種子は誰のものか:E)種子

 1)資本主義社会以前には、種子は農民達によって自家採取され、地域内で交換されていたのであろう。現在でも、門外不出の種子が各地にあると聞く。共通の風土をもつ地域に合った種子は、その地域の共有財産になっているのである。種子の私有化がいっから始まったかはさだかでない。1800年代、米国にはすでに種子会社は存在していたが、経済的に大きな位置を占めていたわけではない。19世紀の間、米政府が米国内の種子の主要な供給者であった大農業方式の米国をのぞいては、種子の自家採取が一般的だったであろう。農産物が換金作物=商品として栽培され、市場の要求に合わせた栽培方法が採用されると、それに合った種子に改良される。美味しい、見栄えがよい、加工しやすい、輸送に便利、収穫が上がる、作りやすい作物をつくる種子に。

 2)日本に関して言えば、1950年代まで、一般的には、有機農業、自給自足が中心で、市場経済はサブシステムであった。従って、種子に関しても、自家採取が一般的であった。
 だが、1960年代の資本主義の急速な工業化、大都市への農村からの急速な人工集中に 伴う人口の逆転現象は、膨犬な都市住民の食料を、減少する農民が供給することを強要した。 国家によって農業の近代化が謳われた。農機具メー力一、農薬メー力一、化学肥科メー力一は農村に入り込んだ。農協もそれと競合した。農業生産性向上運動は農村労働力の減少とタイアッブしていった。農産物の増産一大量流通一大量消費に合致した工業化農業とともに、種子のF1化一ハイブリッド種が農家によっても採用されていった。在来種に比べて、農薬、化学肥料、水の吸収率がよく、従って大量生産に向いているF1種の全盛時代が訪れた。ところが、F1種は、第2代目には種の特性によって、不ぞろいな作物が出来るため、商品作物としては適切ではない。従って、商品作物をつくろうとすれば、農民は毎年種苗会社から種子を買わなければならない事態になった。企業による種子独占である。大量流通一大量消貫システムに対応した大量生産システムは、農産物の単作化を促進した。一面のキャベツ畑、大根畑、かぼちゃ畑が登場した。多品種少量生産、有畜複合、自家採取は完全に後方においやられた。農薬、化学肥料、水の大量投入とF1種子のサイクルは完成した。1970年代であった。

 3)このころ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカでは、「緑の革命」が進行中であった。米アグリビジネスと国家機関が一体となって、農薬、化学肥料、水の大量投入とF1種子 による工業化農業を押しつけていた。世界はリンクしていたのである。


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田中正治
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