農の21世紀システム:2.近代工業文明の基盤の崩壊現象

 1)人間が自然に働きかける労働過程は、人間が自然との物質−エネルギー代謝を自分自身の行為によって媒介し、コントロールする過程であるが、この行為によって人間は外的自然に働きかけ、それらを変化させると同時に、人間自身の自然(身体)をも変化させる。

 2)文明の基盤は自然と人間であるが、今日の工業文明はその規模が地球全体の自然と人間を包摂するにいたり、文明の二つの基盤そのものを自らの運動によって崩壊させつつある点にその特異性がある。近代工業文明の一方の基盤である自然の劣化、崩壊現象は、a)地球環境の劣化 b)鉱物資源の限界 c)化石燃料・エネルギーの危機 d)農業食糧基盤の劣化として現象している。

 3)近代工業文明のもう一方の基盤である人間については、生物種としての人間の危機とその精神の危機、および資本主義システムの危機として現れている。すなわち、a)人工爆発、生物種としては異常な人口爆発 b) 生物種としてのヒトの生理的内部崩壊現象 ガン、エイズ、生殖不能率の上昇 c) 情報の異常過多による精神障害、精神病の増加現象 d) 人間の天敵の復活−ビールス、エボラ熱、O-157、結核などの増加(これらの原因は人間の免疫低下による) e) 近代工業社会の価値観の基礎になってきた科学知に対する根本的な信頼のゆらぎ f) 資本主義の根幹である大工業の利潤率の構造的低下と工業社会そのものの衰退現象

 4)今は、生物種としての人間の肉体的精神的異常現象と内的崩壊については間題にしない。また、経済システムのなかで起こっているダイナミックな変動は実に興味深いが、別の機会に述べたい、ギリシャやローマなど過去の偉大な文明の多くが、外的攻撃によるよりも内的原因によって、精神と価値観の衰退、システムの統合力の解体によって消滅してきたことは留意されてよい。ここでは近代工業社会の価値観の基礎になってきた科学知のゆらぎについて少しふれておこう。

 5)近代工業文明を他の文明と区別する特徴の一つは科学文明であるということである。 真理を体現する神を否定した代わりに、科学こそ真理を解明するとの確信のもとに、科学方法論に立脚し、科学の体系をつくりあげて、それを工業文明の基礎にすえてきたのである。モンテスキューの政治学、スミスの経済学、ガリレオ、ケプラーの天文学、ニュートンの力学、デカルトの哲学、ダーウィンの進化論、べ一コンの哲学など近代社会の基礎概念、自然観、方法論、世界観、社会観、人間観など、これら資本主義の発酵期の知的巨人達の科学的成果が現在の人間と社会の常識、つまり文明の知的基盤になっているのである。

 6)しかしこれら科学文明の基盤は、20世紀初頭、資本主義の燭熟期に入って、根底から揺らぎ始めた。科学の最先端、理論物理学会内部のアインシュタインの相対性原理とハイゼンベルグの不確定性原理をめぐる1920年代の科学世界の論争は、論理的に古典物理学を一気に過去のものにしてしまった。他方、第二次世界大戦をめぐる核爆弾製造への物理学者達の関与とその結果にたいする衝撃は、科学知に依存することそのものや科学知そのものの成立根拠への疑問を顕在化させた。科学方法論の欠陥はどこにあるのか。科学は真理を解明しうるのか。科学の限界はどこにおかれるべきなのか。科学知に代わる知はなににおかれるべきなのか。17世紀〜18世紀古典科学が解明した自然観、世界観、人間観、社会観の基本の崩壊が20世紀初頭から始まっており、この30年間にそのスピードはアップしている。近代工業文明を支えてきた古典科学の崩壊と科学知そのものの揺らぎは、この文明の衰退と次の文明の産みの苦しみの表現でもある。

a)地球環境の劣化
 森林の消失による生命循環、水循環、炭素循環の破壊、地下水の大量使用による水循環の切断、化石燃料の大量使用による炭素循環の破壊、オゾン層の消失による海洋食物連鎖と生物免疫の劣化、酸性雨による土壌劣化と窒素、硫黄循環の憤乱、水系汚染、海洋汚染、土壌汚染、大気汚染、核汚染などによる水一土壌一大気循環の劣化と生命循環の切断、砂漠化の世界的進行などが地球環境間題としてあげられよう。これらの諸現象の本質は、グローバル化した近代の工業文明一人工的物質循環の運動が放出する廃物一廃熱のエントロピーが、植物、動物、微生物という有機的構成要素、および大気、水、土壌という無機的構成要素の物質一エネルギー一循環を撹乱し、劣化させ、破壊しているということ、つまり地球のトータルシステムである物質系一生態系の循環を撹乱し、劣化し、破壊しているということである。従って地球環境問題に対する対応は、人類がこの緑の惑星に生存し続けようとするならば、単なる原因物質の排出規制や生態系の保護にとどまらず、地球の物質系一生態系の物質一エネルギー循環に調和するように今日のグローバルな社会システムを、その規模のみならず、なによりも質を変革することが不可避なのである。

b)鉱物資源の限界
 工業は資本主義システムの核であるが、その工業を支える最重要物質は生物資源とともに化石資源、金属鉱物資源である。図1.

