはないと思っています。

Q管理運営委員会については、解体・清算の方向に向かうのであれば、杉原さんとと
もにその処理を行いたいと思います。非NAM会員中心の再編に向かうのであれば、引
き継ぎを終了して可能なかぎり速やかに退職したいと思います。いずれにせよ、現状
のQの存続の可能性を示唆する発言や行動は、今後一切止めます。また、私は、NAM事
務局でQ口座係を担当していますが、NAM会員のQ赤字補填など、NAMとQの分離や関係
断絶の事務をさせていただければと思います。

私はQに必要以上にこだわっていましたが、それは、私が世間知らずでバカだからだ
と思います。社会経験がある方々、知性がある方々は、みんな、早い段階から、宮地
さんのお考え(Qに企業や商店が多数参加してQが「強い貨幣」になれるという展望)
に疑問を呈していました。ところが現実を知らない夢想家の私は、宮地さんの展望を
心から信じきっていました。Qを会社や社会運動団体、家族や近所の人に実際に勧め
るたびに、まったく相手にされず、困難を思い知らされるばかりだったのですが。

それでは失礼いたします。お騒がせし、御迷惑をお掛けしたことを、心よりお詫びい
たします。


> Qが詐欺的集団であるのに、それがまだ生き延びているのは、君たちがやってい
> るからです。責任は、西部らにある。なぜ、君らがそれを引き受けるのか。西部
> が責任を回避しているなどというな。君らがやめれば、西部らが責任をとらざる
> をえない。たんにそれだけです。
>
> 実は、君らがこれ以上、加担すれば、君らの責任が出てくる。なぜなら、もう詐
> 欺とわかっていながら、Qの存続に加担しているのだから。それはNAMがやってい
> ることであるかのように見える。したがって、今後、Q管理などやる人は、NAMを
> やめてもらいます。Q管理に残ってよいのは、あからさまに、Q解体を任務とする
> 者だけです。

【註9】[NAM:3073]の全文は以下の通りである。

Message-ID: 3DBA92D8.2CA235EA@nifty.ne.jp
Date: Sat, 26 Oct 2002 22:04:24 +0900
From: megumi moritani
To: nam21@freeml.com
Subject: [NAM:3073] Re: 謝罪などー森谷

森谷です。

わたしは謝罪しません。でもわたしが謝罪しないことで
評議会や事務局の方々に過大なご迷惑をおかけすると
存じます。つきましては、このたびをもちまして
理論系連絡責任者を辞任し
NAMを退会します。

このような暴力的展開にはまったくついていけません。
午前中にフォーラム掲載について反対するメールを
出しましたが、出先からだったので、ちゃんと投稿できませんでした。
再送はしませんが、その中でわたしがNAMという運動に求めた
イメージをほんの少しだけ書きました。今後はNAMの外で
わたしはそれを探求していこうと思います。

まことに勝手ですが、後任の選出については生井さんに
一任したいと思います。混乱を深めるといけないので
理論系には投稿しません。今はこの問題で手一杯でしょうから
しばらくは空位でもかまわないと
思います。

我儘ばかりで皆様にはご迷惑のかけっぱなしで本当に申し訳ありません。
いつかまた何かの形で皆様と協働できることを願っております。


攝津正
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送