 「主要金属の埋蔵量と生産量」をみると、工業製品の基礎になっている金属資源一鉄・アルミ・銅・亜鉛・鉛の耐用年数が短いことに驚かされる。鉛12年、亜鉛21年、銅33年そして鉄97年である。これだけを見ても工業の衰退が21世紀前半におこらざるをえない根拠があるとみてよいようにおもわれる。いずれにせよ、人類は鉱物資源の埋蔵量からみても工業の質と量を革命的に変革しなければならないようだ。
 工業生産の絶対量を減少させること・すなわち、大量生産、大量消費、大量廃棄システムを少量生産、少量消費・少量再利用システムに変えること。さらに、その質を変革すること、すなわち、化石燃料の生産・消費を激減させ、天然資源系素材利用に全面的に転換すること、工業の質と量を革命的に変革することが特に重要な要素になるだろう。

C)化石燃料・エネルギー危機
 図2.

 「世界のエネルギー資源埋蔵量」によれば、石油の可採年数は約50年、天然ガス65年、石炭219年となっている。可採年数については未確認埋蔵量もあるし、また使用量の増減に大きく左右されるわけだから、それほど根拠のあるものとは考えにくい。むしろ化石燃料の使用は炭酸ガス、亜硫酸ガス、酸化窒素など燃焼廃棄物の蓄積過程によって限界づけられる。つまり地球環境を劣化させ、生物と人間の生存の危機を進行させる度合いによって限界づけられるのである。実際、219年の可能採掘年数があるとされる石炭は石油と比較して著しいエントロピー増大物質だからなおさらである。石炭を地下に封印すること、石油化学生産を急速に縮小し、太陽系・水素系エネルギーと生物系素材への転換を急ぐこと、エントロピーが比較的少ない天然ガスを一部過渡的資源として利用しながら、太陽・水素系エネルギー、生物系素材への水路を整えることが課題となっている。

d)農業食料基盤の劣化(図3参照)

 1847年、ドイツの化学者リービッヒが、植物が土壌から吸収する栄養素のすべては無機物であり、従って無機質肥料がその栄養素の代替になることを立証して以来、特に1950年代以降、化学肥料全盛時代が到来した。その時、略奪農業批判一循環型農業という彼の主張は忘れられていた。1950年頃までは、世界で新たに開発すべき耕地の余地は充分存在していたので、化学肥料は有機肥料の補助的位置にあっても、食糧需要増大に対応することができた。だが1950年代以降の爆発的な世界的人口増加は、世界的な化学肥料の爆発的拡大を促進した。なぜなら、新たな大規模な耕地の開発は消滅していたからである。
 図4によると、1060年から1980年までに、1ha当たりの収穫量は約1・0トンから2・5トンに急増した。化学肥料は世界農業の機関車となった。資本制化に伴う都市化が要求する人口増一食糧需要に対応する収穫量の噌大は、化学肥料の大量使用をてことして農法の転換をもたらした。種子がかえられた。在来種がF1種に変えられた。F1種は化学肥料や水の吸収率を良くすることによって、収穫増を結果させるが、他方で、化学肥料の大量使用は、植物が過剰な養分を体外に排出するため、それらを養分として集まる害虫の増加に対応するための農薬の大量使用を不可欠とする。また水の吸収率をあげるための灌概設備の完備を必然化した。F1種を独占する種苗資本の農民支配は農作物の単作化一地域特化を促進した市場システムに対応したものであった。大量生産は巨大都市形成の基盤となり、化学資本にタイアップした機械資本による工業化農業を必然化させた。商品としての農産物の生産、販売のための投資型の農業、すなわち資本制的市場型農業が主流となったのである。その結果、一方では、農業機械と化学肥料一農薬は農民を重労働から「解放」したが、他方では、この40年間の農薬による農民の死亡は数知れない。太陽と大地の恵みに感謝しながら生をまっとうしてきた農民は、自然を支配し搾取する農民に変貌した。農薬、化学肥料の大量投与は土壌の微生物や小動物を殺し、農民は土壌のミネラルバランスをくずしてきた。そして、ついにオールマイテイーに思えた化学肥料の大幅な拡大が世界の穀物生産量に反映される時代は、1984年で終止符を打つことになる。1989年にはUSA、西欧、旧ソ連、日本、中風などアジアの大部分では、化学肥料の増大が増収効果が頭打ちになる水準にまで地力が低下してしまったのだ。


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田中正治
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